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1−8 ブレッド&ローズ

前回の簡単なあらすじです!



言葉が話せる黒い影と対峙し、ヨハンは驚きを隠せずにいた。

対話することはできるのか・・?

ヨハンが作り出した温かな雰囲気を壊すように、重量物に力を込めカチャッと金属の音が聞こえる。

その冷たく響いた金属音に、停戦協定は無理だと悟り、上げた重心を再度下腹部に落とし込み、一歩踏み出した足をおもむろに下げる。


くそっ。結局何もわからないままじゃないか。

悔しさと一縷の望みを絶たれた悔しさから、冷えた唇を噛む。

今回こそは逃げ切れるだろうか。

そう考える間もなく、黒い影は一気に突進してくる。

前回の黒い影(あばら骨をえぐられた、大柄の影)ほどの速度ではないものの、確実にあちらに分がある戦いであった。


何度経験しても、仮にもう一周やり直せるとしても、死神の手招きというのは何よりも怖いものであることは、ここまでの劣勢にもかかわらず一矢報いたいと考えるヨハンの姿から火を見るよりも明らかであった。


人としての生か、職人としての生か。

そんないつかのセリフが思い起こされたのは、死に際の絶望の中で必死にひねり出した妙案の答えが、右手に握られたバッグにあったからである。

ズシリと重さの伝わる工具からは、それらが単なる道具ではなく、職人の誇りとしての重みももっていたからに違いない。

三度目の死を間近に迎えたこの場面ですら、ーいや、正確にはもっと前から気が付いていたがー

最後までこれらを身を守るための武器だなんて考えたくなかった。


使うのは時計にだけ。

自身の繊細さの具現化といっていいほど、ヨハンは道具に人一倍のこだわりを持っていた。

道具の中には父から譲り受けて大切に手入れしながら使っているものもあれば、こだわり抜いた末、通常の数倍する値段で特注したものもある。

消耗品として買い替えるものだって入ってはいるが、それらはどれも大切な道具に変わりなく、時計以外に使うことはあり得なかった。


だが、ほかの選択肢がないことも確かだった。

そもそも何度も繰り返すことのできる命かどうかもわからないのに、この誇り高いプライドを以てしても死は心底怖かったのだ。

それは生物的なものもあるかもしれないが、やはり一番は家族のことだろう。

それが頭をよぎらずにはいられなかったのだ。


喘息患者のごとく息を切らしながら走るヨハンに、選択肢はなかった。

後方から迫る黒い影との距離を確認し、バランスを崩さないようにゆっくりとバッグから工具を取り出そうとする。が、その時、彼は第三の選択肢を閃いた。


時計・・・そうだ。私には懐中時計があるじゃないか!

