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村娘と化け狐

 さて。

 あるところに、山に囲まれた小さな村がありました。家の数は十軒ほど、それぞれが小さな畑を耕して平和に生活しておりました。

 しかしあるときから、周囲の山で化け狐のうわさが立ち始めました。化け狐はそれはそれは大きな狐で、人を襲って食うというのです。既に旅の者が峠で襲われ、食われてしまう事件も起きていました。そしていよいよ、とうとう村の住人にまで食われた者が出たのです。

 村人たちは恐れ、おののき、嘆きました。退治しようと若者たちが山へ入っていきましたが、二度とは帰ってきませんでした。どうしようもなくなった村人たちは、ただ隠れ、息を殺している他ありません。村は昼間でもひっそりとするようになり、畑もみるみる荒れていきました。夜になれば村のどこかから悲鳴が響きます。誰かが化け狐に食われてしまっているのでしょう。その頃には化け狐は何のはばかりもなく村に出入りし、適当な家を襲っていました。

 その村のはずれに、娘がひとりおりました。粗末な家の多い村の中でもいっとうさびれた家に、たったひとりで住んでおりました。娘の父が流れ者で、村に住人として入れてもらえず、失意のままに亡くなってしまっていたのです。残された足の悪い娘は、自分の手で畑を耕すこともできず、村人たちへ物乞ものごいのようにして暮らしていました。

 その娘のいる家へ、とうとう化け狐がやって来ました。

 昨晩食った家の人間が、食われる寸前に化け狐へ言ったのです。「我々を食うのなら、それより先にまずあの流れ者の娘を食え」

 今晩はその娘を夕餉にしよう。化け狐はそう考え、月の眩しい晩に挨拶もなくそのあばら家へ入り込みました。

 話に聞いていた通り、娘はひとりでいます。本当に足が悪いようで、その足には生気せいきがありません。ゆらゆらと弱々しく揺れる囲炉裏いろりへ向いて、こちらに背を見せ、何か作業をしています。その背へ、一歩近づきました。みしり、と床板が鳴りました。

「だれ?」村娘が向こうを向いたまま静かに問いました。しかしこの家を、しかもこんな時間に訪ねてくる人間が村人であるはずがありません。「……あなたが、化け狐?」

「そうだ」短く、低い声で化け狐は答えました。そう、と娘はやはり背を向けたまま言います。

「私を、食べに来たの?」

「そうだ」

 再び、化け狐は短く答えました。ゆっくりと近づき、そのせ細った背に近づきます。そう、と娘も同じように頷きました。

 いよいよあと一歩というところまで近づき、ひと呑みにするべく化け狐があんぐりと大口を開いたところで、ふと村娘が言いました。

「……私、もし食べられるのなら、好きなひとに食べてもらいたいの」

 奇妙なことを言う、と化け狐は思いました。しかし、知ったことではありません。

「そうかい。だがそんなこと、俺には関係のないことだ。だから遠慮なく、食わせてもらうよ」

「ええ、どうぞ」

 短く、娘は答えました。それからそっと、両手で自分の顔を覆います。

 指の隙間からこぼすように、震える声で、小さく言いました。

「――不味かったら、御免なさい」

 思わず、化け狐は動きを止めました。娘を食おうとしていた口を閉じ、そっと、その痩せ細った背へ鋭い鉤爪の生えた手を伸ばしかけ――しかし、やはり動きを止めます。

 娘は、動きません。

 化け狐もまた、動きません。

 どれほど時間が経ったでしょう。

 囲炉裏の炎が燃え尽きました。

 あばら家に、化け狐の姿はありませんでした。

 顔を手で覆った娘は、そのまま、ぽつりと言いました。

「……失恋かなぁ」


 その後、その村からも、周囲の山からも、化け狐の姿は消えてしまいましたとさ。


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