第81話 悪女、失恋をする。
淡い髪の美青年が、長い黒髪の少女の両頬に手を添えて。
キスを終えた後の黒髪の少女の顔は見えないけれど、顔を寄せていった青年はとても嬉しそうな顔をしていた。
(アイヴィン……)
気が付けば、シシリーがマーク君の制止をよそにスタスタと屋根を歩いていく。
そしてアイヴィンが「シシリー……」と口を開きかけた瞬間、彼女は容赦なくアイヴィンの頬を叩いた。
「最低……わたし、あなたならって信じていたのに!」
そして大きな涙を零しながら、シシリーは時計塔から駆け下りる。
止めなくては。こんな屋根の上から、シシリーがどうやって一人で下りるのか。
だけど、なぜか私は声が出なかった。
あぁ、シシリーについていかなくては。
ただ、いつまでもここに居てはいけない気がして。
そんな私より、シシリーの方がよほどしっかりしているらしい。ちゃんと屋根の縁から無駄のない魔術を使い、自分一人でもしっかり眺望台へと下りていた。そんな泣きながらの一人の帰還に、花火が始まる前のロマンチックを見ていた生徒たちがどよめいている。
だけどシシリーはそんなまわりのことなど意図もせず、階段を駆け下り始めた。
彼女も混乱しているのか、言葉は実際に口から発せられていたけれど。
「悔しい……悔しいよ、ノーラ」
(……実はアイヴィンの方が好きだったとか?)
「そんなわけないじゃん! わたしは、彼ならちゃんとノーラのことを幸せにしてくれると思っていたんだよ! それなのに……それなのに……!」
(シシリー……)
この子は、本当に何を言っているのだろう。
私はどうせ、あと数か月で消える存在なのだ。
それなのに、幸せ? 今の状態ですでに幸せだよ。シシリーと出会えて、八百年前には想像することもできなかったような、そんな楽しい毎日を過ごせて。
だから、もう十分なのだ。むしろ、これでよかったのだ。
だって、消える存在の私に恋をしても、無駄じゃない?
これから先、長く一緒に生きていける相手の方が、アイヴィンも幸せになれるでしょ?
とても賢く、計算高い彼が、ようやくそのことに気が付いたのだ。なんてめでたいのだろう。むしろ、無駄に悲しむ前に気が付いてくれてよかった。
ただ、それだけ。私は安堵しているくらいなのだから。
それなのに。それを、しっかりとシシリーに伝えなくてはいけないのに。
どうして、私の口は動いてくれないのだろう。
さっきまでうるさいと文句言われるくらい、きゃあきゃあ騒いでいた口なのに。
やっぱりシシリーは足が速いね。上るときはあんなにゆっくりだったのに、ひとりだとあっという間に地上まで着いてしまった。外に出た途端、見覚えのある女の子がチラチラとこちらを窺っている。アニータだ。もしかして……シシリーのデートが心配で、様子を見に来てくれていたのだろうか。
アニータが、シシリーの顔を見た途端、青白い顔で駆け寄ってくる。
「シシリー⁉」
そんなタイミングで、シシリーは何を考えているのか、身体を私に渡してきて。
思わずよろめいてしまった私を、アニータが受け止めてくれた。
「本当にどうしましたの⁉ まさかマークさんが何か――」
「違う……アイヴィンが……」
「ダール卿が?」
アニータを心配させるわけにはいかない。それに何も悪くないマーク君に、私が冤罪を着せることなんて許されない。
だから、なんとか言葉を紡ごうとするのに。
どうしてだろう。代わりにポロポロと涙しか出てこない。
「はは……まいったな。これ、八百年前よりきついかもしれない」
「シシリー」
アニータが私を抱きしめてくれる。その腕の中が、すごくあたたかくて。
私はアニータの優しさに甘えて、しばらく彼女の胸を借りる。
花火はまだ上がっていた。
私の嗚咽を、花火の音は掻き消してくれたのだろうか。
そして、翌日の教室で。
「二度と、あたくしのシシリーに近寄らないでくださいます⁉」
「えっ?」
いつも通り「おはよう」と話しかけてきたアイヴィンに、アニータは開口一番喧嘩を打っていた。目を白黒させるアイヴィンは、さらにアニータの逆鱗に触れたらしい。
「しらばっくれるなんて最低ですわね。このケダモノ!」
「いやぁ、俺、そこまで嫌われるようなことしてないよねぇ?」
アイヴィンが私に助け船がほしいと視線を向けてくる。
うん、アイヴィンは何も悪いことをしていない。
だからアニータを説得してあげなくてはならないのに……やっぱり、私は口を開くどころか、彼の顔を見ることすらできなくて。
「え、本当に意味がわからないんだけど?」
「さすがに、僕も軽蔑した。アイヴィン」
そんな時、珍しく教室に入ってきたのがマーク君だ。
彼も隠すことなく、アイヴィンに言葉通りの視線を向けていた。
「悪いが、僕も当分おまえの顔は見たくない。他の人材を手配したから、おまえは存分に恋愛を堪能するがいいさ」
「いやほんと、たった半日研究室にひきこもっていただけで、何がどうなって――」
だけどアイヴィンの弁明すら聞くつもりのないマーク君は、あっという間に踵を返して。ちらりと私を見てから、再びアイヴィンを見やる。
「あ、僕、シシリー嬢に告白したから」
「はあ……」
「おかげさまでまだ返事は貰えていないけど……僕は気長に攻めるつもりだ。少なくとも、おまえのような薄情者にだけは渡すつもりはない」
「だから、本当にみんな何の話をしているの⁉」
アイヴィンが全力で戸惑ってみせている中、その後ろをハナちゃんが通っていく。こちらを一瞥することもなく、まるで関心すらもないかのように。
そんなこんなで、朝礼開始の鐘が鳴る。
先生が「もうすぐ冬休みだ」とか話していた。
だから、私は兼ねてから思っていたことをシシリーに提案する。
(最期に、二人で行きたい所があるの)
これにて『9章文化祭編』も終了です!
いやぁ、ここまで来るのに長かったですね。
次章から冬になり、物語も佳境へと進みます。今が一番の落ち目だと思いますが、ちゃんと正真正銘のハッピーエンドですので、最後まで安心してお付き合いくださいませ。
――が、最後にプロットなどの調整をしたいので、少しお休みをいただきたく思います。
来月11月15日に小説1巻が発売予定ですので、その五日くらい前から『10章 冬が始まり、終わる場所』を連日更新したいな、と思っております。
コミカライズもこの間最高の原稿を頂戴しました。
少しお休み頂戴しますが、これからもノーラとシシリーをよろしくお願いいたします!
ゆいレギナ






