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第03話:まな板  作者: 吉野貴博
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上中下の上

 私に依頼を持って来たのは、動画投稿界で有名な人だった。

 名前を検索してみると料理をする人で、音フェチの人気が高い。

「幼い頃両親と車で旅行に行きましてね、山から抜けることが出来なくなって延々と走っていまして。一本道ですから道に間違えるはずもなく、山自体を間違えたのかとも考えたのですが、もうそのときには戻ることも出来なくなって。日が落ちてきたのですが、当時は携帯電話もカーナビもありませんからね、予約していた宿屋に電話をかけることもできないので事情を話すこともできず、キャンセル料はどうなるんだろうなんて震えながら話していました。

 日が落ちて暗くなってきたときにようやく一軒家の明かりが見えましてね。

 車を止めて、父が今いる所を教えてもらう、電話を借りようと行ってみましたら、すぐに泊めてもらえると戻ってきました。

 女性が一人ぐらしで、私達を見て大変でしたねと同情してくれました。

 あと地図の上では走っていた距離は大したことがなくて、あと数時間で町に出られるとのことでしたが、大事をとって泊めてもらうことにしました。

 女性の方が料理を作ってくれていまして、その音を聞きながら、私は眠ってしまいました。

 起きたらどこかの一室で、病院でした。

 すぐそこで看護婦さんが仕事をしていまして、声を掛けたら驚いて部屋の外に出て、大勢の大人が入ってきました。

 脈とか血圧とかいろいろ調べているうちにがっしりした人が入ってきまして、事情を教えてくれました。

 車が崖から落ち、両親はもう亡くなっていると言われました。

 私も長いこと意識を失っていて、葬儀はもう終わっていること、遠い親戚が私を引き取ってくれることなど教えてくれました。

 私が、そんなはずはない、私達は一軒家で泊めてもらうことになっていた、私が眠ったのは家の中です、とどれだけ言っても、夢を見たんだろう、酷い事故だったと言われ、さすがに両親の死に顔は伏せられましたが、車が崖の下に落ちている写真、レッカー車で引き上げるところ、火が出て焼き焦げた現場写真などを見せられて、もう何が何だか解りませんでした。

 親切にしてくれた女性の顔ははっきりと覚えているんです。料理を作ってくれているときの音はとても安らげるもので、眠気に包まれながら、これが団欒の音なんだなぁなんて思っていたことを覚えています。私が料理を好きになって、調理しているところを動画投稿サイトに上げるようになったのは、あの人の素敵な部分に触れたからだと思っています」

 ずっと聞いていたが、話しが一区切りついたようなので言ってみる。

「で、私にその山の中の家で調理の音を録ってきてというのですか?」

「いえ、そうではありません」

 お茶を一口啜って話しは続けられる。

「興信所の人に頼みましてね。その女性の居場所は分かっているんです。さすがにプロの人は違いますね、たちまち見つけてくれました。今は山から降りていて、○○町に住んでいるんだそうです。こっそり写真も撮ってくれまして、歳は重なりましたが、確かにあの女性でした。

 しかしその興信所の人は料金を手にすると、もうこれ以上この件に関わることはできないと言ってきました。私もこの人のことを忘れた方がいいと言っていました。

 その理由は教えてくれませんでしたので、なんでそんな事を言ったのかは解りません、何度か調べてくれた住所に行きまして、ドアをノックする勇気は出ませんでしたが、アパートの周囲をうろうろ回ってみました。静かな町でした。あの人に会えないかなと思いましたが、会うことはありませんでした。

 そのうちに料理も人様に見てもらうことにはスランプになりまして、このとおり体調も崩しまして、悲しく思っていましたら、あなた様のことを聞きまして」

「で、その女性が料理しているときの音を録ってきて欲しいと」

「ええ、お願い出来ませんでしょうか」

 うーん。

 私は音録りを職業にしているわけではないし、看板を上げているわけでもない。依頼してくる人は評判を聞いて連絡を取ってくるのだけど、評判は伝聞のため正確さを欠くことがある。

 私は音を、それだけを録音しに行くのではなく、あくまで私が旅行に行くとき、近くで、ついでに録音に寄るだけである。

 最初は自然現象の音を録りに頼まれて、自然現象だからたまたま寄ったときに発生するとは限らない、行って録音出来たら録るし、起こらなかったり録音出来なくても、私の本来の目的地からの枝の交通費はもらうよ、と念押しをしての了承だった。カメラマンだって決定的な一瞬を撮るために何日も何日も現場で待つはずである、一介の旅行者である私が確実さを保証できるものではない。

 さらに録音機材だって、カセットテープレコーダー、MDレコーダー、ICレコーダー、コンパクトデジタルカメラの動画撮影機能、そしてスマートフォンの録画機能で、簡易なものしか持っていない。

 だから今回の依頼は私の“ついでにやる仕事”としては断る案件である。

 しかし依頼人の憔悴ぶり、もしかしたら鬱に踏み込みかけているのかもしれない、今まで上げていた料理動画のセンスの良さなどを考えると、いつもと同じ事しか言えなかった。

「とりあえず行ってみます。しかし相手があることですので、ダメだったら諦めてください」

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