第1話「お姉ちゃんがちゃんとお世話するから、安心してね」
「はぁ!? 家の事はどうすんだよ!」
3月のまだ少しだけ肌寒い日の朝。
朝早くから、安藤 優斗の叫びが、静かなリビングに虚しく響く。
優斗の父親がスーツケースをゴロゴロ転がし、なおも抗議の声を上げる優斗に母親が「大丈夫よ」と笑っている。
「優斗、落ち着きなさい。あなたももう高校2年生なんだから、一人暮らしくらいできるでしょ?」
母親の言葉に、優斗は白目を剥いた。
今まで家事をロクにやってきた事がないのに、唐突にそんな事を言われて出来るわけがないと。
「父さんが海外赴任なのは分かるよ! でも、なんで母さんまで一緒にアメリカに行くんだよ!?」
正論である。
優斗に対し父親が「まぁまぁ、2~3年で戻るから」と呑気に言う横で、母親が「あなたも良い歳なんだから」とあれこれと御大層に説教じみた事を言っているが、顔には「せっかくの機会だし、パパと一緒に海外生活を楽しみたい!」と書かれている。
ただでさえ情報が追い付かないというのに、両親のイチャイチャまで見せつけられ、ウンザリ気味の優斗。
「家のことは心配いらないよ。佐藤さんちの姉妹に頼んどいたから」
父親の言葉に、優斗の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「彩音ちゃんと遥ちゃん。覚えてるだろ? 春休みから家の近くに引っ越してくると聞いて、お前の事をお願いしたら世話してくれるってよ」
「はぁ!? 彩姉と遥が!?」
優斗の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
佐藤 彩音、かつて親戚同士で旅行に行った際に、見知らぬ土地で迷子になっていた優斗を助けてくれた、優斗にとっては頼れるお姉さん的存在。
その後も親戚の集いでよく顔を会わせ、昔は彩音の事を「彩姉」と呼ばれていたっけなとなどと思い返す。
ここ数年は親戚同士で集まる機会がなくなり、優斗の記憶の中に残る彩音は、まだ幼く、だが、どこか落ち着いた笑みを浮かべていた。
「世話って、彩姉が? いや、でも、彩姉だって忙しいだろ?」
「それなら大丈夫よ。この話をしたら彩音ちゃん、張り切ってたのよ。『優斗君のお世話なら任せてください!』って」
母親の言葉に「あっ、そうですか」と投げやりな態度を見せるが、内心少しだけ彩姉の世話焼きをなんか懐かしく思っていた。
昔のように、とまではいかないにしても、また彩姉に世話をして貰える。それはそれで悪くないかもしれないと。
「遥ちゃんも『アンちゃんとまた遊べる』って楽しみにしてるらしいわよ」
彩音の話をする時は、優斗に言い聞かせるように穏やかな笑みを浮かべていた母親だが、遥の話になるとニヤニヤといった笑みを浮かべ始める。
そんな母親の態度に、優斗が軽くイラッとする。
彩音の妹の佐藤 遥。
優斗の記憶の中では、自分の事を「アンちゃん」と呼び親しむ落ち着きのない少女。妹というよりは、優斗にとっては近所の生意気なクソガキである。
事あるごとに「アンちゃん」と言いながら抱き着いてくるせいで、大人たちから「将来の夫婦ね」などとからかわれた苦い記憶がよみがえる。
ちょうど今現在進行形で優斗をからかっている母親のように。
遥が来るってことは……あのガキっぽい絡みがまた始まるのか。
彩音が来る楽しみと、遥が来るめんどくささで微妙な気持ちになる優斗。
そんな憂鬱な気分になっている息子を見て、これ幸いにと、両親が家を飛び出すように出ていった。
翌週。
春休みの昼下がり。
リビングでそわそわとクマのように徘徊する優斗。
彩音と遥が来るのは昼過ぎだというのに、朝からずっとこの調子で落ち着きがない。
彩姉はどんな大人になっているのか楽しみで仕方がないからである。
ゲーム機なども準備し、なんだかんだで遥の事も気にしている辺り、お年頃である。
