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文学部石川助教授の静かな日々

佳乃子さんのやってられない話

作者: 桐原草

 桐原草さんの本日のお題は「薬」、重苦しい作品を創作しましょう。補助要素は「店」です。 #njdai http://shindanmaker.com/75905

 軽いノックの音をたてて、研究室のドアが開いた。

「こんにちは、クマいる?」

 そう言って入ってきたのは、学内美人コンテスト開いたら今でも一位になるんじゃないかと密かな噂の、フジコ先生である。以前開催されていたときは、学生の候補者を押しのけて連続4回優勝の記録を打ち立てていたらしい。学長が変わって、学祭でコンテストを開かなくなったので、その記録は塗り替えられることはなかったが。余談であるが、現在の学長は「お局」というのがあだ名である。


「クマ先生なら出て行かれましたよ。ついさっきだから追いかけたら間に合うかもしれません」

 クマ先生のゼミには珍しい、この4月から大学院に進学予定の佳乃子さんがPCの画面から目を話さずに答えた。

「ふーん、まあいいわ。熱心ねえ。何してるの?」

 フジコ先生は佳乃子さんの画面をひょいと覗き込んだ。フジコ先生は全く違う学部の助教授であるが、クマ先生と浅からぬ因縁があり、こうしてクマ先生の部屋にも時々訪れるのだ。クマ先生はフジコ先生の部屋に入り浸っているといってもいいほどであるのはさておいて。


「新しいゼミ生の名簿です。作っておくように頼まれまして」

 相変わらずPCから目を離さないようにしながら佳乃子さんが答える。

「ああ、名簿ね。クマも忙しいからね」

 何の気なしにはいた言葉であるが、佳乃子さんは敏感にとらえて顔をあげた。

「どうしてですか? また出張でも?」

「違うわよ。今度クマが教授になるでしょ、それで色々と忙しいんじゃないかと思っただけ」

 フジコ先生は軽い世間話のつもりだったみたいだが、佳乃子さんには相当ショックだったようで、みるみる顔色が変わった。

「えっ、教授に? どうして? 私、聞いてません」


「文学部は教授の退官があったでしょ、だからよ。アタシが遅れている訳じゃないんだから」

 クマ先生に先に教授昇進されてしまったフジコ先生は、聞かれてもいない言い訳を口にしながら、テーブルの上に置いてあった桜饅頭をひとくちつまむ。

「あら、おいしいじゃない。クマもお洒落なお菓子を買うことがあるのね」

 佳乃子さんは、それは私が買ったものです、と言う言葉をやっとのことで飲み込んだようだった。それより聞きたいことがあるとばかりに、初めてフジコ先生に向き直った。そしてフジコ先生の手にしている紙袋を発見してしまった。

「それ……」


 フジコ先生は佳乃子さんの目が自分の左手に注がれているのを見て、居心地悪そうに言う。

「ああ、これ? これはちょっと包丁で怪我しちゃったのよね。何でもないから大丈夫よ」


 佳乃子さんとしては、フジコ先生の持っている男性ブランドの紙袋に反応していただけなのだ。あれはクマ先生の昇進祝いかしら、私知らなかったから用意してない、どうして教えてくれなかったのかしら、そういえば先生の好きなブランドも知らない、と次々わいて出てくるどんよりした思考を振り払うように、佳乃子さんはフジコ先生に話しかけた。

「お料理して怪我しちゃったんですか?」


 佳乃子さんとしては世間話のつもりだった。フジコ先生はお料理全くしないはずだから恥をかかせてやろう、等とよこしまな考えで口にしたのでは決してない。しかしフジコ先生はうろたえて言わなくていいことまで言ってしまった。

「ち、違うわよ、クマにケーキを焼いてあげようなんて考えたんじゃないから」

 昇進祝いにケーキを焼いてあげようとしたんだ。それがだめになったからネクタイにしたのかな(丁度ネクタイが入るくらいの大きさの紙袋だった)。また要らないことを考えて、佳乃子さんは余計に落ち込んでしまった。


「クマ、帰ってこないわねえ。帰ってきたら連絡しろって言っといてくれる?」

 そう言ってフジコ先生が立ち上がったので、反射的に佳乃子さんは答えた。

「わかりました。薬局に行かれたのでもうすぐ戻られると思いますけど」

 それを聞いたフジコ先生は立ち止まって首をかしげる。

「薬局? クマでも風邪引くのかしら」

 言いたい放題のフジコ先生に少し佳乃子さんは腹を立ててしまった。

「違います。先生、最近毎食後にお薬を飲んでらっしゃるんです」

「ふうん、病気?」

「さあ。でも最近ちょっとお痩せになったような」

 フジコ先生はそれを聞いてそわそわし始めた。


 そこにいつものスリッパのぺたぺたいう音を響かせて、クマ先生が登場した。

「なんや、こっちにおったんかいな。アンタとこ行ってしもたがな」

 遠回りやったなとつぶやきながら、佳乃子さんの買ってきた桜饅頭をぽいっとつまみ、まあまあやな、お茶でもいれよか、とフットワーク軽く動き出す。


「あ、私が入れます」

 と佳乃子さんが言うのと、

「アンタ、どっか悪いの?」

 ほぼ同時にフジコ先生が言った。


「ん? ワシはどっこも悪ないで。アンタやんか、怪我してんの。消毒薬と包帯買うてきたから、手え、出し」

 よく見ると、フジコ先生の左手の包帯はかなりぶきっちょにゆるゆるに巻かれている。クマ先生は慣れた手つきで消毒し、包帯を器用に巻きなおした。


「最近お薬飲んでるんだって?」

 美しく包帯が巻きなおされた左手で湯呑を取り上げて、さりげなくフジコ先生が聞く。

「うん? ああ、花粉症や」

 そんなことより芋ケンピも買うてきたで、どうや、と、袋をごそごそ言わせながら取り出そうとする。


「アタシはもう結構。それやりアンタ、たまには着るものにも気を使いなさいよ」

 フジコ先生がは例の紙袋を桜饅頭の横に置いて立ち上がる。去っていく後ろ姿は、佳乃子さんにも悔しいけどきれいだなと思わせるに十分で、佳乃子さんはもう一度落ち込む。


「なんやこれ」

 クマさんは紙袋を開けてみる。と、佳乃子さんが思った通りの、春らしいやわらかい色遣いの、でも砕けすぎない感じのいいネクタイ。

「なんでこんなもん?」

 クマさんがいつまでも頭をひねっているので、佳乃子さんは仕方なく助け舟を出す。

「先生へのプレゼントですよ。教授になられるそうで、おめでとうございます」


 それを聞いたときのクマさんは見ものだったと、ずっと後になってから佳乃子さんは友達に打ち明けている。

「真っ赤になったクマさんなんて初めて見たわよ。耳まで真っ赤なのよ。もう好きにして、って感じよね」

 でも、佳乃子さんはその顔を見ながら固く決心したそうだ。「今年中に彼氏を見つける!」


 佳乃子さんはその宣言通り合コンを繰り返して、一年後にはめでたく彼氏をゲットするのだが、それはまた別の話。今はただご一緒に、めでたくこの春より石川教授となられるクマさんの僥倖を、ともにたたえようではありませんか。


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