1−7 不平等な幸せ
前回の簡単なあらすじです!
絶望に屈することなく森を進むヨハンの前に現れた、4度目の黒い影。
だが、コイツは今までの影とは一風異なり・・?
「オ・・・オマエ・・。モ、ドル・・カ?」
ぶつ切りの音声のような、物同士が擦れあう歪な音声が耳に届く。
激しく降りしきる雨の中、間違えば風切り音として聞き逃してしまいそうなその声は、厳戒態勢を敷いていた彼に聞き逃すことのない悲痛な叫びとなって聞こえていた。
以外にもしっかりと発音されている一語一句に、無意識の親近感を覚えたのもつかの間、あまりの状況に大きな疑問符が浮かぶ。
予測できなかった不測の事態に、思わず眉をひそめ、今にも聞き出さんばかりに口をぽっかりと開ける。
いったい何が起きているんだ・・?この黒い影はしゃべるのか?
ここまでの長く辛い経験(実際には1時間弱しか経っていないが)を振り返り、ヨハンはどこか合点がいく感覚と、明らかな拒絶反応が心に湧き上がっているのを感じた。
今までに出会った影もどことなく人間性を感じていた・・・。
先の二体は決して言葉を話すことはなかったものの、風切り音のような叫びに似たなにかを上げていた。
今までの奴らは話せる個体ではなく、目の前のコイツだけが会話できるのか?
それとも今までの影は会話を拒否していたのか?
様々な思考が駆け巡る中、ヨハンは黒い影の正体におぞましすぎる可能性を考える。
奴らはもともと人間だったかもしれないという事実だ。
それなら奴らの動きや、言葉をしゃべる影がいることにも説明がつくのでは・・?
不安の元凶であった黒い靄が少しずつ晴れ、脇道の黒が一段と濃さを増す。
氷点下の温度と堕落を誘う腐敗臭に包まれた森の中で、一生かみ合うことのないパズルを解いているような感覚に陥る。
理解と謎が交互に織りなす生地は、この森自体を表すかのようだった。
徐々に頭の中で埋まりつつも完成しないパズルのピースに戦慄しながらも、ヨハンは返す言葉を考えていた。
「お前は・・何者なんだ・・?」
「モ、モド、ル・・タ、タカ、タタカウ」
「戻る?どういうことなんだ・・?」
「サ、ンカイメ、メダロ・・?」
「三回目・・?」
ゆらゆらと影を揺らしながらぎこちないテンポで話す影を見つめ、言葉の真意を考える。
ギアがかみ合わない歯車を修理するかのように、こめかみに力を入れ意識を思考に落とし込む。
戻るってどういうことだ?三回目?
戻ると聞いて真っ先に思いつくのはループした際に戻される場所や時間のことだろうか。
ヨハンはすでに三週目の人生をこの森で迎えており、ループする際には十字を彫り込んだ木の前に戻されている。
そのことをいうのであれば、この黒い影はループ地点の話をしているのだろうか。
そう考えたヨハンは、分厚く錆び切った記憶のドアをこじ開け、光のない記憶を少しづつさかのぼる。
あそこで見た景色は・・?
いや、足元のアリの群れは記憶にあるが、それ以外は特別なものなどなかったはず。
だからこそ樹木に十字を刻んだし、ループしてしまえばそれも消えてしまうのだから。
彼の中で既にある程度のヒントはあるものの、点と点が線でつながらず困惑しつつ、記憶の扉を力づくで閉め苦しい過去に蓋をする。
怨念のような過去に引っ張られて疼きだす右足とわき腹の痛みに悶え、ヨハンは吐血するかの如く激しい咳をする。
勇気の灯が希望の光なら、過去のトラウマは灯を消さんとする暴風雨だろう。
薄気味悪く光る足元の石が雨に打たれるのを見て、そんな感覚がふとよぎる。
だが確実に異なるのは、心の支配者はヨハンそのものだということだ。
灯が消えそうなのを傍観するのも自分自身、消えないように燃料を注ぐのも自分自身。
天国も地獄も自分が決める。希望も絶望も自分が決める。
そう確信する彼の右手に固く握られているのは、バッグから取り出し残りわずかとなったユーカリの薬だ。
一連の行動をただただ傍観していた影は、困惑しながらも、要領を得ないヨハンの回答を待つかのように、重量物を担ぎなおし、彼を見つめていた。
しかし、ヨハンが瓶をバッグに戻し、呼吸を落ち着かせ戦闘態勢を取り直すと、落胆と諦観の色を漂わせてため息のような低い風切り音を上げた。
「サ、サイゴニ、ス、ル」
不吉な言葉を受け嫌な汗が体を這いずると同時に、ヨハンは見逃していた至極まっとうな事実に気がつく。
この影、ループを理解している・・!?
なぜ今の今まで気がつかなかったのか。
思わず衝撃に目を見開き、困惑の表情を浮かべる。
この森でのループを把握するのは自分だけではない、という事実は彼の仮説に大きな自信を与えた。
その一方で、自身の命を狩るトラウマの元凶がそれを把握しているという状況は、想定しうる中で最も恐ろしいことでもあった。
また、ヨハンが気がかりにしていることの一つとして、「ループの回数制限」があった。
殺されればループする、ということであれば、それを逆手に取って永遠の命を手に入れたと考えることもできるのだ。
この森で永遠に生き続けたいかどうかは別としても、少なくとも不死であれば影の存在に怯えることもないわけなのだが、それはあくまでも不死である場合のみである。
ループに一定の制限があった場合、それはただ期限付きの悪夢を生み出す装置でしかなく、ここをはき違えてしまえば無駄死には避けられない。
そこまではすぐにわかる話であるが、問題は次の論点に移行する。
「ループ中のヨハンにとって、残りのループ回数が何回であるかを把握することは可能か」ということだ。
これは、人が生まれてから死ぬまでの一生を正確に予測できないように、彼にとっても難しいことであった。
現時点においても、ループを把握できているのはヨハンと目の前の影だけだ。
それ以外の風景、昆虫などの生物に変化を表すものはなかった。
黒い影に関しては、いつから森に存在するのかはわからなかったが、少なくともヨハンよりは森のことを把握しているように思えた。
とすると、黒い影はループの回数について何かヒントを持っているのか・・?
そのヒントがあるからこそ、”ループを終わらせる”と発言したのか・・?
数秒の時の中でここまでの思考に到達したヨハンは、低くしていた姿勢を上げて一歩踏み出し、こわばった表情を解いて親しみの雰囲気を精一杯に醸し出した。
会話して手がかりを見つけよう。幸いにもヤツは話せる。
「なあ、待ってくれ」
膠着した雰囲気を壊すようにあえて柔らかい、明るいトーンで話しかける。
死への恐怖は胸ポケットの奥に隠して。
この森の核心に迫れるのか・・?
次回に続く!
p.s. 100ユニーク数達成ありがとうございます!^^