神々問答
さて。
あるところに、遠方から帰宅途中の男がおりました。とある山中に差し掛かったところで日が暮れてしまい、やむなく野宿することにした男は、道中偶然見つけた大きな木の洞で一夜をやり過ごすことにしました。
深夜に差し掛かったところでしょうか。男はふと誰かの話し声で目を覚ましました。しかし、ここは深い山の中です。人の声のするはずがありません。男が寝たふりをしたままそっと窺うと、洞の奥でふたりの老人が向かい合って話をしています。
「儂が思うに」胡坐をかく足に届くほど立派な髭を蓄えた老人が言います。「お前とどちらが偉いかと言えば、儂の方が遥かに偉いはずだ。なぜならば、儂はこの山と同じだけこの世におるのだからな」
「そうは言うが」一方で、顔の半分ほどまでを覆う立派な眉毛を蓄えた老人も言います。「儂がおらなんだら、お前などただの禿げた丘にすぎぬだろう。木々が堂々と棲んでおるお陰で、お前は山として威張っていられる。だから儂の方が偉いに決まっている」
黙って聞いていれば、どうやらふたりの老人の話はこのままで堂々巡りをしています。男は障らぬナントカに祟りなしと狸寝入りを決め込んでおりましたが、ふと話の矛先がこちらへ向きました。
「己自慢をしてばかりでは埒が明かぬから、ひとつ腕比べをしてみようではないか」
髭の老人が言うと、「ほう、何かな」と眉毛の老人が乗り気です。髭の老人は、ついっとその節くれだった指で寝ている男を指し、
「そこに寝転がっている男。それが明日、どうなるかを予見してみせよう。予見比べだ」
「いいとも」
快諾した眉毛の老人と髭の老人は、じっと男を見つめてきます。いよいよ居心地が悪くなってきたところで、先に髭の老人が口を開きました。
「では。そこの男、あれは明日、この山を出る寸前で熊に襲われて死ぬ」
「おいおい、それではお前に有利ではないか。いくらでも細工の出来ようぞ」
「儂の見たまでを言うたまでだ」
不平を言う眉毛の老人に、髭の老人はすましています。ならば、と続いて眉毛の老人が口を開きました。
「そこの男、明日山を出る寸前で熊に襲われるが、木の根に躓いて助かる」
「おいおい、それこそお前に有利であろう。細工しようとは卑怯なり」
「なんの、これも儂の見たまでのこと」
「では明日、そこの男が熊に襲われて死ぬれば儂の勝ち、木の根に躓いて助かればお前の勝ち。これでよかろうな」
「よかろうよかろう」
お互いに多少の不満はあるようでしたが、どうやら話はまとまったようです。様子見じゃ様子見じゃ、とふたりの老人はどこかへいなくなりました。
割りを食ったのは男です。偶然そこにいただけのことで死を予見されてはかないません。熊にだけは会いたくないな、と思いながらの翌朝。びくびくしながら下山して、やれようやく出られるというところであろうことか熊とばったり出くわしました。
「うわ、熊だ」
男は慌てて逃げようとしますが、熊に勝てるわけがありません。あわや熊のビンタで昇天しようというその瞬間、昨夜の老人の話を思い出して咄嗟にわざと木の根に足を引っかけ、顔から思いきり転びました。すると熊の腕は男の向こうにあった大木を大きく抉り、自分を支えられなくなった大木がめきめきと音を立てて倒れたかと思うと、熊の脳天に直撃しました。
這う這うの体で男が抜け出してみると、何と熊は頭をかち割られて死んでいます。
やれ助かった、と男はその熊を土産に担いで帰り、家の者たちに熊鍋を振る舞いましたとさ。