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もう勇者ではないん  作者: 犬又又
もう勇者ではないん
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もう勇者ではない

新しく書いたものではありません。少しばかり文章を書き直しております。上の文章を消して治せばいいのですが、上の文章も参考に残しておきたいです。もし見て下さる方がいらっしゃいましたら、真にありがとうございます。少しばかりの暇つぶしにでもなれば幸いです。

 地は呻きと叫びに満ちていた。

 一切の慈悲を与えず、一切の許しを与えず、彼女が通る道を苦痛が彩っていく。黄金色の髪を靡かせ、優雅で繊細を思わせながら確かに彼女が修道女だと思わせる服を身にまとう。 

 服のところどころが煤け、破れ、あらわとなる彼女の肢体は何処か神々しく穢れをしらず、痛みだけが蜘蛛の巣のように浸透していく。

 魔王城の中を――。

 歩くたびに稲光が発せられ、雷神の如く辺り一面を黄金色に染めてゆく。

 まるで彼女の色、この世界が彼女の色に染まるよう。

 逃げ場のない空間の中に留まるこを強いられた哀れな魔物達は、ただ痙攣し白く濁った瞳から血を灯す。その色は炎よりも暗く、鉄よりも焦げ臭い。

 王の間に到着したシシリーウォンロットはただただ魔王を見上げていた。

 同じような言葉でありながら、冷めたような冷たいような。

 ほとばしる稲妻に焼かれ、かつては荘厳だった城は見るも無残な廃墟と化す。

 王がいる。魔の付く王が。

 世界を恐怖へと突き落とし、魔物達を従えて、侵略し、己がものとせんがために戦う王。発せられる空気は重く重く。

 目を離せばもう死んでいるかもしれないと。

 崩れた城の中での堂々たる姿に、戦々恐々とす。

 シシリーは無言で杖のような鈍器を構えた。

 神が授けし聖武具は空気を振動し、触れるだけで浄化を促すように魔王へと威圧を放つ。

 魔王は剣を構えた。世界を呪う剣を、血を求める剣を、あらゆる者の血を啜ろうと震える剣を――。

 二つの武具のぶつかる金属音が、辺り一面に木霊した。

 二つの武具の通り、残滓はまるでゆっくりと、軽く振るわれているように思わせるが、だがその衝突音は鼓膜を切り裂かんばかりに辛辣だった。

 筋肉の張りつめる音、張り裂ける音、耐えようと足掻く音。

 どうしてこんな無茶をするのか体が悲鳴を上げて訴えるのに、持ち主はそんなことはお構いなしに武具を振るう。

 迸る雷光と垂れさがる闇の波動、波を打ち、ゆらゆらゆらゆらゆらとゆらゆらゆらゆらと。まるで提灯の明かりが灯り、火打ち石が鳴るように。

 魔王の強靭な筋力からふり絞られた斬撃の嵐に、シシリーの握力は悲鳴を上げた。指が折れ曲がり、腕が折れ曲がり、それでも一矢は報わんと、魔王に武具を打ち下ろす。

 聖武具、聖者の行進は先端にいくほど捻じれた槍のような金属杖だ。

 頭を打ちのめされ、魔王の顔にも苦痛が走った。かみ殺すように歯を噛んでむき出し、武器を打ち払う。放たれる脈動、シシリーから迸る雷の波動を魔王は闇の波動で相殺し、跳ね上げた剣で武具を打ち上げた。