昔はめんどくさいと感じていたが、それは大人たちがからかうから。
それがないなら、アンちゃんといって懐いてくる事に悪い気はしない。
安藤家のチャイムが鳴ると同時に、優斗の心臓が跳ね上がる。
ドタバタと音を立て優斗が玄関まで走る。
玄関のドアを開ける前に、下駄箱の上に備えられた鏡で身だしなみをチェックをして、ヨシと軽く頷く。
「優斗君、来たよ!」
扉を開けると、そこには見覚えのある顔が二人。彩音と遥である。
優斗の記憶の中の少女とは違い、長身で、亜麻色の髪がサラリと揺れるおっとりした感じの美人系に育った彩音。
大人っぽく育った彩音を見て、「お、おう」と下手な返事しか出来なくなってる優斗。
そんな優斗を見て彩音がクスッと小さく笑う。
軽く笑った彩音を見て、優斗が拗ねるように「な、なんだよ」と言って見せる。
それが合図だったのだろう。二人して笑ってしまう。
数年前も、久しぶりに会う時は似たようなやりとりをしていたなと。
「アンちゃん、久しぶり~!」
そんな2人の和やかなムードをぶち壊すように、能天気な声を上げた主が優斗に抱き着いて来る。
優斗よりも頭一つ分くらい小柄で、ツインテールにピンクのリュック。ニパッと大きく開かれた口から見える八重歯がバカっぽさと子供っぽさをさらに強調させている少女。
「遥。俺をアンちゃんって呼ぶのやめろよ! ガキの頃のあだ名だろ!」
「え~、だってアンちゃんのが可愛いじゃん! ね、彩音ちゃん!」
遥がニコニコと笑いながら、彩音に振る。
彩音もニコニコ笑いながら「そうだね」と言うと、優斗としては何も言い返す事が出来ない。
「優斗君、久しぶり。お姉ちゃんがちゃんとお世話するから、安心してね」
落ち着いた優しい声と、それに負けないくらいの笑顔を見せる彩音。
彩音の笑顔に、優斗が思わずドキっとしてしまう。彼女は優斗にとって初恋の相手なので。
初恋と言っても、幼い頃に好きになった近所のお姉さん的な感じであるが。
「お、おう」
言ってから「しまった」と心の中で叫ぶ優斗。
数年たって綺麗になった彩音に対し、ドキマギしっぱなしなせいで上手く言葉が出せず、ドモったような返事をしてしまったので。
そんな可愛らしい弟の反応に、愛らしさから彩音がそっと優しく頭を撫でる。
「ご飯、掃除、洗濯、全部お姉ちゃんがやるよ。優斗君は私の弟なんだから、ちゃんと管理してあげるね!」
「いやいや。家の事を全部彩姉に任せっきりは流石に。俺も手伝うよ」
えっへんと胸を張る彩音に対し、手伝いを申し出る優斗。
家の事を彩音にやって貰えるのは確かに助かる。
自分が家事をしようとしても、料理、洗濯、掃除。どれ一つ満足に出来ない自信はある。
だからと言って、全部丸投げにしてよろしくといえるほど優斗は図太い性格ではない。
「優斗君、めっ! 優斗君の生活は、お姉ちゃんが完璧に整えるの」
言い合いの果てに、親指を立てる彩音を見て、優斗が諦めの表情を浮かべる。
めっ、をした時の彩音はテコでも動かない事を知っているので。
もう何を言っても無駄だろう。
ため息を吐く優斗。そんな優斗に追い打ちをかけるようにリビングから軽快な音と声が聞こえてくる。
「アンちゃん、彩音ちゃんのお世話、楽しみだね! ボクもご飯食べに来るね!」
「いや、お前は世話する側じゃねえのかよ!」
何勝手に上がり込んで、いつの間にかゲームを始めてるんだという優斗のツッコミに、遥が「アンちゃん、細かい~!」と笑う。
そんな遥に、彩音は「遥ちゃん、ちゃんとお邪魔しますは言わないとダメだよ」と優しく注意する。
「まるで昔に戻ったみたいだね」
彩音の言葉に優斗が笑って頷く。
また、あの頃みたいな騒がしくて楽しい日々が始まるんだなと、期待を胸に。
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