或る日常
それは、初めて彼女に与えられた栄誉だった。数ある中から彼女が選ばれたのだ、それは誇ってよい事だった。
だから、彼女は誇らしい気分ととともにその任務を受け入れたのだった。
*
「…餌だ」不承不承と言うような感じで男は犬小屋の前に餌皿を置いた。餌皿に盛られたその内容は犬にはあるまじき豪勢な内容ではあった。
「わん」しかし、動物にあるまじき甘ったるい声で彼の目の前に現れたのは犬では無く、首輪をつけた女だった。あらわれた彼女は従順に次の指示を待っているようであった。
「…何度も言うが、せめて動物形態で出て来てくれないか」それは要請と言うよりは懇願に近いため息だった。
「わん」それへの返答は次なる要求だった。「…良し」ため息をつきつつ不承不承といった呈で男がぼそりと言うと彼女はためらうことなく、というよりも嬉々としてその美貌を餌皿に突っ込むと、食餌を開始した。
「主様、お茶が入りました」そこに、つ、と静かではあるがよく通る声が背後から響く、声の主は目の前で展開される光景に動じた風もなく爽涼として己が役目を果たす。
「マスター、お早う御座います。って凪姉様、それは私の役目です。それに葉月も、あいも変わらず何やってるんですか、そんな事やっているからマスターの評判が悪化するんです」と言いつつその身体には不釣り合いな制服を着た少女が慌てた様子で、外靴を履いて、縁側から庭に出ようとしたところで、足元で急速に盛り上がった土饅頭にけつまずいた。
「お〜はようございますですぅ、清々しい朝ですぅ、今日も元気イッパツ、張り切ってイキましょう」地面土饅頭から器用に上半身だけを出したメイド服の女がのほほんとした声を発し、目の前で顔面から突っ伏す少女を見て一言「…神無ちゃん、何を地面に呑気に寝て居るんですか? …縞縞パンツですか」とか加害者の自覚の無いことをのたまう。
制服のスカートを抑えて顔を真っ赤にして、文句を言いかけた少女の横を全身をフードで覆った怪しい人影が「おやすみ〜」と気怠げな声を、手に持った携帯ゲーム機のボタンをそこだけはせわしなく動かしながら通り過ぎようとして、その襟首を少女につかまれる。
「シェリルっ!! そんな格好で朝帰りとかしないで下さい、あなたたちのせいで、ご町内の皆様方にどれだけの娯楽を提供している事やら」
「あ〜、もうっ! 源十郎様も、なに諦めきったため息ついているんですかっ、しっかりして下さい」
「だ〜からシェリルっ、外套引きづったまま家に入らないで、掃除がぁぁぁぁ」
その傍らでは、「主様、襟が曲がっておられます」と緋の袴を履いた長身の巫女がかいがいしく男の世話をやいていた。
「あ〜〜〜、凪姉様、だから、それは私の役目ですってば」
それはありふれた日常の光景ではあった。どんなに近所のおばさま方の好奇の視線にさらされようとも、それが彼らにとっての日常の光景であった。