 勝負は決した――。

 打ちのめされ、腕を壊され、苦悶の表情で魔王を見上げるシシリーと、勝利への王手をかけた魔王。

 この一撃を早く振り下さなければと流行る思考の渦と、罠なのではないかという思惑。今ここで潰さなければいずれ潰されるやもしれぬ。

 振り上げられた狂乱の大剣はシシリーの脳裏に走馬燈を走らせた。

 かつての仲間たちの様相が流れていく。

 勇者を育てるために死んだ傭兵達、そのリーダー、マーガレットプリメイダ。

 弱気な勇者を焚き付け、包み、癒し、勇者を守るように死んだ傭兵の女。

 勇者の才能に追いつけず、足でまといとなってしまった魔法使いの少女。

 歴代最高峰と言われる魔法使いの少女は、勇者とふれあい、認め、競い、愛し、慕い、そして絶望した。

 勇者が強力になるにつれ、その必要性に戸惑い足掻き、もがき、苦しんだ末に離脱を強いられた。

 傍にいるだけでよかったのに。離脱するその背中を、寂しさと才能に打ちのめされた背中を見送った。

 聖騎士オルギトスクワイトス。

 吹き荒れる吹雪に足を取られ、逃げるために殿となり、氷山の一角で今も眠り続けている。

 生意気な盗賊、チェザプリメイダ。

 陽気で歌のうまい彼女は戦闘には参加できなかったが、それでも最後までついて来た。

 この魔王城の扉を開けるために。

「あたしに開けられない鍵はない」

 理不尽な鍵穴だってある。

 開ける事はほぼ不可能で、罠が作動して必ず死ぬ。1%の奇跡にすがるように鍵を。

「あたしに、開けられない鍵はねーんだ。開けられないならこじ開けるまでだ‼!」

 維持と積み上げた修練で成し遂げた。少量の爆薬と劇物を使い。

「あははっやってやったぜ‼! クソッタレ、なぁやってやったぜ……」

 焼けただれた両手と開けた事により作動した罠に貫かれて……。

 最後は笑顔だった。

 重く重く振り上げられた大剣はまるで時間が重いのではないかと錯覚させるほどシシリーにはゆっくり動いているように見えた。

 確実に殺すよう両手で掴まれ、力が込められていく。鱗に覆われた異形の腕は引き絞られ、壊れない剣の柄は込められた力の分だけ魔王の手に負荷を与える。

 息が止まった――フッと。

 振り下ろされる。

 シシリーは目を閉じた。風圧が顔を覆い暴発した力の波が逃げ場を求めて飛散する。どんな生物も、この一撃を受けては生きていまい。

 覚悟はしていた。死ぬ準備はできている。笑った。シシリーは笑みを浮かべた。それは彼女がこれまで浮かべた笑みの中でもっとも慈悲深かった。

 すらりと伸びた剣線が軌道を残して薙ぎ払われる。

「お前が、勇者か」

 魔王の瞳孔は震えた。

 少女の目の前に少年がいた。魔王から見れば、小さな小さな少年。

 瞳は廃れ、感情は死に、心は痛みに耐えられるように強靭に、いいや、もはや心は壊れていた。鉄でも耐えられぬ、鋼でも耐えられぬ、ダイヤでも砕ける。

 ならば、最初から壊れていた方が、これ以上壊れない。

 どちらが魔王なのかわからないと錯覚する。これが人の希望なのかと、これが神が作り上げた希望なのかと、どちらが魔王なのかわからない。

 金属と床が衝突する大音量が響く。まるでトカゲのしっぽを思わせる二つの物体と、魔剣。

 ずっとシシリーの背後にいた。戦っている最中も、ずっとずっと。

 そんな馬鹿な事を、いや、したのだ。

 この瞬間のためだけに、少女の後ろに張り付いていた少年は半回転し、振り下げれた剣を下から薙ぎ払い飛ばした。

 勢いもそのままに、さらに半回転すると後ろ手に剣を魔王の腹へと突き刺し立てる。呆気にとられ、何が起こったのかを理解した時にはもう魔王の内臓は焼けていた。

 剣から伝わる雷の波動が魔王の内面を焼き尽くす。

 驚愕と共に、魔王は笑っていた。

 勇者とは神の送りし暗殺者。人の作りし暗殺者。少数精鋭で最大の効果を。

 その姿を見て一目で魔王は勇者を気に入った。確かに自分は魔王で魔王である自分を殺しに来た者は勇者だと、きっとお互いだけがわかる。

 自分の存在するすべての理由が、そこにあると理解するほどの対。全てを否定すると共にすべてを肯定する。

 勇者は泣いていた。

 自分でも泣いていることに気づかないほどに、流れる水色は切なく、儚く、愛おしく。

 魔王を殺しても死んだ仲間は帰ってこない。

「さようなら」

 あぁ、我が愛おしき勇者よ。

 その壊れた心で、壊れた世界を苦しみながら生きるがいい。

 ほら、お前の後ろにも狂乱が、笑っているぞ。

 相容れぬからこそ、相容れたい。


 もう勇者ではない。

 菜隠は一人、列車の中から窓の外を見ていた。 

 腰まである黒い髪。

 少し分厚いミルクティー色のフード付きコート。

 足だけは丁寧に並べて。

 外の景色が映っては、流れていくのをただ見ていた。


 腕から手までを覆うのは分厚い手袋と革で出来ているのだろう黒いズボン、黒い紐靴。


 ガタンガタン。

 ガタンガタン。


 時折思い出すように目を細め。

 瞳の表面にだけ、景色が映りこんでは変わり変わり。


 木造の車内。赤いロングシートが列車のラインにそっと。

 窓から差し込む日と影。経線のように交わり、交わり。


 振り返るように窓枠に腕を立て。

 日陰側にすわって窓の外を。

 ぼんやりと、ぼんやりと。

 

