第13話「ミラル、堕天使と束の間の幸福」
「リタ……」
森から出て行ったリタは、思ったよりも帰ってくるのが遅い。
まさか……勝手にどこかへ行っちゃった? なんて考えが浮かんでしまう自分が、嫌になってくる。
最近、ちょっと調子が悪いかも。
いつかはリタと離れるしかないって、心が理解し始めた頃からかな。
「……」
「すまない、ミラル。遅くなった」
「……あ」
顔を上げると、いつも通りの様子のリタが歩いてきた。
よかった、どこにも行っていなくて。ちょっとした安堵がこみ上げてきた。
今日は月が綺麗な夜だ。
森に広がる葉の隙間から、青白い月明かりが漏れている。
私は生命を感じられる場所を好きだと言ったけれど――こういう、神秘的な場所もいいな。もやもやしている気分が、少しだけ癒された気がした。
そして前を見れば、リタが静かに草むらへ腰かけている。
見つめれば見つめるほど、彼は美しいのだ。
私の護衛であって、奴隷であって、――私の、私だけの天使。
私に逆らうはずがないし、勝手にどこにも行かない。他の誰のものでもない、私のリタなのだ。
いつしか、そう思うようになっていた。
でも私はリタを縛りたくないから、天の国へ帰らせる手伝いをしている。
――そういうことで、あってるよね?
「……」
……そうだ! こういう時は、ちゃんと会話をしよう。
危ない危ない。一人で悩みすぎちゃうところだった。
目の前にはリタもいるんだし、彼に聞いてみようかな? リタは今、どんな気持ちなのか。さっき森の外に出ていったとき、何を考えたのかも気になるし。
「そういえばリタ……」
「……!」
「リタ……?」
顔を上げると、リタがちまちまと指で何かをいじくっていた。
手に持っているのは、どうやら数本の白い花のようだ。
「リタ、何してるの?」
「……も、もう少し待て」
「はい?」
するとリタは私に背を向け、おまけに翼で体を覆ってしまった。
……え? 本当に何してるの? いや、別にいいけど……私が見たら、まずいものだったかな。
「あの……、大丈夫そう? 手伝おうか?」
「いや。……できた」
「え?」
「これだ」
するとリタは顔をこちらに向けて、突然私に近寄ってきた。
――胸が大きく鳴った気がする。
リタは無言で、白い何かを私の頭の上に乗せてきた。
「……?」
そっと添えられたものを、手に取ってみる。
先ほどリタがいじくっていた白い花で出来た、可愛い花冠だった。
「……これ、リタが作ったの?」
「さっき、外から少し摘んできた花だ。……前に、ドドラを倒したとき、子どもたちから教わった。それの作り方……」
「……そうだったんだ」
少々形にぎこちなさはあるが、白い花の部分は綺麗に保たれている。丁寧に作ったのだろう。
私がリタを見つめると、彼の視線が横に泳いでいった。
――なぜ突然、花冠なんて作ってくれたのだろう。
「……どうして、これをくれるの?」
「……」
リタは少し翼を震わせている。
やがて小さなため息をつくと、口元を腕の中にうずめ、子どもっぽくジト目を向けてきた。
「いらないなら、返せ」
「……いっ、いらなくない! すごく嬉しいけどね!?」
質問の答えになってないじゃん!
もしかして、好意で作ってくれたの? 私のために?
――もしこれが独りよがりじゃなければ、本当に嬉しい。この先別れが来るとしても、私は絶対にリタに嫌われたくない。
「……リタってば、ひょっとして照れてるの?」
「は? 違う、そんなんじゃない」
おーい、全部顔に出てるぞー。
……なんだか困ってるリタを見ていると、自然と元気になってきた。
今なら別れが来たとしても、快く受け入れられる気がする。
だってリタも私も、互いに好きなんでしょ? だったら、どこにいてもその気持ちに変わりはないし。ねっ!
この先きっと、リタが無事に天の国へ帰れるようになるには、時間がかかるのだから……その時間を最大限に楽しんで、最後の別れは気持ちよく終わろう。
上位天使の探し方と、地上にいるうちにリタとしたいことを、今のうちに考えとこっと!
