酒瓶の魔神
さて。
あるところに、酷くお酒の大好きな男がおりました。男はあまりにお酒を呑むので、すぐにお金は底を突きます。嫁にいくら怒られてもお酒をやめないので嫁は子どもを連れて家を出ました。それでも男はお酒はやめません。生活が苦しくなってきました。それでも男はお酒はやめません。いつもお酒を呑んでべろべろなので、仕事もクビになりました。それでも男はお酒はやめません。とうとう誰からも見放されて、ひとりぼっちになりましたが、それでも男はお酒はやめません。
男しかいなくなった家の中は、空になった酒瓶でいっぱいです。その空瓶の真ん中に胡坐をかいて、男は今日も昼間からお酒をぐいぐい呑みます。
「――っくそぅ、もうカラになりやがった。新しい酒は、酒、酒……」
男はカラになった瓶を捨て、がらがらと瓶を探ります。
「くっそ、ねェのかよ新しい酒はよォ……」
やがてようやく、新しい酒瓶を見つけ出しました。都合よく未開封です。
「よっしゃ、へへ、あるじゃねェかよ、新しい酒がよォ」
ひひ、と笑いながら男は嬉々として酒瓶を開けました。すると、
「うわ、何だ、煙?」
開けた酒瓶からもくもくと煙が立ち上りました。思わず咳き込む男の目の前に、みるみるうちに煙が集まっていくと、何とその煙が人の形を取っていきました。
現れたのは、がっちりと腕を組んで仁王立ちする筋骨たくましい大男でした。
【よくぞ我を呼び出した。我こそは酒瓶の魔神である】
地の底から響くような低い声で、魔神は言いました。初めこそ尻もちをついて戸惑っていた男でしたが、我に返ると魔神をそっちのけで酒瓶を引っ繰り返しました。
「おい、何だよカラかよ。けっ、しけてやがる」
【話を聞け】
「酒は? 酒はどこだ!? おい‼」
男は喚きます。全く魔神の話を聞く様子はありません。魔神は酒を求めて暴れる男を呆れた目で見下ろしてから、重々しく言いました。
【我は酒瓶の魔神だ。我が封を解いたお前に褒美として、我がお前の願いを三つまで聴いてやろう】
酒瓶を抱いて何やら怒鳴っていた男でしたが、魔神の言葉を聞いて動きを止めました。
「何だって!? 何でもいいのか。願い事を? 三つまで!?」
【ああ。何でも言うがいい】
重々しく頷く魔神に、さしもの男もちょっと考えました。何でも願いを聴いてもらえるだって? それなら、飛び切りいいやつを言ってやらねば損になるじゃないか。
「へへ……それじゃあよう、魔神さんよ。まずはひとつ目の願い事だ」
【何だ】
男はへらへらと揉み手をしながら言います。
「まずは女だよな。前のカミサンなんかよりずっと別嬪な、とびっきりの女が欲しいな」
【成程、女か。よくある願いだな】
魔神は何でもないことのように頷きます。続いて、すぐに男はふたつ目の願いを考えました。
「ふたつ目だ……金だ。へへ、金だよう魔神さん。使っても使っても使い切れねェくらいの、莫大な金をくれよ。仕事なんざしなくても済むくらいに、どえらい大金だ」
【ふむ、金だな。それも定番どころだ】
淡々と、魔神は言います。拒否されないことで気をよくし、さらに勢いに乗った男は、三つ目の願いを魔神へ言いました。
「三つ目は酒だ! 金よりももっとたくさん、呑んでも呑んでも呑み切れねェくらいに、たっくさんの酒が欲しい!」
【ほう】
「それも、ただの酒じゃねェぞォ。古今東西、この世のありとあらゆる旨い酒を、これまた旨い肴と一緒に、いつでもどこでも呑めるようにするんだ。すっげェぞォ、俺は酒に溺れて死ぬのさ!」
大きく両腕を広げて、男は天井へ向けて呵々大笑します。思えば酒のせいで崩れていった人生でもありましたが、これで男の人生は薔薇色も同然です。勝ち組です。これからは好きなだけ酒を呑み、美女を抱き、酒に溺れて死ぬのです。男は来る未来を確信し、思い描き、その顔は既にだらしなく緩んでいます。
そんな男の様子を気だるげに見ていた魔神は腕を組んだまま重々しく言いました。
【美女、金、酒。約束通りお前の三つの願いはしっかりと我が聴いた。どれも取るに足らない願いではあるが、夢を持てるのはいいことだ。今後、それらを現実のものに出来るよう精々精進するといい。では我はこれにて失礼する――全く、酔っ払いの世迷言を聴くのは面倒だ】
言うなりどろんと煙を上げて、魔神は跡形もなく消え去りました。
煙の晴れた後に残されたのは、空の酒瓶の散乱する部屋で両腕を広げたままぽかんとしている男だけでしたとさ。