 菜隠は勇者だった。

 でもそれはもう昔の話。

 今はもう、勇者じゃない。


 おりし日に会える。


 菜隠がこの世界に召還されたのは、10年も前の事だ。

 ある日突然、当たり前のように召還され、当たり前のように勇者へと祭り上げられた。

 倒すのは魔王。


 菜隠は熱血漢でも、ましてや賢こい者でもなく。

 何処にでもいる、普通の大人しい人の子、ただの少年だった。

 自分が勇者だなんて、とてもとても。


 公務員の父親と、看護師の母親。

 姉が二人の一番下。

 愛されて育ったし、また家族の事も愛していた。

 家族に迷惑をかけたくないから、目立ったことはしないし、非行にも走らない。

 片隅にそっと。

 菜隠は、自分の行いが、家族の責任になる事を理解していた。

 自分の口から漏れたその言葉が、同じ学校に通っていた姉達を傷つけることになると、学習していた。

 些細な、家で姉が呟いた恋の話。

 学校でそれを聞かれたから、素直に答えだけなのに、それだけなのに。

 姉がひどく傷ついたのを、今でも覚えている。


 だからずっと大人しかった。

 また暴力を知らず、そんな度胸もなかった。

 上の姉二人と喧嘩したことは多々あるし両親にだって、文句は言った。

 一番下という理不尽を感じることも多かったし、でもそれは、家族との些細な衝突であり、ただの暴力じゃない。


 学校では大人しく、成績も普通。

 中学では図書委員で、高校でも図書委員。

 昼休みに本を借りたり、読んだり、友達とゲームの攻略の話をしたり。

 そんな大人しい少年だった。


 高校一年の冬、十二月のある日。

 王国へと召還され、勇者へと祭り上げられた。

 賢くも勇ましくもなかった菜隠は、周りにあっと言う間に流されて、何も答えを出さないまま勇者へと担がれていく事になる。

 自分が勇者だということに、嬉しかったのも、周りが押し上げてくれたのもある。

 勇者だけが使えるという特別な魔法を覚え。

 第二王女をけしかけられて。

 ふわふわのブロンド、綺麗な王女を好きになって。


 そして仲間達あてがわれ――旅立った。


 RPGが好きだった菜隠だけれど、現実の勇者は、思ったよりもずっと辛い。

 トイレもあるし、睡眠欲求だってある。性欲だってあるし、共に旅する人たちとの別れと出会いも、怒りも憎しみも、人付き合いもある。


 またゲームの中ではコマンド一つで動いていく戦闘が。

 現実では喉が渇くような焦燥感に襲われ、一秒を長く感じる睨み合いだと知ったときは、臆病風に吹かれた。

 はじめて命を奪ったときの感覚。

 消し飛ぶ命。

 汗と血が体にこびりつき、何日もぬぐえない。

 その臭い。血の、臭い。


 森の中を彷徨い、下痢になって道に倒れ。

 食べるものがなくて飢え、草を噛み。

 仲間だって人間だ。

 文句を言ったり、怒ったり、悲しんだり、裏切られたり。


 ダンジョンと呼ばれる魔物の巣窟の中では、眠ることなんてできなくて。

 キャンプなんてはれなくて。

 安全地帯なんて、そんなもの、どこにもなくて。

 糞尿を垂れ流し。

 動かなくなるまで殺し合い。怖くて怖くて怖くて怖くて。

 殺さないと、殺される事に怯え、正当化し、その衝動におびえ、逃げられないと自分を追い詰めてしまった菜隠は、魔物達を手当たり次第に殺していった。

 戦って戦って。

 おびえるように丸くなって、周りのすべてが動かなくなるまで。

 戦い、戦い、戦い、戦い。

 殺して、殺して、そして勝利したときの安堵感をかみ締め笑い、笑いながら泣いた。

 物陰でおびえる様は勇者とはほど遠い臆病なネズミのようだった。


 戦って戦って。

 手の皮がずる向け。剣が握れない。

 強くなればなるほど、簡単には死なない魔物たちが増え、襲ってくるのもまた、魔物だけではなく、山賊や夜盗、ごろつきや、名声欲しさになど人間の相手をすることも多かった。

