第5話『ギルド長と受付嬢の密談』
ギルドの廊下は、夜の静寂に包まれていた。
石床に響くエミリアの足音が、闇に吸い込まれるようにすっと薄れていく。
執務室の前で立ち止まり、胸の奥でひとつ息を整えた。
――コン、コン。
控えめなノック音が、静かな夜の空気を破った。
「おや、エミリアか。こんな夜更けにどうした?
……まさか、味見役でも頼みに来たんじゃないだろうな」
ギルド長、バルドの低く太い声が響く。
エミリアは小さく苦笑し、ゆっくりと扉を開けた。
「毒入りスープは……もうこりごりですよ」
思い出しただけで、喉の奥が重く塞がる感覚がよみがえる。
だが、バルドが豪快に笑った瞬間、張り詰めた空気がわずかに緩んだ。
「あんなものをまた飲まされるくらいなら……給仕の採用基準を見直さにゃならんな」
「本当に……」
短い笑いが交わる。
しかし、その空気はすぐに引き締まった。
エミリアの目が、真剣な光を宿す。
「……リオさんの件で、お話があります」
バルドの表情から笑みが消えた。
机に肘を置き、低い声で問い返す。
「あいつ……まさか毒を見抜く鑑定でも持っていたのか?」
「いいえ。物や人の情報を見る力はありません」
一拍置いて、エミリアは続けた。
「……代わりに、“過去”や“未来”を鑑定する力――《命運鑑定》を持っています」
チク、チク……。
時計の針の音が、やけに鮮明に響いた。
バルドは動きを止める。
エミリアの鑑定が絶対に確かであることを知る彼は、その言葉の意味をすぐに悟った。
「……“過去”や“未来”を鑑定⁈ それは……物騒だな」
「しかも、自分では制御できません。
本人は重大さに気付いていないんです。
むしろ『普通の鑑定ができない』と悩み続けています」
エミリアは視線を落とす。
“外れ鑑定士”と笑われても、妹のために働き続ける少年の姿が目に浮かぶ。
「……本人に、このことを知らせるつもりは?」
ゆっくりと首を横に振る。
「絶対に気付かせないでください。
“特別”だと知られれば、必ず狙う者が現れます。
――あの子には、普通のままでいてほしいんです」
バルドはしばし黙し、無垢な瞳を思い出す。
妹のためだけに傷だらけになっても立ち上がる、その姿を。
「……努力だけなら、ギルドで一番だしな……」
「本当に……」
エミリアの声に、誇らしさと少しの寂しさが混じる。
「だが今回は……あいつに助けられたな。
ダリルも無事に疑いが晴れたし」
「ええ。リズさんはまだ取り調べ中ですが……裏に組織がいるようです」
バルドの目が鋭く光った。
「やはり……。
最近、ギルドの内外で妙な動きが続いていた。
誰かが裏で糸を引いているのは分かっていたが……ついにリズまで巻き込まれたか」
「……リズさんをご存知なんですか⁈」
バルドは短く息を吐き、視線を外す。
「詳しいことは今は言えん。
だが、人の思惑というやつは……ダンジョンよりも手強い……」
深いため息が、静まり返った部屋に溶けた。
そして、ふっと口元を緩める。
「……それにしても、受付嬢とギルド長がこんな夜中に密談とはな。
誰かに見られたら……厄介な噂になるぞ」
エミリアも冗談めかして肩をすくめる。
「確かに、困りますね。
“ギルド長が受付嬢に毒を盛られた”なんて噂が広まったら……大変です」
二人は目を合わせ、くすりと笑った。
こうして――事件の夜は、静かに更けていった。