第30話「確かスポーツドリンクが冷蔵庫にあったよな」
そう、それは優斗にとっては唐突の事であった。
深夜に優斗が寝苦しさを感じ目を覚ますと、シャツや下着はおろか、シーツまで濡れるほどの寝汗だった。
自分の汗も相まって、むわっとした湿気を伴う熱気が体全体を包んでいる。寝ている時に自室のクーラーが壊れたのだろう。
「うわっ、マジか……」
寝起き特有の物とは別のけだるさを感じ、すぐに理解する。これは熱中症の症状だろうと。
熱でうなされている時のようなふわふわしたような感覚と、ぼんやりした意識の中、重い体を無理に起こし、壁に手をつきながらリビングまで歩いていく。
勢いよく出した水道水を、零れるのを気にも留めずコップに注ぎ、それを一気に飲み干すこと3杯。
水を口にしたところですぐさま様態が良くなる事はない。いや、むしろこのままでは逆に悪くなっていくだろう。
夜だというのに、締め切った室内の温度は既に40℃を超えている。
電気を点けると家の中だというのに蜃気楼が見えるのは、暑さのせいか、それとも熱中症のせいか。
とにかくこのままではヤバいと感じ、クーラーの冷房をつけ、最低温度、風量全開に設定する。
クーラーの真下に移動すると冷えた風が直接当たる事で、灼熱地獄から一転し、汗でベトベトになった体が、涼しいを通り越し極寒になる。
それでも、とにかく体を冷やさねばとクーラーの真下でブルブルと震え続ける事数分。先ほどまで噴き出していた汗は引き、まだ若干ふわふわする感覚は残るがそれでも大分マシになった。
「確かスポーツドリンクが冷蔵庫にあったよな」
歩こうとして、自分の身体が鉛にでもなったかの感覚を覚える。
頭は冴えてきたからこそ、今の自分がどれほど危険な状態なのか優斗は思い知る。
自分の身体を少し動かすだけでも、想像以上の重労働。
まるで自分の周りだけ重力が変わったのではないかと錯覚するほど体が重い。
正直動くのがだるくてこのまま寝そべってしまいたい。そんな風に考える優斗だが、それでも牛歩のペースで歩いていく。
この時期になると嫌というほど見かける熱中症の注意喚起、流し見程度に見た知識ではあるが、このままではいけないのを知っているので。
冷蔵庫にたどり着き、キンキンに冷えたスポーツドリンクを口にし、そこで優斗の力は尽きた。
床で横になり、思考がおぼつかないまま無為に時間を過ごす。いっそこのまま寝てしまいたいが、軽い頭痛と目を閉じると体が宙を舞っているような浮遊感に襲われ寝付く事も出来ない。
それでも目を閉じ続け、気が付けば優斗は眠りに落ちていた。
「もう昼か……」
目を覚ました時には、既に昼過ぎ。
スマホで時間を確認すると、体をゆっくりと起こす。
まだ気怠さも残っているし、床で寝たせいで体中に痛みを感じる。それでも、十分に動けるし、頭も動く。
「流石に救急車とか呼ぶべきだったかもな」
よく、重病人なのに救急車を呼ばずに我慢している人の話を聞いて、サッサと呼べばいいのにと普段から持っていた優斗だが、自分が体験して分かる。まだ大丈夫だろうと楽観視してしまう事に。
せめて彩音に助けを求めるとか、色々やり方はあっただろうが、いざ危険に立たされるとそんなもの頭から抜け落ちてしまうのだなと苦笑を浮かべる。
「さてと……まずは風呂だな」
汗で一度ベタベタになった服と体、空調の効いた部屋に居た事ですっかり乾いてはいるが、そのおかげで臭いが大変な事になっている。
シャワーを浴びようと考えた優斗が、だいぶ楽になったとはいえ、それでも立っているのは少し辛い。なので、設定温度を下げ、風呂を沸かす。
リビングの床で寝たから、寝ていた場所が汗まみれだから後で拭かないとなとか、シーツもベタベタだから洗濯しないととか、そもそも部屋のクーラーを直さないとなどと考えつつ湯船に入る。
「あ~、うぃ~」
自分でもおっさん臭いと思える声を出しながら、やっと一息を吐く事が出来た。
……などと思った時だった。
「アンちゃん!」
玄関のドアが開く音がしたと思ったらバタバタと足音が聞こえる。
遥がリビングに入ったのだろう、「うわっ、寒っ」と大げさな声が聞こえ、またバタバタと足音を立てながら優斗の名を呼ぶ。
「今風呂に居るぞ」
「あっ、お風呂入ってるんだ」
そのまま浴室の脱衣所まで遥がやってくる。
優斗が型ガラス越しに遥を見やると、とりあえず制服姿なのは理解出来た。
今日は登校日でもないし、部活に入っていなければ補習もない遥が学校に行く用事はなかったはず。
更に言うと、わざわざ学校帰りにウチに寄って、しかも浴室の前の脱衣所まで来るような用事があっただろうか。
そこまで考えて、優斗は思考を放棄する。遥相手に考えても無駄だしと。
「どうかしたか?」
「アンちゃん聞いてよ」
この口上。なんだ、ただの愚痴か。
そう思った矢先だった。
「実はさ、今日水泳部の子に誘われて、学校のプールで遊ぼうって話になったんだよ」
「学校のプールって、そんな事して良いのか?」
「うん。なんか開放日らしいよ」
「そうか」
そこまで話を聞いて、優斗はなんとなく予想が、いや確信が出来た。
「制服の下に水着を着て行ったら、着替えを忘れたとかか?」
「すごい! アンちゃんなんで分かったの!?」
「ぶはは!! 小学生かお前は!!」
分かっていても、口に出されると笑ってしまうものである。
高校3年生にもなって、制服の下に水着を着て来たのもアホだが、それで着替えを忘れるなんてバカだろうと。
一通り笑った後、優斗は真顔になる。
「えっ、マジで着替え忘れたって、制服の下はもしかして……」
「ちゃんと水着着てるよ!!」
「そ、そうか」
プールに入ろうとして、着替えを忘れた事に気づき、引き返して来たのだな。
まぁ気づく前で良かった。ちんちくりんなガキとはいえ、遥も女だ。何か間違いがあっても困るしな。
そんな風に考える優斗だが、相手は遥である。予想などいつも斜め上を行く。
「それで制服ベタベタになっちゃってさ」
「はぁ!? もしかして、着替えない事に泳いだ後に気づいたのか!?」
「うん」
「うんって、お前。それで濡れた水着のまま制服を着たのかよ!?」
「だってそうでしょ!? ブラもパンツもつけずに歩くとか変態じゃん!」
「いや、まぁそれはそうなのだが」
濡れた水着の上から制服を着るか、ノーブラノーパンで制服を着るかと言われれば、確かに水着の上からの方が良い。
とはいえ、とはいえである。どっちにしろアホらしい事に変わりはない。
「だからアンちゃんの短パンとシャツ借りたいんだけど、良いかな?」
「あー、良いぞ。好きなの持ってけ」
バタバタと足音を立て足音が遠のいていき、またしばらくしてからバタバタと足を立て足音が近づいてくる。
「アンちゃんサンキュー」
「おう」
お礼を言いながら、脱衣所で服を脱ぎ始める遥。俺が居るのだから着替えるならせめて他の場所で着替えてくれと思う優斗だが、口には出さない。
型ガラスごしとはいえ、ラッキースケベには変わりがないのだから。
そして、水着を脱いだ遥が、浴室のドアを開ける。
「アンちゃん、一緒に風呂入ろうぜ!」
「えっ……?」