 菜隠には、自分を殺しに来た人間を許せるほど、心の余裕があるはずもなく。

 少年だろうと、なんだろうと殺した。

 だって、殺さないと、殺されるから。

 ただ恐怖したのは。

 人がそう簡単には死なないと言う事。

 喉を斬られた男が喉を抑えながら、苦しそうにもがく。

 喉から噴出す血を撒き散らして、喉を斬った菜隠にすがりつく。

 そのときの表情、顔、手の握力。

 忘れられない。

 腹から刃が突きでた男が、ぎらぎらと呪いの言葉を吐きながら、菜隠を睨む。

 腕を斬っても、足を斬っても、呪いの言葉を吐きながら、襲ってきたのは向こうだっていうのに。まるで菜隠が悪であるかのように。

 殺してやる。

 呪ってやる。

 許さない。

 殺してやる。

 殺してやる。

 殺してやる。

 自分が正しいのかを疑い、何が正しいのかわからなくなって、笑えなくて笑えない。 

 それを支えてくれる仲間。

 次々と離れていった。

 使命という名目、心の芯。

 戦いはたやすくそれをへし折っていく。

 雷鱗系魔法という特別な力を授かった菜隠は、魔法になれていけばいくほど孤独になっていった。

 雷鱗系魔法とは、菜隠が元いた世界にいた竜の因子だ。地球では恐竜と呼ばれていた種族のDNA因子、進化の過程で枝分かれしてしまった。だけれど、元は最初の一つ、原初の因子が召喚された世界で変化したもの。

 炎、冷気、風、大地、菜隠はたまたま雷を操る竜の因子を宿していた。

 それらはどれも強力であり、なればこその勇者。

 身体能力は普通の人間でも、この因子によって、菜隠は強くなっていく。

 雷を纏い、または放出する神鳴り(カンナリ)。

 身に宿した因子の力を使い、他者を、自分の細胞を活性化再生させる雷鱗。

 強くなればなるほど、菜隠は他者を必要としなくなっていった。

 一人いれば何でもできる。 

 攻撃も、回復も。

 菜隠がそれを望まなくても、その強さが、菜隠を孤独にした。

 誰しもが成長し、強くなれるわけじゃない。

 レベルなんてない。

 素質も、資質も、血統も、どれだけあっても死ぬ。

 血に魔を宿した魔法使い(アルメラ)と呼ばれる者たち。

 プロメテウスと呼ばれる結晶体を持った僧侶(リシア)

 それぞれ独自の力を持った騎士や傭兵。

 だれしもがだれしも、強くなれるわけじゃない。

 最初は23人いた。

 残ったのは、唯一勇者の行えない魔法、蘇生魔法を所持している僧侶(リシア)と。

 見届け役として、付いてきた貴族、そして盗賊のチェザだけ。

 僧侶(リシア)は、菜隠が勇者として召還されたその時からずっとそばにいた。

 見届け役の貴族。

 後方から金銭的な支援をしてくれる。

 僧侶(リシア)の蘇生魔法。

 これまで何度も行使された。

 でも成功することがなかった。

 僧侶(リシア)はそれでも付いてきた。

 死なないで。

 叫びながら蘇生魔法を行使し、泣きながら死者を弔った。

 森をこえ。

 砂漠を歩いて。

 麦畑のように広がる草原を。

 血と、汗と、糞尿と。

 病気や他者の心と。

 魔窟。

 平坦ではない道。

 ずっとずっと歩いてきた。

 ずっと戦ってきた。

 蘇生を失敗させ、泣きながら、神の名を叫び、もがく僧侶(リシア)

