【2】クロフォード邸、果物ナイフ警報発令中!〜三角関数を阻止せよ〜
ジニーが「イーサンのお家をクリスマスで飾るの、初めてだよ!」と嬉しそうに笑った。
ノアがパチンとウィンクする。
「だろ?電飾もいっぱい買っといた!届いてるよね?」
「勿論だよ!」ジニーはえへんと胸を張る。
「ワシントンD.C.から送られてくるノアからの荷物は、僕が責任を持って管理してるんだから!」
「ジニーはやっぱり最高だ!」
「最高なのはノアだよ!」
二人は顔を合わせて、楽しげに笑い合った。
だが――ノアは知らない。
イーサンの家の周囲には最新型センサー、強化ロック、警備ドローンが常時スタンバイ。
玄関にはさりげなく「S.A.G.E.管轄」のマークが掲げられ、敷地一帯には警備会社の警備員が配置されていたことを。
そんなことを知る由もなく、ノアとジニーはリビングで飾り付けに夢中になっていた。
すると突然、ノアが言った。
「何か……この雪だるまの顔、気に入らない!」
「え!?」
クッションカバーを替えていたジニーが、ぎょっとして振り向く。
「何か……イーサンに似てない!あ!そうだ!」
ジニーが止める間もなく、ノアはキッチンへ駆けていった。
――そして。
ノアは自分の頭よりも大きな雪だるまの顔に、果物ナイフを突きつけようとしていた。
「……ノア!!」ジニーの悲鳴のような声。
ノアはきらきらと笑顔を浮かべ、無邪気に言う。
「ジニー!この雪だるまをイーサンに似た顔にしようぜ!」
「……え!?」
「イーサンそっくりの雪だるまを作って、喜ばせたい!」
ジニーは慌てて手を伸ばす。
「ま、待ってよノア!
雪だるまを果物ナイフでくり抜くのは無理だよ!
明日ちゃんとした器具を使うって約束したでしょ!?」
「……大丈夫……三角関数的に言って、この角度からなら……違うな……斜め25℃左から……」
ブツブツと三角関数を呟きながら雪だるまを睨むノアに、ジニーは青ざめて動けなかった。
ピッ、とイーサンのヘッドセット無線が鳴る。
「こちらイーサン・クロフォード」
低い声で応答した瞬間、焦った声が飛び込んできた。
「緊急事態です!クロフォード捜査官!
対象者が果物ナイフで雪だるまをくり抜く寸前! 繰り返します、雪だるまをくり抜く寸前です!」
イーサンは短く答えた。
「……自分の仕事をしろ」
それだけ告げ、無線を切ったところでカリスタがやって来る。
「あらチーフ、今日は一日中ヘッドセットを着けているのね。
私達に話してくれないってことは……要人警護かしら?」
「そんなところだ。――来たか?」
カリスタが微笑みながら頷く。
「ええ。国立分析研究所のナディア・ウォーカー
所長と、エリオット・ブレア博士よ」
その頃――。
ジニーがふと窓の外を見ると、タブレット端末に大きく『プランA』の文字。
ジニーは深く頷き、ノアに申し訳なさそうに言った。
「ノア……ごめんね」
「……え?」ノアが顔を上げる。
「僕、ノアが来るのが嬉しくて……自分でポテトチップス作っちゃったんだ。三種類も。
早く食べないとベトベトになっちゃうかも……」
ノアは目を輝かせ、果物ナイフをテーブルに置いた。
「ホント!?マジで嬉しい!早く食べよ!」
ジニーは上目遣いで尋ねる。
「……雪だるま作りの邪魔じゃない?」
ノアはあははと笑った。
「雪だるまなんて明日でいいじゃん!
そうだ、また古いコント映画観て休憩しよう!」
「うん!ノアの好きなフルーツジュースも手作りしてあるんだ!」
「流石ジニー!早く!早く!」
ノアがソファをポンポンと叩く。
ジニーは元気よく「うん!」と返事をすると、ポテトチップスとジュースを乗せたトレイを抱え、ノアの隣へ急いだ。
――S.A.G.E.本部、20階の廊下。
白い壁と床が続くだけに見えるその通路は、実際には核弾頭の直撃でも傷一つ付かない多層耐爆装甲で守られ、外部通信を完全遮断するジャミングシステムが常時稼働。
さらに微弱な電磁パルスが走り、最先端の盗聴機器すら数歩で回路を焼き切られる。
「スパイ映画の夢想でも、ここを突破するのは不可能」――そう呼ばれるレベル15の廊下だ。
漆黒の装備に身を固めたSWATが二人、無言で前方を警戒する。
そのすぐ後ろを、イーサンが静かに歩む。
彼の背後にナディア、その横に緊張した面持ちのエリオット。
最後尾には再び二人のSWATが重厚な足取りで続いていた。
――先頭から最後尾まで、計七名。
鉄壁の隊列が、静かな廊下を進む。
イーサンは歩を止めず、後ろを歩くナディアに声を掛ける。
「お招きしておいて、無粋なやり方をして申し訳ありません」
「いいえ。これくらいの警護は必要不可欠ですわ。
今回新たに見つかった偽造紙幣は、銀行のATMから流出しているのですから」
「ご理解、感謝します。――ウォーカー所長、ブレア博士」
突然名前を呼ばれ、エリオットがビクッと肩を跳ねさせる。
ナディアはこめかみをピクリとさせつつも、笑顔を崩さない。
「ドクター・ブレアは繊細な性格なんですの。
研究一筋で……ね?ドクター・ブレア?」
「はっ……はいっ!そうですねっ!」
その小学生のような返事にも、イーサンは気に留める様子もなく、淡々と「ありがとうございます」と返した。
廊下の突き当たりに現れたのは、一見ただのガラス張りの研究室。
しかし扉の縁を走る微光が、内部の異質さを物語っている。
ドアノブは存在せず、壁に浮かぶパネルが代わりに待ち受けていた。
イーサンが手をかざすと、掌紋認証と同時に網膜スキャン、さらに声紋認証が重ねて実行される。
三重認証が揃った瞬間、扉は音もなく横にスライド。
中には白衣の研究員たちが行き交い、壁面いっぱいのホログラムスクリーンが紙幣の分子構造を映し出す。最新鋭の偽造紙幣解析ラボだ。
イーサンは二人を招き入れると、振り返って告げた。
「ウォーカー所長、ブレア博士。早速ですが――偽造紙幣の確認をお願いします。我々はすでに、100ドル札の原版を作成済みです」
そしてその頃。
ヴィヴィアンは自分のラボで、美しい写真立てに飾られたエリオットの写真を見つめていた。
「私のエリー……!
同じ建物にいるのに、一緒に仕事もできないなんて……!」
深い緑の瞳に、熱い涙がにじんでいた。
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