第36話 悪女、見守る。
……ん?
ちょっと反応が遅れてしまった。
シシリーが自ら頑張りたいと? 諸悪の根源たる父親相手に?
そりゃあ応援しますとも!
(もちろんもちろんもちろんもちろん! 私はずっとそばにいるからね! 無理ってなったらすぐ撤退していいからね! 即座に私が倍返ししてやるからね!)
(うん、がんばる)
そして、私は目を瞑る。身体の奥に引っこむ感覚。代わりに身体を預ける感覚。手足は軽くなるのに、心が重くなるような……そんな言い難い感覚に小さく笑ってから、私はゆっくりと目を開く。
そこでは、ちゃんと『シシリー=トラバスタ』が父親と対面していた。
「うーんと。その辺境伯と次期賢者だと、どっちの方が偉いのかなぁ?」
「次期賢者……だと?」
えーと、シシリーさん? その喋り方は、もしかして私の真似をしているのかな?
いや……憑依した当初、調子に乗って元のあなたの口調や趣向のことを無視しまくって今に至るのは……大変申し訳なかったと思うけど。
私、そんな偉そうに話しているかな⁉
だけど、口角をあげているシシリーはこう見えて目いっぱいなのだろう。普段より速い鼓動と、手足の震えは私にも伝わってくる。
シシリーは私のツッコみに応えることなく、はつらつと話し続ける。
「同じクラスのアイヴィン=ダールから何度も告白されているの。どうしようかなぁって悩んでいるんだよねー」
「アイヴィン=ダールだと⁉」
その若き天才の名は、シシリーパパもご存知に様子。
だけど……ちょっとシシリー⁉ 今、その名前を出していいの⁉
「アイヴィン=ダールは……ネリアが近い将来、我が家に連れてくるという話ではなかったのか?」
あら、ネリアの意中の人がアイヴィン=ダールだということは私も知っていたけれど……なんと親には確定事項として話していたとか。それってかなり強気だったね?
実際はデートの一回どころか、ラブレターを燃やされている事実を知っている私としては苦笑どころか失笑してしまうくらいなんだけど……とりあえず、パパはネリアへの事実確認をするらしい。
その間に、私もシシリーに確認しておかなければ。
(シシリー⁉ あなた、アイヴィンのこと好きだったの⁉)
(ううん。わたしは……意外といい人だったんだなぁとは思うけど、ただそれだけだよ)
(じゃあ、やっぱり権力とお金が――)
(でも、ノーラはアイヴィンのこと好きでしょ?)
(えっ⁉)
こ、この子は一体何を言っているんだろう⁉
だけどやっぱり、目先重要視されるのは対話相手のパパである。
ネリアと話したパパは頭を抱えていた。
「まぁ……我が可愛いネリアがお眼鏡に叶わなかったのは不運な出来事だったとしか言えんが……その代わりが貴様だというのがどうにも納得がいかん! どうして貴様がよくてネリアじゃダメなんだ⁉」
「それは……天才だからこそ、変わったものがお好きなのでは?」
おやおやシシリーさん。そこは及び腰ですか? それとも……遠まわしに私が変わり者だと揶揄したいので?
それでも、パパはもう怒ってはいなかった。
「本当にアイヴィン=ダールと縁続きになれるならこんなに上手い話はないぞ。ネリアの相手は兼ねてより見繕っていた相手に連絡するとして、本当にやつが賢者になった暁には――」
なにやらパパ、とても楽しそうである。
メイドさんに「食事は執務室にもってこい!」と命令しながら、足早にダイニングから出て行った。面白いことに、パパもネリアの恋路が叶わないと思っていたらしいね。ねぇ、お姉ちゃん。今どんな気持ち? どんな気持ち?
――と、私ならめちゃくちゃ前のめりに聞いてやりたいところだけど。
シシリーは半泣きのネリアとやっぱり見ているだけのママをそれぞれ見てから、メイドに頭を下げていた。
「雰囲気悪くしてしまったので、わたしも朝食を辞退させてもらいますね。せっかく用意してもらったのにごめんなさい。庭で休憩してますね」
すると、そのメイドさんはこっそりシシリーに耳打ちする。食べやすい形にして、あとで庭に持っていくと。その有難い申し出にシシリーは「ありがとう」と嬉しそうに笑っていた。
どうやら昔から、シシリーの人格は家の者に認められていたらしい。
今日も一日よい天気になりそうだ。
夏の眩しい日差しの中、庭先の大樹に背中を預けて、シシリーは座り込む。
(つかれた~。ねぇ、ノーラ。戻ってもらっていいかなぁ?)
(……はいはい)
戻るって。元はこれ、あなたの身体なんだけど?
そうは思いつつも、ずっと父親に言われるがままだったシシリーはとてもよく頑張ったと思う。私は乞われるがまま身体の主導権を預かって……その重くなった手足を確認していた。
(でもシシリー。アイヴィンの名前を出して、本当に良かったの?)
(だってノーラは、絶対に出すつもりなかったでしょ?)
(うん)
そりゃそーだ。シシリーが本気でアイヴィンが好きというならともかく、そうでない以上――ここでアイヴィンの名を借りるのはシシリーにとっても、アイヴィンにとっても迷惑にしかならない。アイヴィンが……よく愛を囁いてくる相手は、いつか消えゆく『私』なのだ。
普段の言動が冗談なら構わないけれど……アイヴィンがいくら本気で想っていたとしても叶わぬ恋である。私が想いを受け取る資格なんてない。
(ねぇ、シシリー。あなた……私が短い付き合いだって、ちゃんとわかってる?)
その時、運悪く籠を持ったメイドさんが「シシリー様」と声をかけてくる。中には美味しそうなサンドイッチがたくさん詰め込まれていた。
(やったね。さぁノーラ、どれから食べる?)
どうやら、彼女はわたしの問いに答えるつもりがないらしい。