 自分の弱さを嘆き、生まれを嘆き、心が焼けるほど恋焦がれ悲しみにくれる盗賊のチェザ。

 菜隠はチェザが開け張った扉の先を、魔王城を焼き尽くした。

 魔物の群れを焼き尽くした。

 殺戮。

 魔王と対峙し戦う。

 なんのために魔王と戦うのか、菜隠にはもうわからなくなっていた。

 ただ、来て、戦うだけ。

 そこには美しさも、葛藤も、疑問も、なんにもない。

 ただ魔王を殺しにきただけの菜隠がいた。

 ずっと考えていた。魔王と戦う気が菜隠にはなかった。ただ魔王を殺すためだけに魔王城へ来た。

 菜隠は魔王を殺した。

 竜人なんだろう。

 魔王には耳と尻尾があった。

 腹に深く剣を付きたて、魔王の両眼が菜隠を捕らえて離さない。

 お前こそが人間だと。

 人間と呼ぶに相応しい、崩れ落ちるように座り込む。消えることも溶けることもなく、肉の塊となった魔王の、命ない倒れ込む様。

 終わって、泣いた。

 それは正々堂々とした戦いなどではなかったから。

 心を覆ったのは、自分が卑怯者だというレッテルだけ。

 長い間共にいたシシリーとの連携は息をするのと同じぐらい簡単だった。雷鱗系魔法でシシリーの背中へと張り付き、一体とする。気配を消し重さを消し確実に仕留める機会を窺う。菜隠はシシリーが大嫌いだったけれど。

 でも泣いているのもつかの間。

 見届け役の貴族の男。

 若い男が駆けてくる。

 男は魔王の死を見届け。

 そして菜隠の腕を切り落とした。

「なん……で?」

 そんなマヌケな台詞と。

 自分を刺した貴族の嬉しそうな顔。

 あはは。笑える。

 胸を刺されて、目を閉じた。


 ガタンガタン。


 元勇者だった菜隠は、列車に揺られていた。

 10年の間に魔王との戦争に勝利したその国は、新たな王を据えて、発展していった。

 10年前にはなかった鉄道が、今はある。

 一人の魔王がいなくなった世界の中で。

 少年は列車に揺られていた。

 殺されて。

 あの時、腕を斬られ、胸を刺され。

 あの時――貴族の男を見て。

 菜隠の心に宿ったのは。

 怒りでも、憎しみでもなく、喪失だった。

 悲しかった。

 元の世界へ帰りたい。

 家へ帰りたい。

 父と母に会いたい。

 姉に会いたい。

 痛みもなく。

 視界は黒くなっていった。

 死んだと思った。

 何を考えることもなく。

 死んだと思っていた。

 次に目が覚めたとき。

 そこは、魔王城の地下だった。

 暗い四角い棺おけの中。

 蓋が開け放たれ。

 覆いかぶさるガイコツと。

 ねずみがちょろちょろと動く。

 冷たい空気が胸に張り付き。

 悲鳴をあげて、ガイコツを遠ざけた。

 立ち上がり、座り込んだ。

 刺されたはずの胸に触り。

 斬られたはずの腕があることに気づく。

 ぼろぼろぼろぼろ。

 泣いた。

 子供のように。

 いっぱいある。

 いっぱいある。

 どれをどうすればいいのかわからなくて。

 途方にくれるように、菜隠は一人で泣いた。


 自分殺した貴族の事。

 元の世界へと帰りたい事。

 シシリーの事。

 どうして自分が生きているのか。

 どうして自分の胸の傷がふさがっているのか。

 どうして。

 どうして自分の腕が。

 魔王の腕になっているのか。

 一人途方にくれることしかできなかった。

 魔王城の中に何もありはせず、自らの雷で全てが焼けていた。外へ出て唖然とする。世界が灰に包まれ、魔王城の辺り一面すべてを、白い灰が降り積もり染め上げていた。

 主のいなくなった城の中を風が通り抜け魔王の死体すらなく、指が、うまくうごかなくて、魔王の腕、白黒い腕。

 鎧のような鱗に覆われたフォルム。

 尖った指先と、強靭な間接部。

 反り返るような鋭い鱗。


 呆然とするしかなかった。

 シシリーは?

