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1-2 残酷な構造

前回の簡単なあらすじです!


隣町から依頼を受け、向かう途中で謎の森に迷い込んだ時計職人のヨハン。明らかに異常なこの状況を前にヨハンはどうする…?

降りしきる小雨の中、ヨハンの意識は自然と一つの方向へと向かっていた。

動かなければ。

ここにいたところで状況は変わらない。落ち着きつつある呼吸が再び荒れ、激しく鼓動を打っているのが、全身の血流から感じ取れる。


正直、何が起きているのかは一切理解できていなかった。

ものの数時間前までは温かい家庭でいつもの朝食をとり、エリザとエヴァに見送られた身だ。

それが今や一転、この白黒の世界にたった一人で方角もわからない・・・。


方角?そういえばなぜ自分は方角がわからないのだろうか?

もともと柔らかくぬかるんだ足元が雨で更に緩くなっているのを感じながら、ヨハンは周囲の遠方に目をやった。


明らかにおかしい。前後左右、どこを見ても永遠と同じような光景が広がっている。生気を吸い取られてしまったような木々が、ヨハンと同じく孤独に、しかし群れて生えている。


光がほとんど当たらないからなのか見渡せる距離の目算は一切ついていないが、それでも永遠と同じような光景が続いているのではないか・・・。と感じさせるほど、目印と呼べるものはほとんど目に入らなかった。


動かなければいけないが、こんな時に不用心に進路を決めてしまえば帰ってこれなくなってしまうかもしれない。

そう感じたヨハンはひとまず現在地を明確にするため、近くの木に印をつけようと思った。


何か固く傷をつけれられそうなものはないか・・・?とバッグを開こうとするが、重量のせいかとても空いた左手だけでは探せそうになかった。


再び地面に目をやる。無数の蟻と泥まみれの土壌。

今靴が汚れていることだって、ヨハンにとっては軽いストレスですらあったのだ。

それなのにここにバッグの底をつけるのか。


「くっ・・・」

ちょうど込み上げてきた咳ばらいに、舌打ちかため息を乗せるようにし軽く唸った。


まあ、シュヴァルデンの宿に着いたらバッグなど拭けばいいさ。

誰に言い聞かせるわけでもない説明を自分に投げかけ、と言いつつも若干の抵抗を見せた彼は、右足を少し前に出し、今や飛び散った泥がかかった革靴を素手で軽く撫で、手で支えながらそこにバッグを乗せた。


不安定ながらもバッグを開くと、カチャカチャと音を立てて工具が擦れあう。

事実、バッグを開く前から工具しか持ち合わせていないことは荷造りをした彼自信が一番理解していた。

それでもバッグに手を伸ばす姿は、落ち着き払いながらも、どこかクモの糸に縋る罪人のようでもであった。


ただ、この異常な森には地獄もなければ神も居ない。

徐々に体温が奪われていく感覚は、雨のせいなのか。


ひとしきりバッグの中を漁ったヨハンは、大きな岐路に立たされていた。

左手に握られているのは、手入れの行き届いた小さなマイナスドライバーであった。


白い吐息を乱れる呼吸に乗せながら、彼は職人としての経歴を走馬灯のように駆け巡らせた。


絶対に父のような時計職人になんかなるものか!と友と酒を呑み明かした青春の日々、遠回りしつつも大きな背中を追いかけ続けた下積み時代、街の中心にある時計台の依頼を受け、独立を認められた時…。


左手にあるのはただの道具ではない。

彼の全てを目撃してきた魂そのものなのだ。


それを苔とツタに覆われた生気のない、モノとも言い難いそれに使うことなど、彼のプライドが許すはずがなかった。


鳥の鳴き声一つない沈黙の森の中で、孤独な静寂が流れる。


冷え続ける空気と怒りでヨハンの左拳は震えていた。

崩れかけた平静を維持しようと、目を閉じ深呼吸をする。

腐敗とも死臭ともとれる凍てつく空気が肺に流れ込み、大きく咳込む。


人としての生か、職人としての生か。

選ぶ道は一つしかなかった。


ヨハンは手に食い込むほど握りしめたドライバーを、空虚で崩壊しつつある木に突き立てた。


まるで腐った肉に包丁を通すかのような

ー無論そんな経験は一度たりともなかったがー

ヌチャッっと手ごたえのない感触とともに、木の表皮がホロホロと崩れ落ち、足元の泥と同化する。


ヨハンは大きな十字を一つ描き、力なくよろよろと後ずさりする。

どこか投げやりな気持ちを隠せず、しわ一つないワイシャツの裾でドライバーの先を拭き、ついてしまった泥を軽く払う。


キレイ好きな彼を良く知るエリザやエヴァがこれを見たら、きっと驚くに違いない…。


こんな状況なのに何を考えてるんだ、と乾いた笑いが無意識に出る。


そんな虚ろな彼と対照的に力強く刻まれた十字をぼんやりと見つめ、向かって右側の方角に足を運ぼうとした。


たかがそれだけの事。されどそれだけの事。

そう言い聞かせながらも、仕事人としての彼を自身の手で刺し殺したイメージがこびりつく。


この感覚は、今やこの不気味な状況よりも負の影響を彼に与えていた。


ただ、この異常な森には地獄もなければ神も居ない。

押し付けられる容赦ない事実は、もう一つの悪夢を彼に見せた。


視界の端に何かがチラつく。

黒い影だ。

ヨハンはそうとしか形容できない苛立ちと、その謎めいた蜃気楼に全神経のコントロールを一瞬にして奪われた。


「な、何なんだ…!誰なんだ…!」


咄嗟に口をついた言葉は、稚拙ながらも()()を的確に表していた。

(かすみ)の様な霞のかかったシルエットは左右に揺れ、ともすれば深淵の最奥部かと見間違えるほどの黒色…

()()は僅かに人のようにも見えたが、確実なのはこの世のものでは無い、ということだけだった。


その黒い影は上擦った声の主がヨハンだと分かると、こちらをじっと見つめるかの如く静止した。

と、その刹那、黒い影はすきま風の様な掠れた鳴き声を上げ、猛突進してきた。


「うわぁぁ!」


情けない驚嘆の声に羞恥を感じる間もなく、彼はバッグを握りしめ逃げ出していた。


ぬかるみに叩きつけられる革靴の底は、容赦なく泥水を跳ね上げ、ドライバーの先端を拭いたシャツの汚れが気にならなくなるほど斑点を散りばめていた。


バッグの工具は揺れる満員電車の乗客の様に左右に叩きつけられ、甲高い衝突音を上げていた。


いつからか大粒に変わっていた雨粒を顔面で受け止め、冷や汗と泥で全身に不快感を感じながらも、ヨハンは血の味が滲む呼吸とともに前のめりで逃げ出した。


肩越しに視線を後方に投げると、黒い影は速くはないながらもジリジリと距離を詰め追ってきていた。


写真に切り取った様な一瞬、ヨハンは()()が120〜130cm程だと感じ取った。


バッグを持つヨハンの様に右肩が下がっているのは、()()も右側に何か重量のあるものを持っているからなのか?とすれば…


観察能力と思考能力が同時に最大稼働する中、彼は自身の左足が躓いていることなど意識の外だった。


シーソーの片方に重りが落とされたかの如く、ヨハンはとてつもない勢いで額から叩きつけられた。

あまりの勢いに一瞬体が宙に浮き、衝撃よりも驚きが勝ちそうなほど曖昧になった意識の後、激しい頭痛とともに眼前に広がった光景は恐怖そのものであった。


ヨハンが目にした光景とは…?

次回に続きます!


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