中年勇者のおままごと
偉大な魔の王の軍勢を退けて10年がたつ
王からは広大な領地を拝領し、栄誉を称えるウィンの名まで頂戴した。
だが広大な領地がもたらす富だけでは人は生きてゆけない。
勇者の名に恥じぬ行動を人心は求め、俺もそれに答える義務がある。
やるべきことは気ままな勇者の頃と比べ何倍にも増えた。
それもやむを得ないことなのだ。
俺が勇者として戦ったのは国を平和にしたいが為だ。魔の王を倒すことはそのための過程に過ぎないのだから。
しかし今目の前でお行儀良くスープを口に運ぶ7歳の娘ミムはやむを得ないなどとは思っていないらしい。
妻と同じ金髪を持つ俺の大事な一人娘だ。
もう長いこと忙しさにかまけて全く相手をしてやっていない。一緒の朝食など何ヶ月ぶりだろう。
今も会話どころか挨拶さえ交わしてくれない。
久しぶりの娘相手の会話にドギマギするとは我ながら情け無いはなしだ。
「どうだ?ミムはもう学校には慣れたか?」
『モムモム』
娘はパンを口に運ぶ
「ミムはお母さんに似て美人だからモテるだろう?ラブレターとか貰ってるんじゃないか?ハハハ……」
『シャクシャク』
娘はサラダを口に運んでいる
口の中に物を入れたまま喋るのははしたないと教育してきたからな(妻が)
う、うん、我が娘ながら躾の行き届いたレディーに育ってくれたものだ。
今度は娘の口に何も入っていないことを確認してから話しかける。
「お、お父さんも昔はモテたんだぞ?魔法使いと召喚師。2人のレディーに求婚されてな……」
……これは酷い!俺は娘相手に何を口走っているんだ……
その時妻がデザートのフルーツを手にテーブルに着く。なんというバッドタイミング! 今の会話は完全に聞かれていただろう。妻は俺が魔法使いに求婚されたことは知らないはずだ。
「いや、いまのはそういうんじゃなくて……」
先程の言葉を取り消そうとする俺を、妻は一瞥もせず娘との会話に花を咲かせる。完全に怒らせてしまったようだ。
のど元まで言い訳が出るが、朝食のテーブルに乗せるには少々油がきつすぎる。後できちんと言い訳しよう……
しかし妻と会話する娘は本当に楽しそうだった。
庭に咲いた花の話
どうしてもうまくいかない編み物の話
友達が川に落ちてビックリした話
どれもこれも他愛の無い話だが妻は柔らかな笑顔でそれを聞き、ときに驚いたり笑ったりする。
娘のキラキラとした笑顔と妻の優しげな瞳に、俺は胸の奥に鈍い痛みを感じる。
娘のあんな笑顔を俺は見たことがあったか?
どれほど偉大な業績を立てようと立派な称号を得ようと、たった一人の娘さえ笑顔に出来ずなにが勇者か。
俺はこの時よほどひどい顔をしていたのだろう。娘が、ミムが心配そうな瞳を俺に向ける。
同時に妻の姿がゆらりと揺れ朝日に透ける。妻はその身を徐々に空気の色に溶けさせる。
妻の姿が消えていく
ミムが心を乱したせいだ。伝説の召喚師の娘とはいえ心はまだ7歳の少女だ。
しかしたとえ親馬鹿と言われようと、7歳で心の中の母親をここまで再現して召喚できる者など国中を探してもいないと断言できる。
ミムは俺と伝説の召喚師の娘だ。
妻の姿はもう目を凝らさないと見えないほど薄く儚く消えようとしている。
その姿が完全に消える間際、俺に向いその唇を開く。
「あなた。いつもお仕事ご苦労様。今日は久しぶりのお休みなんだから、ミムのことは私に任せてゆっくり休んでね」
妻の……いや、ミムの言葉に思わず俺は我が娘を強くその手に抱きよせる。
俺の頬には熱い涙が伝っていた。
「痛いよ、お父さん……」
ミムの顔は少し照れくさそうだった
・・・
・・
俺はそれから朝食は必ずミムと一緒にとる事にしている。
ミムも今では母の幻を使っておままごとをすることも無くなった。
「それでね!教室に小鳥が入ってきて先生の頭に止まっちゃったの。先生は大騒ぎして追い掛け回して……」
娘の笑顔に壁にかけられた妻の肖像画が少し微笑んだ気がした
おわり