笑える話
ある戦争、ある兵士の心境です。
銃弾を発射させたときのこの感覚がたまらない。それは次の瞬間に数百メートル先の目標物に着弾する。
スコープ越しに見える目標物は着弾後、まるで電源を急にオフにされたロボットの様に一切の行動をやめてガラクタの様に倒れてしまう。
僕には一つのこだわりがあった。それは頭を狙うということ。
戦場において、僕のようなスナイパーは特に頭を狙う必要などない。頭は的が小さい上に、じっくりと狙っている暇もない。だから体、胴体を狙って動けなくさえしてしまえばいい。
だけど僕はいつも頭を狙う様にしている。もちろん一撃で確実に殺すために。
頭に弾丸が着弾したら、まず生きているヤツはいない。特に奴らはヘルメットさえしていないのだから。それにヘルメットをかぶっていたとしても僕に支給されている最新型のライフルにかかってしまえば、それはただの帽子になる。
別に殺戮を楽しんでいる訳じゃない。
僕は目標物を確実に殺そうとしているが、それは楽しくてやっていることでは無いし、今までそんな快楽のような感情を抱いたことも無い。
でももしかしたらそれは、僕が人を殺すことに飽きてしまったから、なのかもしれない。
僕はこのスコープを覗いて、もう何年になるのだろう。この戦争はもう、何年続いているのだろうか? もはやもう月日の感覚なんてなくなってしまっていた。
平和だった頃、戦争の映画やなんかに「誰がこの戦争を始めてしまったんだろう?」とか兵士が叫んでいるのをみたことがあるが、実際戦争を初めてみると、もうそんなことどうでもいい。誰が始めたかなんてわからないし、そんなことがわかったところで、戦場で生き残れる訳じゃない。
戦争が始まったとき、僕にも一応戦う理由があった。信念とでも言うのだろうか? 守るための戦いだとかなんとか。
でもそんなものは、初めて劣勢の立場になって死が目の前を横切ったとき、綺麗に吹き飛んでしまった。
信念? 今思うとそんなもの、一時の感情に過ぎなかった。自分が今どこにいるのか、そのときようやく分かったのかもしれない。
もちろん戦場になんてもういたくなかった。戦争なんてやめたかった。でも戦争は続いていて、僕は戦場にいた。
逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。戦場から回れ右して、必死で逃げればもしかしたら逃げ切れて、僕は戦争をやめられたのかもしれない。
でも僕はそれをしなかった。なぜだろうか? 一人で逃げるのか怖かったから? それとも、もう逃げるには、人を殺しすぎていたからか?
そのとき僕の近くで固いものが木にぶつかる音がした。
手榴弾だ。
僕は射撃姿勢から素早く体を起こし、近くの岩陰に飛び込む。それでも激しい空気の振動が体を打ち付け、一瞬意識が飛びそうになる。
僕は手に縛り付けているライフルを抱えなおすと、暗がりの林の中で周りの状況を探る。
もうこの場所は見つかってしまった。だからといってどの方向に逃げればいいのか。周囲はもう囲まれてしまっているだろう。今ので足をヤッてしまって、次に手榴弾を投げられたらもうさけることはできない。
頼る味方なんて既にいなかった。僕の所属していた部隊はもう僕一人。
残りの弾薬はたしか3発だったか。片腕はもう吹き飛んでいた。残った手も薬指しか動かない。
天才なんてはやし立てられて、調子に乗って撃ち続けた。気がついたらこんなとことまで来ていて、あげくの果てがこの様だ。
「もっとカッコいいと思ってたんだけどなぁ〜」
なんだかもう、笑えてきた。
前書きで書くのを忘れていましたが、「笑える話」というのは登場人物の心境です。