第25話 沈黙を破る影〔決意編・後半〕
【金曜更新】
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礼拝堂に差し込む月明かりの下、ようやく再会を果たした母娘は、何も言葉を交わさず、ただ静かに抱き合っていた。
張り詰めていた時間の堤が崩れ、ほんのわずかの安らぎが、二人の心を包む。
――だが、それも束の間だった。
「ねぇ、母さん……」
リズがぽつりとつぶやく。
「さっき……父さんが、“追いかければ、今なら間に合う”って……影の中で言ってたの。
……あれって、どういう意味かな?」
その言葉に、ミレイアの目元がわずかに揺れた。
短い沈黙。そして、ふっと優しく微笑む。
「……セオドリック。あなたって人は……本当に抜け目がないわね」
次の瞬間、空気が変わった。
ミレイアの気配が、一瞬で鋭く引き締まる。
慈愛をたたえた母の面影が、冷徹な戦士の貌へと変わっていく。
その瞳は、獲物を捉える鷹のように研ぎ澄まされていた。
そこに立っていたのは――王国最強の斥候にして、伝説の暗殺者《静寂の死神》。
「……リズ。まだ話していなかったことがあるの」
「……なに?」
ミレイアは月明かりの中へ、ひとつ足を踏み出す。
「私は“囚われていた”んじゃない。“おとりとして捕らえられていた”のよ」
「え……?」
「教団に偽の情報を信じ込ませるため――セオドリックの遺した記憶とスキルを復元する“鍵”が私だと誤認させるために。
そのために、彼らの動きを誘導していたの」
リズの瞳が揺れる。
真実の断片が、静かに胸の奥へと沈んでいく。
「父さん……影の中で言ってたよ。
母さんが……無茶してるって。
ずっと……心配してたよ……」
リズの声に、ミレイアは柔らかく首を横に振った。
「ええ。でも、構わなかった。苦痛も、孤独も……全部耐えてきた。
それが、セオドリックとの――私たち夫婦の約束だったから」
その声には、揺るぎない覚悟と、深い愛がにじんでいた。
リズの胸が高鳴る。
父の記憶、母の覚悟、自身に託された運命。
すべてが、ひとつの線で繋がっていく感覚。
「でも……理由は、それだけじゃないの。
あなたの本当の力を目覚めさせなければ、これから起こることには立ち向かえない。
だから私は賭けたの――“影を継ぐ者”として、あなたが覚醒する未来に」
ミレイアの声が変わる。
凍てつくような冷静さと、燃える意志が交差する“暗殺者”の声音。
「セオドリックの魔術書と一緒に、もうひとつ……極めて重要な“あるもの”が奪われたの。
実行犯は帝国の工作員。そして――王宮の中に協力者がいた」
「まさか……王国に、内通者が……?」
「ええ。上層の貴族の中に、帝国と繋がっている者がいる。
証拠はまだないけど、動きが妙に合致しすぎているのよ」
リズは息を呑んだ。
身内に潜む裏切り。その気配に、背筋が粟立つ。
「この件は、元パーティーメンバーで……今はギルド長のバルドにだけ伝えてあるわ。
彼なら、いざという時に動いてくれるから」
ミレイアはそう言って、ふと表情を緩めた。
「でも……今は、それより大事なことがあるわ」
彼女はくるりと向きを変え、リオの前に立つ。
「リオ君。人見知りで、不器用な娘だけど……よろしくね?」
「え……あ、はいっ!? こ、こちらこそ……!」
リオは反射的に背筋を伸ばし、真っ赤な顔で答えた。
隣にいたリズは、怒ったように顔を背けて、湯気が上がりそうになっている。
「ふふ……ほんとに分かりやすいわね、リズ」
クスッと笑うと、ミレイアはリズの影へと視線を落とした。
(セオドリック。私たちの娘は、もう“継いだ”わ)
その胸の奥には、まだ終わらぬ影が蠢いていた。
(本当の戦いは、これからよ……あの“鍵”が敵の手に渡った時――王国が揺れる)
「じゃあね、リズ。
あなたは、あなたの信じる道を進んで。
……そして――頼んだわよ、あなた」
最後の「あなた」は、影に宿る夫へ向けられていた。
次の瞬間、礼拝堂の出口へ跳躍した“伝説の暗殺者”の姿は、あっという間に音もなく闇に溶けていった。
リズは、その母の背を見送り、空を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。
「……母さんって、やっぱり強すぎるよ。……ねえ、父さん」
天蓋から降り注ぐ光の下で、彼女の背の影が、静かに――そして確かに、うなずいたように揺れた。