……でも、その前に。
今はこの静かな時間に、甘えさせてほしい。
「じゃあ私は、これをあげるよ」
「……?」
「ちょっと前に見つけた、紫の花。可愛いでしょ?」
リタが雷をぶっ放していた時、偶然私が見つけたものだ。
岩陰に一輪だけ咲いていた。珍しいと思ったから、そっと抜いてしまった。
そして暇つぶしに、花を使った髪飾りを作ったのだ。
私はリタに近づき、白くて美しい頬に触れた。
髪飾りをそっと、彼の前髪の横にさす。リタは、頭の左側についた紫の花にそっと触れた。
「うわっ、ヤバい。似合いすぎてるし! でもリタの魔法で焦げちゃいそうだから、大事にしといてよね!」
「……」
「んじゃ、寝ようかなー。森の中で寝るのなら、誰にもバレないでしょ。たぶん」
大きく背伸びをして、私は草原に寝ころんだ。
はーぁ。空から紙が降ってくるだとか。盗賊が追っかけてくるだとか。今日は色々めちゃくちゃだ。指名手配の件は、国家でも問題になるかも。私はどうなるのかな?
……どうでもいいや。リタと一緒を楽しめるなら、それで。大事だったはずの城の研究も、なんだかぼやけてしまいそうだ。
「もう寝ていい……? 私、ここで気絶するわ」
「……ミラル。こっちに来れないか」
「え? ふわぁっ!?」
突然服を掴まれたかと思うと、気が付けば私の体はリタの胸元に埋もれていた。
えっ!? ちょ、待って!? 抱き着かれてる!?
あまりのパニックを起こし、暴れそうになる私。でも、顔を上げると――
黄金色の鋭い瞳が柔らかい光を帯びて、私を見つめていた。
端正な顔が近い。呼吸の音が、心音が聞こえる。
そして――暖かくて。彼のぬくもりに、私は顔をうずめた。
「……」
「寒い夜は嫌いだ」
「……リタ」
「頼む。今だけ、こうさせてくれないか」
リタ……?
なぜ、声が震えているの?
「……ひょっとしてリタ、寒がり? 声がプルプルしてるもん」
「……」
「じゃあいいよ、これでも。今日は不安になることが多かったしね。おやすみ」
まぁ、たまにはこういう日もいいでしょう。
……リタの声が聞こえなくなったのと同時に、私も目を閉じた。
「最後に見れたのがお前の笑顔で、よかった」
ミラルは、穏やかな寝息を立てて眠っている。
そんな中――リタは眠ることなく、寝たフリをして、ミラルが深い眠りにつくのを待っていたのだ。
「俺なりに、いろいろ考えてみたんだ」
絶対に彼女を刺激しないよう、そっと体を起こす。
旅をしていた一か月と、今日の一日で、彼の心は確かな変化を起こしていた。
「俺は確かに、天の国へ戻りたい。でもそのためには、ミラルと別れなくてはいけないって……。お前はそれを受け入れてくれたし、俺を手伝うと言ってくれた」
でも……と、リタは独り言をつぶやく。
「これ以上、お前を危険な目に遭わせるわけにはいかない。天界にかかわるのは、俺だけでいい。お前が城で研究を続けて、出世して……それがきっとお前の幸せだろうし、俺もそうなってほしい」
リタは立ち上がった。
彼はミラルの幸福を、彼なりに理解しようとしたのだ。
だから今夜、ミラルに甘え続けた。
彼女の顔を見たくて。喜んでいる顔も好きで。
花冠を作ってみた。彼女のぬくもりを、心から味わった。
――それは、今日が最後であることを知っていたから。
「ちょうどよかった。村人たちが、外で金銭不足に困ってる」
最後に彼は、ミラルを振り返った。
何も知らず、微笑みを浮かべながら眠っている。いい夢でも見ているのだろう。
「……急なことですまない。ありがとう、ミラル」
そう言い残すと、彼は紫紺の翼を月明かりに照らし、彼女のもとから離れていく。
紫の花をさしたまま、もう二度と振り返ることはなく――




