第85話 悪女、消える。
筆記試験の真っ最中。
(ノーラ、どうしたの?)
(もうちょっと見納めてもよかったかな、って思って)
(えっ?)
てっきりシシリーは目の前の問題に集中していると思ったら、私の様子を窺う余裕があるとは。
(てか、なに? 次代の大賢者シシリー=トラバスタ様には、このくらいの問題は朝飯前?)
(なにその次代の大賢者って)
(だって彼を超えるなら、大賢者になるしかないでしょう?)
彼とはもちろん、次代の賢者ことアイヴィン=ダール。
正直、最期にもう一度彼と話しておきたかったな。
せめて、彼の顔を見納めておけばよかった。
そんなことを、思わないでもないけれど……あぁ、やっぱり八○○年生きてようやく知ることもあるんだね。どんなに準備をしていたとしても、後悔って残るものなんだ。
(ノーラ?)
(ほら、集中集中!)
私が無理やり話を切ると、シシリーは渋々解答用紙にペンを走らせ始める。
彼女が紡いでいく文章に、私は口角を下げることができない。
まさかの面談の相手に、私は目を見開いた。
あらまー、ずいぶん大物が出てきたね?
「はじめまして、でいいんですよね? シシリー=トラバスタさん」
「はい。お初にお目にかかります」
受験者はひとりずつ割り当てられた部屋に通されるシステムらしいけど、まさか普通の部屋の中に所長を務めるオジサンだけが待っているとは。
夏の頃と変わらず、少し白髪交じりのぽっちゃりなアイヴィンの養父である。
そんなお偉いさんに丁寧にお辞儀をしたシシリーは、誇らしげに顔を上げた。
「わたしがシシリー=トラバスタです」
夏に会ったときは、『ノーラ=ノーズ』が攻撃魔術を受けたからね。
『シシリー』本人が所長とお話しするのは、たしかに初めてだ。
そんな一対一の特別待遇に臆することなく、シシリーは「どうぞ」と案内された椅子に腰をかける。
そこからは志望動機など、無難な質問がされるかと思いきや……この所長、いきなりテーブルに肘をついてニコニコと笑いかけてきた。
「さきほどの答案に、あなたは面白いことを書いていましたね」
それは私も同感である。
先の試験問題は、シンプルな大問がひとつだけだったのだ。
問、『魔力』とは何か。あなた自身の定義を答えよ。
模範的な定義を答えるならば『誰しもに備わった生命力。その起源は我ら人類が地上に産み落とされたときに神より授かった能力のひとつだが、実際は血液中に含まれる成分のひとつとされており――』などと、神話から現代の魔術式における仮説などに繋げてごちゃごちゃと知っている知識をそれらしく書き連ねるのが、試験のセオリーなのだと思うが。
シシリーの回答はこうだった。
答え、自信です。目の前にどんな困難が立ち塞がろうとも、たとえ見知らぬ場所に一人きりになろうとも、しっかりと前を向いて、自分の足で歩いていく力――そんな勇気が、わたしたちに奇跡を与えてくれるのだと思います。
以上である。
そりゃあ、私とおしゃべりをする暇も生まれるというほどの簡潔さだ。
しかも、そんな精神論が通用するのはせいぜい『魔法』が反映していた時代。
もっと効率的で体系的な学問となった現代においてはナンセンス。それこそ八○○年前の人間くらいしか信じていない理屈だ。
……それをわからないシシリーではないはずなのに。
所長は和やかな口調で尋ねてきた。
「大半の学生は、魔力という動力の組成など具体的に語るものですけどね。あなたのその考えは、『誰か』からの教えですか?」
誰かとは、当然大昔の大天才のことを指しているのだろう。
シシリーもそのことを察しているはずなのに、なぜか嬉しそうな顔で答えた。
「はいっ!」
「ほお……あなたにとって、そのひとはどんな方ですか?」
その質問に対するシシリーの回答は、とても力強かった。
「とても強い女性です。すごい実力があるから、いつでも手を抜けるはずなのに……いつも全力で、背筋を伸ばして、何事にも前向きに取り組む女性です」
いや、なにこの羞恥体験。
なぜシシリーの面接のはずなのに、私の話をし始めたのだろう……。
だけど、シシリーのお喋りは止まらない。
「それに、とても優しい女性です。自分が悪役になることも、自分が傷つくことすらも厭わない、とても心の広い女性です。いつか、わたしも彼女のような悪女になりたいんです。彼女のように、誰よりも優しい悪女になりたいんです」
それはただの買い被りというか、百歩譲ってもただの年の功というか。
それに、心優しい悪女って何かな? 矛盾してない?