この時計を巻けば、時を飛ばすことができるかもしれない。

この仮定は彼の命がこの森の中でループしているという説に比べれば、非常に弱く脆いものだった。

なんせ一度しか試していないし、この仮説を裏付けるものは一羽の鳥の命運だったことを鑑みれば、

まだ数十センチほどの工具を武器に、人の足や腹の骨を砕くほどの重量物相手に戦いを挑んだ方が賢明だった。


だが、鳥の生死が変わったように、この懐中時計には事態を好転させるほどの力があるのではないか。

この絶望の森に抗う、銀の弾丸になる。


そう信じたヨハンは、バッグに伸ばしかけた手を止め、胸ポケットから垂れているチェーンを掴んだ。

ここが勝負だ。

後ろから荒れた風切り音と、大地が揺れるほどの足音を感じ取り視線を向ける。

黒い影はすぐそばまで迫ってきており、あふれ出る狂気の殺意を発していた。


ヨハンは遠心力の要領で、前後に揺らしていたバッグを体から遠ざけ、力の限りを振り絞って影に向かい投げつけた。

彼の放った渾身の一撃は、見事に加速をつけ黒い影に衝突した。


「グ、グウオ、オウ・・?!」


何が起きたか理解できずに、怯み悶える黒い影。

周囲に散らばる工具に心の中で別れの言葉を告げ、込み上げそうになる涙をこらえながらも懐中時計をポケットから引き抜き、血走った目で時刻を確認する。

11時44分。

ヨハンは懐中時計の竜頭に手をかけると、長針を進めるように力を込めて回した。

いや、正確に言えば、()()()()()()のだ。

だが懐中時計の竜頭は、まるで巻かれるのを拒むかのようにピクリともしなかった。


おかしい。あり得ない。なんて硬さなんだ。


激しい動揺と寒さからか、手が激しく震えだす。

あまりに強く握るあまり、竜頭に刻まれた滑り止めの跡が指先に残り、出血せんとばかりに赤くなっている。

焦って泥と雨にまみれたシャツで手を拭き、もう一度回しなおす。

それはまるで稼働部品ではないかのように、動く気配すら見せなかった。


「おおおおおい!!!!何やってんだよお!!!」

混乱、いらだち、焦り、恐怖・・・

様々な感情に支配された彼は、精密機器であることも忘れて雄たけびを上げ、力づくで回そうとする。


勢いをつけてもう一度、回らない。

背中を丸め肩をいからせもう一度、回らない。


歯が割れることを覚悟で噛んで回そう。

混乱の末、自暴自棄の末路とも言える策を取ろうとしたヨハンは、ふと自身ともう一つの存在を忘れていたことを思い出した。

不安の元凶であり、諸悪の根源である黒い影に視線を移すと、それは最早怯んですらおらず、懐中時計をまっすぐ、羨望に近い眼差しで見つめているかのようだった。

しかし、小刻みに震える重量物のシルエットから察するに何かを伝えたげな、許しがたい感情を受け取った。


「ソ、ソレ、レノ、セ、セイダ・・・」

「オ、オマ、エノ、セ、セイダ・・!」


怨嗟のこもった台詞を吐きながら、重量物を強く握りなおす。


なんでだよ。竜頭を巻けば時が進むんじゃなかったのか?

どうしてだよ。さっきと何が違うんだよ。


ドガッ。

信じてきた打開策が一瞬にして破綻するような、えも言えぬ感情が心を支配する。

疑問と不信感が全身の血液と混ざり合ったまま、諦観の念は開いた瞳孔をゆっくりと縮小させる。

冷たい豪雨に打たれながら、ヨハンの体は地面と一体化し徐々に温度を失っていった。

骨は気味悪く光る石に還り、ふやけ切ったしわだらけの皮膚は泥と同化した。

頭部から吹き出るほどの血潮は、大地を讃えるかのように惜しみなく樹木の根に注がれた。


幾度となく森に響く直情的な粉砕音は、散らばる工具と肉片を残し、絶望と別れの旋律を奏でているかのようだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「…っ!!」


気が付けば、ヨハンは森の中に一人でたたずんでいた。


・・まだ回数制限ではなかったか。

一番最初に湧き上がった感情は、喜怒哀楽よりもまだループから外れていない、言い換えれば不死でいられることへの安心感だった。

人間的感情を失い、この森のシステムに染まり切ってしまった自身に苛立ちと悲しさを覚え、目頭がグッっと熱くなる。

何が安心した、だ。良い訳ないだろ。

この森からの脱出が目標のはずだったのに、死への慣れが生じていることを認めざるを得ず、胸が締め付けられた。


ここで死なないのなら、もはや抗う理由がどこにあるのだろうか・・?

そんな弱い言い分が心を支配し覆いつくす。

つ、辛すぎる・・。辞めたい、逃げたい。

押し殺してきた負の感情が、一気に占領をはじめ、瞬く間に黒一色に染まりあがる。

滲む涙の色すらわからなくなり、五感の機能が急速に失われていった。

全神経のコントロールを暗黒の精神に乗っ取られ、すべての外部情報に否定を押し付け始める。


あれもムダ、これもムダ、何をやってもダメ、何を考えてもダメ。

無意味、無価値、孤独、死、邪魔、不必要、害悪、無能、失敗・・・。


悪魔の檻に閉ざされた精神は、ヨハン自身をさらに檻の中に追いやるが如く罵声を浴びせ続ける。

自尊心を徹底的に破壊し貪る。

責任の一切を自身に押し付け批判する様は、まごうことなき負の連鎖であった。


落ちに落ち、感情すべてが無に帰した彼は、胸ポケットから垂れる金色のチェーンに気が付いた。

既に怒りの感情を失っていた彼は、無表情のままそれを取り出す。


彼とは対比的に、ほんのわずかの光を受けてキラキラと光る時計。

どんな時でも心の支えであったこの光も、今の彼にとっては波長の一種でしかなかった。


無意識のまま時計を握り、竜頭に手を伸ばす。

筋肉さえ仕事を放棄し、直立しているのが不思議なほどの状態の中、弱弱しく摘まんで回す。

無気力と無意識を象徴した指先で。


ヨハンの状況に同情せざるを得ない・・。

希望はあるんだろうか?


次回に続きます!

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