少女
次の朝、私はいつもの様に出社した。それから、今日の十時をどのように過ごすべきかを考えた。そのうち、スタッフも出社してきて、それぞれ担当の仕事場へと向かって行く。私は一人会社に残された。少女はここへやって来るのか?ここでは、ただ事務処理や電話対応をしているだけで、直接客がやってくることなどはない。少女どころか社員以外の人間がここに立ち入ることはないのだ。頭の中でいろんな可能性をシュミレートしてみるがどれもしっくり来ない。そうしていると、突然電話のベルが鳴った。
「仲井さん、大変です!お客様がツアーの途中でいなくなってしまって。」
「なんだって!場所は?」
「東京タワーです。」
電話してきた彼女は今にも泣きだしそうだ。
「とにかく私の方で探してみるから君はそのままツアーを続けてくれ。」
私はパソコンを開き、失踪したという客の情報を引き出した。片桐玲。三十代の女性で一人での申し込みだ。記載の連絡先に電話を掛けてみるが全く繋がらない。急いで現地へと向かう。顔写真などが無いため、見つかる可能性は極めて低いが、じっとしているわけにもいかなかった。
東京タワーに着くと一階のホールから捜索を始める。平日ではあったが、観光名所ということで中は人で溢れ返っていた。会社のロゴが入った旗を掲げ、名前を呼び続ける。各階のフロアを回り、展望台までやって来た。
「片桐様いらっしゃいませんか?」
ここでも同じように叫び続けるが、いくら叫んでも反応は返って来なかった。半ば諦めて、展望台の手すりに寄り掛かる。
「何をそんなに必死で叫んでるの?」
声がした方を見ると一人の少女が立っていた。上着を羽織っているが、その隙間から学生服が見えている。面倒くさい子が絡んできたと思い、何も言わずに立ち去ろうとした。
「私が片桐玲よ。」
しかし、その形はどう見ても高校生だ。
「私が捜しているのは三十代の女性だ。君は高校生だろ?」
そう言うと、彼女はバッグから携帯電話を取り出し私に突きつけた。
「三十代っていうのは嘘。適当に書いただけだもん。」
着信履歴に会社の番号がずらっと並んでいる。私は深く溜め息をついた。
「なんでこんなことを?」
「だって、高校生が平日に旅行に申し込んだりしたら止められそうじゃん。」
黒髪で清楚な感じの少女だが、しゃべり方はその姿にふさわしくないように思われる。
「年齢もそうだが、何でツアーを途中で抜けたりしたんだ?」
「こっちにもいろいろあんだよ。」
「いろいろって何だ?家出か?」
「・・・。」
図星のようだ。このツアーは近隣の県民をターゲットにした日帰りプランだ。確か今日の出発場所は長野だ。
私は彼女を展望台に併設されたカフェへと連れて行き話をすることにした。
「どうして家出を?」
「あんたには関係ないでしょ。」
「まあ、私には関係ないかもしれんが、親が心配するだろう?」
「良いわよ、別に。」
「なんでそんなことを言うんだ?親が嫌いなのか?」
「別に。ただ私は自由になりたかっただけ。家にいたら親の言うことをこなすだけで、好きなこともできやしない。」
「君はまだ子供だ。きっと、君のことを思って・・・。」
「違う!ただ自分の幸せを私に押し付けているだけ。娘の為にこんなに一生懸命なんだっていう親のエゴ。ただの自己満足よ。」
少し強い口調で言い放つ。
「私の親だけじゃない。大人はみんなそう。あなたの為とか言っといて、本当はみんな自分の為なのよ。」
自分のことを振り返ってみると彼女を否定はできない。
「それじゃあ、君の為っていうのはいったいどういうことをいうんだ?」
「私はもっと現実を知りたいの。自分の思いだけを伝えて、都合の悪いことは隠して、それが私を決まりきった人間にしている。本当はもっと世界は広いはずなのに、いろんな価値観が溢れているはずなのに、私ももっと可能性を広げられるはずなのに。心配なのはわかるけど、もっと私のことを信じて欲しい。私はもう自分で立って歩けるの。」
「そうだな。でも、君が家を飛び出したのは完全に君のわがままだろう。君の親はきっと本当に心配してる。それだけは絶対に自己満足の為じゃない。」
「分かってる・・・。ただ、もうちょっと私のこと分かって欲しかっただけ。すぐに帰るつもりだったし。」
彼女は思ったよりもずっと大人だったようだ。親に連絡を入れさせ、彼女を観光バスのところまで送り届ける。
「今日はゆっくり東京観光していけよ。」
「うん、またね。」
彼女はあっけらかんとそう言って笑った。
「もう二度と来るなよ。」
笑いながらそう返すと、彼女は横に首を振ってツアー客の中に紛れて行った。 時計の針は間もなく十一時を指そうとしていた。