第4話「ミラル、堕天使と飛ぶ」
「ねぇロストォ、アタイにめーっちゃいい魔道具買ってぇー」
「おいおい、サディ。もう買ったばかりじゃないか」
「ダメっ♡ あんなんじゃ全然足りない。お金あるんでしょ? もっとちょうだい」
「仕方ないなぁ~。サディはわがままなんだから」
王城にある、広くて大きな魔法使い用の部屋。
その中にあるソファーでくつろいでいるのは、ローブを被った魔法使いロストと、彼の愛人である魔術師サディだった。
まだ少女という年齢のサディは、小悪魔的な笑みを浮かべ、容姿端麗な青年ロストに甘えていた。
「あの女、いなくなって正解だったねぇ~。だって成果も良くて、賢くてムカつくし」
「……あぁ、ミラルのことかい?」
「そう。アタイも手伝ってあげたんだから、アタイのこと、幸せにしてよ?」
「もちろんだよサディ! 君は僕の大事な大事な彼女なんだから」
ロストがサディの頭をそっと撫でる。
すると突然、部屋の扉を勢いよく開き、息を切らした兵士が入ってきた。
途端にロストの柔らかな笑みは消え失せ、代わりに苛立ったような声を上げた。
「おい! ノックしなきゃ入るなって言っただろう!」
「大変です、ロスト様! み、ミラルが!」
「あぁ?」
「追放されたミラルが、強力な堕天使を連れているとのことです!」
「なっ――!?」
ロストは言葉を失った。
ほとんど金を持たせず、最弱の状態で野に放ったはずなのに……! 堕天使を連れているだと……!? 堕天使ってなんだ!?
たじろぐロストの後ろから、腕を組んだサディが歩いてきた。
「ロストは何もしなくていいわよ。アタイがミラルを潰してくるわ」
「えっ、サディ……!」
「アタイだって一流の魔法使いだし。堕天使なんて何か知らないけど、ミラルはアタイが大嫌いだから。ロストは手を汚さなーいで♡ さっ、行くわよ」
サディはそう言うと、なんと、5階の窓から軽々と飛び降りる。
ロストが慌てて窓から外を覗いた時には――サディの姿は消えていた。
……嘘。
こんなことある?
「ねぇ、リタ……。なんで飛べないの?」
「……」
たしか兵士を追い払ったとき、めっちゃ高く飛んでいましたよね!?
「堕天使の俺に、空を飛ぶ権利などあるのだろうか……」
「……はぁ?」
たったそれだけの理由で?
前に飛んだのは、衝動的だったってわけ!?
……でも、リタの表情はふざけてなどおらず、真面目だ。よほど天の国で何かがあったのだろう。神の怒りを買い、堕とされるほどの何かが。
私は静かに、彼の羽に触れた。
美しい。光沢があって、羽根一本一本に生命が宿っているようだ。
「……あなたはこんな立派な羽があるんだから、ちゃんとあなたらしく飛ぶべきよ! だって飛べるんでしょ?」
「……」
「私は空を飛べないから、あなたが羨ましい。その羽はあなたの自由なんでしょ?」
「自由……」
「はぁーっ、私も空を飛んでみたいなぁ~! でも私、高所恐怖症なんだよなぁ」
私は大きく万歳をして、草原へ流れてくる風を受け止める。
彼は自分の羽で体を包み込むようにし、静かにぬくもりを感じていた。
リタ、強いのはいいんだけどさぁ……もう少し、そうやって自分を大事にしてほしいな。
私は、目的さえ果たせば、彼を完璧な自由にしてやるつもりだ。今だってもう、鎖もないし、彼は相当な自由を得ているのだろうけど。私がいたら、結局は彼の意思と行動を抑制してしまうから。堕天使の居場所を見つけるのは難しいけれど、森の中でひっそりと暮らせれば、彼もきっと幸せだろう。
そう思いながら、私はポケットから取りだした木の実をかじった。
空を見上げると、すでに日が暮れかけており、夕方だった。
すると――
突然、顔を上げたリタが私の顔を見つめてきた。
黄金色の光が、凛とした色を帯びて私の姿を離さない。
「ミラル、俺の背中に乗れ」
「……え?」
その言葉に、私は酷く驚いてしまった。
まず、名前を呼ばれたこと自体が初めてだ。そして……
彼自身が、自分の意見を言ってきたのも、これが初だった。
「ちょっ、何言って――」
「早く」
「ねぇっ、本当にうわあああああああ!!!」
次の瞬間、リタは私の手を掴み、強引に背中へまたがせる。
紫紺の羽が滑らかに動き、豪快な音を立てた。
そのまま、私の許可もなしに――リタは私を乗せ、夕暮れの空へと大きく飛び上がった。
「きゃああああああ!! いやっ! 目を開けられない!」
私は目を瞑ったまま、リタの背中の上で激しく暴れまわる。
何が起きているの!? 凄まじい風に押され、上昇していく感覚だけはわかる。感じたことのない浮遊感に、私は酷く怯えた。
だが――そんな私の手を、白いしっかりした手が掴む。
「目を開けてみろ。すごい景色だ」
私は彼の言葉に促され、そっと瞳を開けた。
――私たちは、雲の上にいた。
「うわああああっ!! あー! ……」
最初は悲鳴を上げ、思わずリタの体にしっかりをしがみついてしまった私。
……でも、目の前に広がる景色は格別だった。
遠くに見える海へ、輝く太陽がゆっくりと沈んでいく。太陽に照らされて光と影を生み出しているのは、巨大な王城。
――あれが、私の帰るべき場所だ。
「すごい景色……」
高い所が苦手な私だが、この見晴らしに感動していることは否定できなかった。まるで鳥になった気分だ。
リタが小さく微笑しながらつぶやく。
「……天の国から見える景色とは違うな」
「ていうか、何であなたは空を飛べたのよっ! そりゃ嬉しいけど、急にどうしたの!?」
「主が空を飛びたいって言ってたからな。その願いを、かなえようと思った」
「命令じゃないじゃあああん! 私を乗せて飛べとは言ってないし! あーぁ、ご主人様の気分を悪くしちゃった! 酷い奴隷さんだー」
「お前のその、都合の良いように主従関係を示すのは何なんだ」
「うるさいし!」
まったく、この堕天使め。最初は無口でつまらないと思ってけど、口数が増えると、皮肉やからかいが多くなって腹が立ってきた。やっぱり、急に私を乗せて飛び出すのなら、鎖をしておくべきだったか? なんて……
――でもまぁ、これも案外、良いかもしれないけどね。
私は一本、リタの羽根をこっそり抜いてみた。
濃い紫色の羽根。その一本を握りしめ、私は雲が広がる前を見た。
風が強い。2人の柔らかな服と髪がなびく。でも――もう少しだけ。
「じゃあ、このまま少し飛ぼうよ。せっかく高い所に来たんだし」
「落ちるなよ」
リタは短くつぶやくと、羽を再度羽ばたかせ、私を乗せて夕焼けの空を舞った。




