第35話「そりゃあ水が大きいと書いて海と読むんだから、デカイに決まってるだろ!」
もはや人が活動するような気温はとっくに超えている8月。
そんなクソ暑い炎天下の中、優斗は、彩音、遥と共に外を出歩いていた。海水浴のために。
家から駅へ向かい、電車で揺られる事、数十分。
更にバスに乗り換え十数分。移動時間約1時間。
朝からウキウキ気分で家を出た優斗だが、30分が過ぎる頃には既に「やっぱりめんどくさいから、近所の市民プールにしておけば良かった」と後悔していた。
しかし、隣では「楽しみだね」と着いたら何をするか、笑いながらおしゃべりをしている彩音と遥の手前、そんな態度は表に出せない。
しょうがないと、心の中で溜め息を吐く優斗。
だが、海が見え始めた瞬間に、そんなうんざりした感情は吹き飛んでいく。
「おい遥。見ろよ海だぞ海!」
「おぉ、アンちゃん海だ海!」
思わず興奮した優斗が、まだ移動中のバスの中であるにもかかわらず、少年のようにはしゃぎながら遥に声をかける。
海を見て、優斗の興奮が伝播したかのように、遥も興奮し、窓に張り付き「海だ海だ!」と騒ぎ始めた。
海だ海だと騒ぐ優斗と遥、もはや完全に子供である。もちろん、その後に彩音から「静かにしましょうね」と笑顔で圧をかけられたのは言うまでもない。
「やっべぇ、海でけぇ!! アンちゃん海でけぇ!」
「そりゃあ水が大きいと書いて海と読むんだから、デカイに決まってるだろ!」
「すげぇ!」
彩音に叱られて大人しくしていた優斗と遥だが、バスを降りるとまたテンションが上がり騒ぎ始める。
バスの車内ではないので、特に怒る理由はない。なんなら自分もちょっと海でテンションが上がっているので、優斗たちと同じようにはしゃぎたい彩音だが、まだだと自分を必死に抑える。
ここで自分もはしゃぎ始めてしまえば収拾がつかなくなるので。
「はしゃぐのは良いけど、まずは場所取りしよっか」
「おっ、そうだな!」
まだ朝の時間帯。だというのにビーチは既にパラソルや敷物が所狭しと並んでいる。
バス停から少し離れた場所なら取られていないスペースがあるにはあるが、今この瞬間にも埋まりつつある勢いで次々と人が押し寄せていく。
海が見えた事でテンションが上がったせいで、彩音が目を離すとすぐにちょっかいをかけあう優斗と遥。
彩音がそんな2人の保護者をしながら、空き場所を探し歩き続ける。
「結構良い場所が空いてたな」
「うん。海の家や更衣室が近いから、結構便利そうだね」
「ボクが見つけました!」
既に誰かが取ったスペースの横に、列を作って次々と場所取りをしていたら順番が来るまで時間がかかる。
なので、いっそ人が少ない場所まで先に行って場所を取ろうと遥が提案したのだ。
少しでもバス停から近い場所に自分たちのスペースを取りたがる人が多いが、そんなのは徒歩で1分も変わらない程度の距離でしかない。
だったら、それ以外の立地条件が良い場所を探して、スペースを取った方がよっぽど建設的である。
「俺はここで荷物見ておくから、彩姉たちは着替えて来なよ」
「アンちゃんは着替えなくて良いの?」
「ズボンの下に水着着てあるからな」
「それならボクも下に水着着てるから、ここで大丈夫だよ」
「えっ、おい」
そう言って上着に手をかけようとする遥を、優斗と彩音が慌てて止める。
いくら下に水着を着ているからと言って、こんな人目の多い場所で服を脱ぐものではないと。
それと、遥の事だから、水着を着てくるの忘れて下着でしたとかあり得そうなので。もしくは上着と一緒に水着ごと脱いでしまうとか。
「ってか遥。前みたいに水着着て行ったせいで着替え忘れたとかしてないよな?」
「おいおいアンちゃん。ボクが何度も同じ間違いをするとでも」
「思う!」
「即答かよ! ってか最後まで言わせろよ!」
「彩姉、遥が着替え忘れてないか一応確認しといてくれ」
「うん。分かったよ」
「ボクに対しての信頼ないな! ってか彩音ちゃん、行く前に一緒に確認したじゃん!」
「はいはい。それじゃあ、一緒に忘れ物ないか更衣室で確認しようね」
遥の主張を無視しながら、彩音が手を取って歩き始める。
子ども扱いされて不満気に頬を膨らませる遥を見て、ゲラゲラと指をさして笑う優斗。直後、彼はからかい過ぎた事を心の底から後悔する事になる。
「フンだ。そんな事言うなら、もう一緒にお風呂入ってやらないんだから」
遥の爆弾発言に、優斗思わず真顔である。いや、優斗だけではない、彩音も真顔である。
目をぱちくりする優斗に、あっかんべーをする遥だが、優斗の目にはそんなもの入っていない。
彼の目に映るのは、同じようにぱちくりしながら、時が止まったように自分を見てくる彩音だけである。
不意に立ち止まり、ずっと優斗の事を見ている彩音を不審に思い、「どうしたの?」と遥が声をかける。
「遥ちゃん、一緒にお風呂入ったって……」
「うん。この前アンちゃんと一緒にお風呂入ったんだよ」
優斗が誤魔化すための言葉を出す暇もないくらいに、彩音に即答を決める遥。どれほどの爆弾発言をしたのか彼女は分かっていない。
分かっていないからこそ、屈託のない笑顔で答える。
対して、優斗は真顔のまま全身から汗を拭き出していた。汗が噴き出しているのは、燦々と照らす太陽と夏の暑さのせいだけではない。
暑い中、灼熱の太陽に照らされてはいるが、彼は今、とても冷えていた!
必死に頭の中で言い訳の言葉を考えるが、何も思い浮かばない。
もし遥が彩音に「一緒にお風呂入ったの?」と聞かれた際に、1秒でも答えるのが遅ければ「昔一緒に入ったよな!」と誤魔化せたかもしれないだろう。
まぁ、どうせその後に「おいおいアンちゃん。この前一緒に入ったばかりじゃねぇか」と言われていただろうから、どの道詰みであるが。
「そう……そうなんだ……」
ただそれだけを言うと、彩音は遥の手を引き更衣室へと向かって歩いていく。
更衣室に向かう彩音に、声をかけようとして何も言葉が思い浮かばず、優斗はただただ呆然と眺めるだけだった。