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潮騒の響きを歌う者

 「本当にどこ行っちゃったんだろ」

 ルミールがいなくなって、もう一日になる。ライルの様子を見に行くと言った直後、物音がした。行ってみるとルミールがいなくなっていた。鞄だけを残して。ライルに事情を聴こうにも、今まで眠っていて分からないというのだ。

 それから知らない海辺の街をほうぼう探し回った。しかし、同じような鳥の仮面をかぶった医者は多く、彼らもルミールという医者は知らないと話した。もし見かけても、姿が似ているから分からないかもしれない。

 ルミールがドアから出たら、途中でソニアに会うだろうし、窓から出ていくわけはない。一体、どうなってしまったんだろう。ルナを始め楽団の人々も練習の合間に探してくれたが、見つからなかった。もしかして、ウィンディーネが関わっているのだろうか。でも、今までの大精霊からして、それはないだろう。人を攫うなんてありえない。

 「ごめんね。なんか、こんなことになって。全くおかしなこと、続きだわ。この街」

 ルナは疲れたようにつぶやく。

 「リヴァイアサンのせいなのかしらね」

 「えっと、ウィンディーネが怒ってるんじゃなくて?」

 「そういう人もいるけど、本当はリヴァイアサンが復活しそうなんじゃないかって思うの。言い伝えではかつても同じように海が凍ったって。街のみんなは何も怖くて言わないけど」

 なにも言わなくても暗黙のうちに感じているという。だからこそ、その不安をふりはらうように音楽祭の準備をしているのだ。恐ろしい事実は忘れたことにして。

 音楽祭で必ず演奏されるのはウィンディーネがよく歌っていたという歌だ。それはウィンディーネへの感謝を込めるとともにリヴァイアサンを鎮めるためのものでもある。

 「その歌声はものすごくきれいで、リヴァイアサンも暴れるのをやめて聞き入ったらしいの。魔法使いのソニアなら、もしかしてウィンディーネの声が聞こえるかもしれないわね」

 ルナは持ってきたヴァイオリンを海に向かって奏でる。ある時は軽やかで、ある時は切なく静か。澄んだ音色が海の向こうまで響く。これがウィンディーネの歌だという。

 「どう? 何か聞こえた?」

 「何も……」

 「そう」

 ルナは練習があるからと戻っていった。ウィンディーネの歌はどこか明るさもあり、ソニアをそっと励ましてくれたように感じた。

 『何か事情があるのだろう。勝手に出ていくわけではあるまい』

 いつの間にか現れたシルフィールも海へと耳をすます。それでも、ウィンディーネの声も気配も感じないようだった。

 「もう一回、探しに行く。手がかりが見つかるかもしれないから」

 不安で仕方なかった。もしかしたら、またあの青年が関わっているのかもしれない。そうしたら、もう一度、自分が何とかするしかない。

 その日も一日、歩き回ったが何も分からなかった。困り果てて街を歩いていると、あの歌が聞こえてきた。ルナが演奏してくれたウィンディーネの歌だ。でも、これは演奏じゃない。誰か女の人が歌っている。聞いたことのないような深い声で。もしかして、ウィンディーネが歌っているのか。ソニアの足は知らず知らず海の社の近くに向かっていた。

 そこで、二人の人物が言い争っていた。その一人からソニアは目が離せなくなった。

 「ルミール…!」

 ずっと探していたルミールが、あの青年と対峙していた。



 「うん、やっぱりここにきて正解だった。君もソニアも来てくれた。まあ、ウィンディーネ自身が呼んでたみたいだけど」

 「なにを」

 また、この青年の掌の上だったか。ルミールは青年から逃げ続けていた。青年がリヴァイアサンを復活させようとしているらしい。ソニアへの用だって、きっとろくなことではない。恐らく大精霊の力目当てだろう。それなら、余計にソニアに会わせるわけにはいかなかった。それなのに。

 青年は杖に闇の力を籠める。ソニアは心配そうに近寄ってくる。青年の魔法の気配は遠くて、まだ意識できていない。分かっているのはルミールだけだ。

 足元に何かの存在を感じた。あの、いつも自分についてくる影が足元に潜んでいた。

 あんなに考えたのに答えは出なかった。自分が了承すれば、全てまるく収まるのかもしれない。選択できることは一つしかない。青年を止めるにはこれしかないだろう。

 「代価を払おう。だから、私と契約を結べ」

 怪訝そうな顔で青年がこちらを見つめる。影が声に応えて胸の辺りまでやってきて、そこで消えた。それとともに熱い力を感じた。これが魔力というものか。今まで気づかなかった力が明確になっていく。

 青年は杖をソニアではなく、ルミールへ向けなおす。ルミールも同じように杖を動かす。自分の持っているものは魔法使いの杖などではない。それでも足元にあった影が青年をさえぎる。何も教えてられていなくても、直感的に方法が分かる。

 これが魔法。そう、父も同じ魔法を使っていた。自分の身の内の何かが変わったとは思えない。それでも、決定的に変わってしまった。そんな思いが胸に忍び込む。ルミールの力は青年を阻む。それでも青年は余裕そうな笑みを浮かべたままだ。