 シシリーなら。

 それから菜隠は一人、途方にくれながら、元来た道を引き返した。

 僧侶、シシリーウォンロットを探して。

 元来た来た道を――。

 残ったのは、魔王の腕と神鳴りの残り香、雷鱗、あとは聖武具聖者の行進だけが棺桶の中に残っていた。

 一年かかった。

 魔王の城から国境へと戻るだけで。

 一人、もくもくと、死んでいった仲間の墓標を辿りながら、王都へと戻った。

 魔王城の巨大な門の片隅で、広がる赤い染みに手を振れ、魔王はいないのに、魔物はいる。ただもくもくと歩いた。

 雪山の中に残した凍り付いた騎士。

 砂漠のサボテンに結んだ赤い布。

 砂虫(サディガン)と呼ばれる砂粒ほどの虫の大群に襲われ、それしか残っていなかったから。墓標代わりに結んだ傭兵達の布。

 どうしたのか混乱してしまう。悲しいのか辛いのか泣きたいのか泣きたくないのか、涙が流れそうになるのに、流れず、嗚咽が漏れそうになるのに洩れず、ただ息が苦しいだけ。


 国へ戻ると、国は様変わりし、鉄道があって列車が走っていた。

 自分のお墓がポツンと。

 勇者が召還されてから十年、魔王を倒してから七年が過ぎていた。

 自分を殺した貴族の男が王となり。

 昔好きだった第二王女がその隣にいた。

 子供は二人。

 小さな女の子、新たな王女が母の裾を掴み、笑っていた。

 王妃となった王女が腕の中に赤ん坊を抱えて微笑んでいた。

 世界でもっとも優れた人の中の王として存在していた。

 まぶしく、力強く、自分を殺した相手なのに。

 泥臭さも、腐敗もなくて。

 恨めなくて。

 その姿を見るたびに、傷ついて。

 リシアを、シシリーウォンロットを探した。

 けれど彼女が見つかることはなかった。

 勇者と共に死んだと記述され、聖女として祭られていた。

 大きな像、教会の片隅に全然似ていない彼女の像が鎮座していた。

「彼女はどうなったのですか?」

 勇者の問いに、教会の者は答える。

「彼女は勇敢に気高く戦い、魔王に敗れて帰らぬ者になった――と、あら、それは――」

「レプリカです」

 彼女の何を勇敢に思い、彼女の何を気高く思ったのか知らない癖にとナインは心の中で悪態をつく。彼女の使用していたものとして聖者の行進がガラスケースに飾られていた。

「そうですね。見てくださいこの神々しさ、まさに神に仕える者の神器です」

 魔剣とぶつかり合い傷だらけとなり、ところどころが欠けてしまった菜隠の持つ武具と、ガラスケースの中の綺麗な武具を見て、聖女はそう語った。

 大嫌いな彼女だったけれど、確かに生きていたはず。

 彼女の墓へと手を伸ばし、やめた。

 元の世界へ帰りたい。帰りたい。

 元の世界へと帰る方法を探すため、王城へと侵入し。

 でも、でも。

 元の世界へと帰る方法なんてなかった。

 召還法は無数に存在する異世界から無作為に一人召還するというもので、送り返す方法などなかった。ナインを召喚するに当たり692人もの人が魂を対価として捧げていた。

 帰れない。

 帰れるって。

 帰れるって。

 世界は無数にありすぎて特定できない。

 世界を渡るには一人の生命が一生に奪うであろう魂達が必要。

 誰でも良かったんだ。

 この世界の人間でさへなければ。

 この世界の人間でさへなければ、因子の発現により強力な戦士になる可能性がある。

 

 今の王にも、そして王妃にも、菜隠は会いたくなかった。

 怖かった。

 裏切られたということが。

 マヌケだと言われることが。

 シシリーが自分と同じように殺されたのだと知ることが。

 今の世界が腐敗していたならば、菜隠は王を呪っただろう。

 でも魔王はもういなかった。

 ガタンガタン。

 ガタンがタン。 

「ご乗車、ありがとうございます。まもなく終点、終点交易都市ウーシュカ。ウーシュカでございます。お荷物お忘れなきようお願いいたします。なお、この列車は、車両点検、荷物積み替えの後、各駅停車のち、終点王都リンドウルムへと出発します。ご乗車になるさいは、駅構内受付にて、切符を買っていただきますよう、お願いいたします」

 召還された時に着ていた、姉のお下がりのコート。

 城の中で見つけたそのコートだけが。

「あんたのコート、古いからあたしのコート使いな」

「でも姉さん、これお気に入りのコートじゃ」

「新しいの買ったからお前にやる。今のコート、ポケットに穴が開いてるし寒いだろ」

「いいの?」

 姉が弟の頭を撫でる。まるでお前が大切だと言わんばかりに。

 ぽたり。

 窓の向こうは水で歪んでいた。

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