めちゃくちゃ論破したいところだけど、我慢だ、我慢だ……。
こんなむず痒い思いも、あとほんの僅かで終わるのだから。
「そうですか……あなたにとって、その方との出会いはとてもよいものになったのですね」
「はいっ!」
もう、返事が清々しすぎるってば……。
なんと、面接内容はこんなんで終わってしまうらしい。
所長は「それじゃあ、最後にこちらの水晶で魔力測定を」と頭蓋骨大の水晶を出してくる。
研究員とて、やはり王のお膝元にある魔術機関である以上、最低限の魔力を持ち合わせていないと話にならないのだろう。それは昔も今も変わらないらしい。
事前に聞いていた規定値は、平均魔力値の1.75倍ほどだった。
アイヴィンクラスで、平均の二倍は軽く超えるけど三倍までは届かない程度のはず。
果たして、一年前まで『枯草令嬢』だったシシリーは?
(ノーラ、見ていてね)
彼女はそう私に話しかけてから、水晶に手をかかげて目を瞑る。
そして体内の魔力を手のひらに集めて――彼女は叫んだ。
「来い、わたしの魔力っ!」
ちょっと、それはいったい誰の真似⁉
来いも何も、あなたの魔力はあなたの中にちゃんとあるでしょう⁉
でも……あぁ、もう、目頭が熱い。
そんな『稀代の悪女』の真似で、水晶がこんなにもまぶしく光るなら。
――もう、私なんて要らない、かな……。
シシリーの体内から、大きな魔力が膨れ上がった。
だけど魔力の操作がまだ未熟なせいか、水晶以外の場所に溢れてしまっているね。それでも、溢れた魔力さえも可視化できるくらいに濃い魔力量を数値化するならば……まさに稀代の悪女クラスではなかろうか。
そのとき、ずっと微笑ましく見守っていた所長が声を荒げる。
「これ以上はおやめなさいっ!」
「まだいけますっ!」
「違います、あなたの大切なひとが――」
――もう遅い、かな。
私の声はもう誰にも届かない。
シシリー自身の魔力が、完全に私を追い出してしまった。
私にまだ『魔力』があれば話は別かもしれないけれど……もう、何も思い残すことはない。
シシリーはこんなにも立派になって。
私もすごく楽しい青春を送れた。
アニータと仲良くなれて嬉しかったな。
素直じゃないお姉ちゃんもなかなか可愛かったし。
大勢の前で演じたり歌ったり、何よりみんなでひとつの舞台を作り上げる経験がすごく楽しかった。
体育祭では自分の運動神経の悪さをこれでもかと痛感させられたね。
里帰りも、パパのお膝に乗ったり満喫してみたし。
死んでも残る母の愛情には、とても驚かされたっけ。
図書館デートも見ていただけとはいえ、ドキドキだったな。
王宮メイド体験もなかなか刺激的だったね。
失恋も……青春のスパイスだよね。あんなに悲しいものだなんて、私は知らなかったよ。
だからもう、思い残すことはない。
なによりシシリーがこんなにも頼もしくなったのだ。
最初の約束より、少しだけ早いけど……。
今までありがとう、シシリー。
私の魔力が身体から抜けた感覚に、ようやくシシリーも気が付いたのだろう。
彼女は慌てて虚空を見上げて叫んでいた。
「ノーラ……ノーラ! ノーラッ‼」
シシリーが伸ばした手に、私も手を伸ばしているけれど。
もう、私の手では彼女に触れることができなくて。
だから最期に、私は彼女を抱きしめる。
(さよなら、シシリー)
彼女の温もりはわからないし、私の体温も伝わるはずがないけれど。
それでも、私の大切な大切なあなたに、どうしても最期に伝えたかったから。
(だいすき)
そして、稀代の悪女・ノーラ=ノーズは消える。
八○○年以上に渡る人生の幕引きに、大好きなひとの泣き声を聴きながら。
あと発売まで3日です!!
……え、まじで3日?






