第7話 悪女、開眼する。
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今までのわたしの一日は、朝早くから始まった。
自分の身支度なんて、顔を洗うくらいの暇しかない。すぐに給湯室で紅茶を入れて、双子の姉・ネリアの部屋にもっていく。寝起きが悪いネリアを何とか起こしながら、彼女が紅茶を飲んでいる間に今日着る制服の手入れ。それが終われば食堂から朝食を運んできては、彼女が食べている間に、昨日のネリアの宿題をチェックする。食事が終わったら身支度だ。着替えを手伝い、髪を毎日可愛くアレンジする。
そして各々午前の授業を受けては――昼休みはまたネリアの食事の給仕から始まる。食事の間にネリアが勝手に引き受けた先生の手伝いや雑用を片付けたり、私が受けた雑用を片付けたり。
午後の授業が終わり、放課後も似たようなものだ。自分の宿題とネリアの分の宿題。他にもネリアから何か頼まれれば、それもこなして……夜はネリアの入浴の手伝いのあとに、マッサージや髪の手入れを念入りにして。自分の時間なんて、図書室で借りた本を数ページ読めるかどうかくらい。毎日倒れるように眠っては、あっという間に朝が来る。
そんな毎日の中で、自分の見た目なんて気にする余裕がなかった。
たとえ魔力がなくても、魔術の勉強は楽しかった。自分で扱えなくても、その仕組みや式を解読するのがとてもワクワクするのだ。そんな楽しい勉強させてもらえるだけで、十分わたしは幸せだ。
――そう、わたしは幸せなんだ……。
ボサボサの髪でも。よれよれの制服でも。ひび割れた手でも。
少しでも、楽しい勉強ができるだけで、幸せなんだ。
だってわたしは『魔力なし』の『枯草令嬢』なんだから――
◆
「よし、これで最後――」
私は前髪をハサミでバッサリ切り落とす。
アニータの好意に甘えて今どきのお手入れ法や化粧の方法を教わったけど、なんやかんや一晩かかってしまった。睡眠不足がお肌への大敵って言うけどね。こちとら中身は八百年寝ていたようなものだから、そこで帳消しにしてもらいたい。
さて、朝日も昇って通学の時間である。だけどその前にご飯くらいは食べたい。昨晩はアニータの侍女が私の分まで運んできてくれたけど、侍女のいない生徒は自分で食堂まで行って食べるらしい。
「腹が減っては戦はできぬって言うしね」
八百年前の格言を胸に、私は狭くて本だらけの部屋から飛び出そうとした時だった。
(誰……⁉ この前髪ぱっつん、誰⁉)
「あら、起きたの?」
心の中から発せられた驚きの声に苦笑する。どうやら私のお姫様が目覚めたようだ。私は同じように意識を心の中に落として、彼女に話しかける。
(おはよう。体調はどうかな?)
(えっ、なんであなたの声が――)
(そりゃあ同じ身体を使わせてもらっているんだもの。会話くらいできるよ)
(あの……えーと……)
私の中の女の子、シシリー=トラバスタは未だ私に憑依されているという実感がないらしい。まぁ、仕方ないよね。ゆっくりと慣れて行ってもらうしか。
(とりあえず、昨日あったことを簡単に説明しておくね)
そう前置きしてから、私は話す。
とりあえず階段から突き落とした女の子たちは『お話』するまでもなく逃げて行ったということ。怪我したところを同じクラスのアイヴィン=ダールが助けてくれたこと。魔術実技の課題もアイヴィンの手を借りて十分な結果を出したこと。婚約者らしい男の子には婚約破棄……ならずとも保留であると宣言したこと。隣の席のアニータとは友達になったこと。彼女の協力も得て、見た目をできるだけ整えたこと。
それらを掻い摘んだだけなのに、シシリーは青白い顔をしていた。
(ひえ……なんでたったの半日で……そんな……)
(いやぁ、やっぱり学校って楽しいね! 毎日こんなイベント目白押しとかワクワクしちゃう! それで見て見て、まだ肌のひび割れまでは完治しないけど、だいぶ整えてみたつもりなんだ!)
(だからなんで前髪……これじゃあ顔が……)
色々と混乱しながらも、シシリー的な一番の問題は眉の上でばっさり切りそろえた前髪らしい。元から可愛い顔立ちしているんだから、隠す必要ないと思うんだけどね。まぁ、切ってしまったものはすぐに戻らないので、嫌でもしばらくの辛抱してもらうしかないけど……。
でも反省はしてないよ。だって、これでも婚約者への発言とか色々先走りすぎたかと心配してたんだけど……一番気になるところが自分の見た目なんだね。やっぱりちゃんと女の子なんだ。
これからウンと可愛くしてあげなきゃ。身体も大切に使おう……と、まだガサガサしている手を撫でながら、私はシシリーに尋ねる。
(でも、身体はまだ私が使っていてもいいのかな。戻りたいならいつでも返すよ。無理強いできることじゃないからね)
(あの……それは……)
無理しなくていい。また自分で生きたいと思うまで、ゆっくり休めばいい。いつか羨ましくなるくらい、めちゃくちゃ楽しい青春を過ごしてみせるから。
だから言いよどむシシリーに、私は小さく微笑む。
(言ってくれれば、いつでも返すからね。遠慮しないでね)
そう言い残して、私は意識を現実へと戻す。
「それじゃあ、ご飯を食べに行かなくっちゃ!」
今日の朝食はなんだろうか。昨晩は大豆という豆からできたハンバーグだった。八百年で進化した料理の味にはほっぺたが蕩けそうで……今朝は何が食べられるのかとワクワクしながら食堂へと向かう。
するとなぜだか、その入り口で仁王立ちで待っている女の子がいた。
緑色の髪。少しきついけど整った目鼻立ち。どこか見覚えがあるなと思っていると……私の中のシシリーが怯えだす。
(朝食を……わたしが届けなかったからだ……)
(ふーん。知り合いなのね)
ならば挨拶をしなければと「おはよー!」と手を振ってみたものの……その少女は扇で口元を隠しながらも、あからさまにおかんむりだった。
「何がおはようなのよ! 昨晩も今朝もわたくしに食事を運んでこないなんてどういうつもり⁉ パパに言いつけられたいの⁉」
「あら、私は学生であって誰かの従者じゃないと思うのだけど」
実際に私が着ているのは学校の制服だし。昨日も教室に自分の席があった。
つまりそれは何より『シシリー=トラバスタ』が学生であるという証拠であり、自分の世話こそすれど他人の世話をする必要はないという証明になると思うのだけど……。
心の中のシシリーは今にも泣きそうに震えていた。
(ダメ……! ネリアにそんなこと言っちゃダメ!)
(そもそも誰よ、このネリアって)
(姉……わたしの双子の姉です……)
うん。やっぱりすぐに交友関係を本人に確認できると、すごくラク。
そっか~。双子の姉にこき使われているって聞いたけど……案の定、とっても愉快なことを口にしてくれる。
「生意気言って! あんたはわたくしの世話をするために入学させてもらえた恩義を忘れたの? きちんと義務は果たしなさいっ‼ それに何よその見た目は……見苦しい顔を晒さないでくれる汚らわしい!」
えーと、ツッコみどころが満載だね?
とりあえずシシリーも起きていることだし……代わりに言い返してみようか。
キャンキャン吠えてるだけの子犬ちゃん、何も怖がる必要ないんだよ――て。
「なんで私がお姉ちゃんのために、そんなことしなきゃいけないのかな?」