 「そんなことをしても無駄だよ。せっかく何か決心したみたいなのに残念だね。でも、もうリヴァイアサンは止まらない」

 せいぜい楽しんで。そう言い捨てて、青年は姿を消した。それを合図に海の底から鳴り響く轟音。やがて凍った波が真っ二つに割れ、中から巨大な龍とも魚ともつかない怪物が姿を現した。

 「これって……!」

 「リヴァイアサンか」

 伝説の怪物はうなりをあげ、海の上を行ったり来たりする。そのたびに、氷は割れ、船を揺らす。はっとしてルミールは社へと目を向ける。社の扉に、はっきりと闇が漂っているのが見える。あの影の精霊は夜の帳を覗く眼も自分に与えてくれたらしい。

 「ソニア、こっちだ」

 社の扉に手を触れると、すり抜けて中へ入りそうだ。混乱したようにソニアはこちらを見つめる。だが、ルミールがためらいがちに手を差し出すと、その手を取った。



 ソニアはルミールに何も尋ねなかった。青年を追い返したらしいところはソニアも見ていた。でも何があったのか分からなかった。あれは多分、魔法。この数日の間に何かがあったらしい。社にだって、ルミールは、ためらいもなく入った。

 でも、今はリヴァイアサンを止めるほうが先だ。ウィンディーネの社の中は白い大理石でできていた。日の光の精霊の社にあったような台座の上に置かれている。その台座の上に小さな青い光が浮いていた。

 「あなたがウィンディーネ?」

 『試練を受けているという人の子は、そなたですか』

 青い光が女性の姿へと変わる。深い青のドレスをまとった貴婦人のような姿だ。

 「リヴァイサンを止めにきたんです」

 『そうでしたか。今、わたしは動けないのです。リヴァイアサンを止めるために海を凍らせてしまった。でも、もう止められない』

 ウィンディーネは思いつめた表情でソニアを見つめた。

 『リヴァイサンは怪物ではない。友なのです。わたしと共にこの海を守ると誓ってくれた。人の子は違ったように伝えているようですが』

 ウィンディーネとともにこの海が荒れていたころから、海を鎮めるためにここにいたのがリヴァイアサンだという。人々が恐れたのは海と戦うリヴァイアサンの姿だった。そのリヴァイアサンが我を忘れてしまったという。数日前に魔法使いの青年がやってきてた。フロルと名乗った青年は試練を受けているのだと話した。

 『でも彼には違和感があった。それを告げると、彼はリヴァイアサンに何か魔法をかけたのです。わたしは海ごとリヴァイアサンを止めるしかなかったのです。ここを動くこともできなかった』

 「違和感?」

 『そう。彼は人ではなくて、まるで』

 精霊に近しいとウィンディーネは確かにそう告げた。

 ソニアは社を出ると、すぐに港の広場へと出た。ウィンディーネは、ソニアにリヴァイアサンを鎮める魔法を授けてくれた。ウィンディーネに教えられた通り、杖からの魔力で魔法陣を描く。たとえ、リヴァイアサン自身に邪魔されてもやるしかない。魔法陣を描けば、あとはウィンディーネが力を貸してくれる。

 「攻撃は気にするな。私に任せてくれ」

 そういうと、ルミールは海の方へ向かった。地面の揺れが激しい。リヴァイサンがまた、海面に顔を出しているようだ。何とか杖を立てて、円を描きだした。後は、図形を描くだけ。そこで揺れがわずかに和らいでいることに気づいた。街の方から、かすかに流れてくるウィンディーネの歌。リヴァイアサンがかつて聞き入ったという歌だ。リヴァイアサンはその歌に気を取られている。ルナたちが力を貸してくれているのだ。

 杖を引きずって覚えたての図を一気に描き上げ、最後の線を円へと引き上げる。

 『わたしの名を呼びなさい、人の子よ。それで魔法は完成します』

 『ボクも手伝うよ。この前は何もしなかったし、水と大地は相性がいいからね』

 ウィンディーネとノームがソニアの傍に現れる。ソニアは杖をかかげ、呪文を唱える。淡い青い光が辺りに満ちた。

 ルナたちの音楽とソニアの魔法はリヴァイアサンを鎮めた。リヴァイアサンが目覚めたことに気づいた楽団の人々はルナやライルとともに街の人々にも話して、みんなでウィンディーネの歌を演奏してくれたのだ。それがリヴァイアサンの動きを緩めた。

 ウィンディーネから力をもらったソニアは最後の大精霊サラマンダーがいるという街を教えられた。サラマンダーのかがり火を戴く街は闇を寄せ付けないという。

 結局、ルミールはソニアと一緒に街を出発した。闇の魔法のことをソニアはまだ、何も聞かない。それがルミールの心をかえって重苦しくさせた。話そうとしてはためらい、街を出てしばらくして、ようやく口にする。

 「何も聞かないのか、私の魔法のことを」

 「ルミールが話すまではって思って。何かあったのかなって」

 「そうか。私は……」

 それ以上は言葉にならなかった。どう話すかも、これからどうするかも何も決めていなかった。自分自身、どうなるのかも分からない。

 「すまないが、もう少し時間をくれ。その時がきたら、話す」

 ソニアは黙ってうなずいた。我ながら情けない。でも、今はまだ、考える時間はある。

 「行こうか」

 次の街へ歩みだす。街からの海風が二人を送り出した。



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