Act 53. スケアクロウ・マジック
<ITセンタービル>
息を潜めながら、マクレーンは階段へと続く扉をゆっくりと開けてMP5A4を片手に息を呑んだ。唯一の愛娘であるシェリルの命を背負っている重圧と、自分も死ぬかもしれないという恐怖。その二つのネガティブな感情がマクレーンの心を締め付け、両肩に伸し掛かる。それでもやらなければならない。映画で見たようなヒーローにならなければ、彼女は救えない。深く息を吐き出しながら階段を降り始めた。
『警部、警部! やっと繋がった! そっちは大丈夫⁉ 』
「おめぇは斎のとこの……リュディか。ああ、なんとかくたばっちゃいねえ。だが相変わらずまずい状況なのは変わりない。人質も助けられてないしな。誰か援軍寄越せねえか? 」
『そっちに斎とリンちゃんが向かってるよ! 警察には連絡する⁉ 』
「まだしないでくれ。人質が殺される可能性がある。しかしよく俺が無線を奪い取ったなんてわかったな」
『電波反応があってそこを辿ったら警部の生体反応と一致する反応があったから。ここからはボクがナビゲートするよ! 』
先ほど敵兵から奪った無線機から聞こえる明快な少女――――リュディの声がマクレーンの肩の荷を僅かばかり下ろさせる。ビルの全体図を把握できていない以上、彼女のようなナビゲーターがいるだけでも大きく違ってくるだろう。一階下に辿り着いた所で、マクレーンは扉をゆっくりと開ける。日本の邸宅を模したフロアへ侵入した彼は、エレベーターを目指そうと手にした短機関銃を構えながら足音を立てずに進んでいく。
『警部、そのフロアには兵士が巡回してるよ! 数は1! 』
「……あぁ、ここからよく見える」
息を殺しながらマクレーンは海兵隊に支給される自動小銃 M4A1を手にした兵士が彼に背を向けながらバルコニー内をゆっくりと歩いている様子を見つめ、腰を低くしつつMP5A4を片手にその兵士の背中へ銃を突きつけた。
「動くな」
「ッ⁉ 」
『ちょっ、何してんの⁉ 』
彼の目の前にいる兵士は肩から下げた小銃からゆっくりと手を放し、両手を挙げる。MP5を右手でキープしながら兵士のレッグホルスターから自動拳銃 M92Fを抜き取ると、自分のベルトへ突っ込んだ。
「お前……例の侵入者だな。警官だろう? 」
「あぁ、そうさ……テメェらみてえな馬鹿どもをしょっぴく為にいる」
「お前に俺は撃てない」
「何故かな……? 」
「軍人に規則があるように、警官にも規則がある。撃てやしない」
「あぁ、いつも口酸っぱく言われてるよ」
そんなやり取りを終えた瞬間、背中を向けていた兵士が彼の方向へ振り向きながらアーミーナイフの切っ先を突き立てようと右手をマクレーンに向けている。咄嗟に空いていた左手でナイフの刀身を掴み、掌に刃がめり込んで途端に鮮血が噴き出した。全身に走る激痛に耐えながらマクレーンは振り向いた兵士の足の小指目掛けて右足を踏み出すと、途端に兵士は声を上げながらナイフを握る力を弱める。その後マクレーンは右手の中にあったMP5の銃床を兵士の頬目掛けて振りぬき、血しぶきと共に両者は離れた。
「おい、どうした―――――」
瞬間、マクレーンの左方から別の声が聞こえる。全身の身の毛がよだつ感覚を覚えながら彼は絶叫しつつMP5の銃口を向けて別の兵士へ引き金を引き、そのまま床の間へ身を隠した。9mm弾の餌食となった兵士の名前を叫んでいる様子から、一人は確実に屠れたのだろう。しかしながらそれは、生き残ったもう一人を逆上させるのには十分すぎる出来事だった。
「このクソ野郎ォっ‼ よくもアルをやりやがったなぁ⁉ 」
マクレーンが身を隠していた床の間の壁から5.56mm大の鉛玉が幾つも貫通し、彼の頬や腕を掠る。それでも彼は位置を感じ取らせないように声を押し殺し、銃弾の雨を凌き切った。直後マクレーンは隠れていた壁からスライディングと共に飛び出し、錯乱しながら銃を乱射する兵士の足元へとたどり着く。そのまま彼はMP5の引き金を無我夢中で引き絞ると、銃口から放たれた9mmの鉛玉の嵐が兵士の身体を穴だらけにした。大声をあげながらその場に倒れる兵士を一瞥しながらマクレーンは立ち上がり、スーツジャケットのポケットから煙草を一本取り出して咥える。
「そう男が喚くもんじゃないぜ、兄ちゃんよ」
それだけ告げて煙草の先に火を点けると、マクレーンは深く息を吐き出す。
『警部、ランスロットです』
「そっちはどうだ? 何か収穫は? 」
『例の電脳細菌についての情報が集まりました。既にミカエラさんにも情報を送信しています』
「でかした。俺の方もこれから人質の救出に向かう」
『了解です。でしたら署に連絡するときは合図を――――――』
瞬間。マクレーンの手にしていた無線機のスピーカーから何かがなぎ倒される音が聞こえ、思わず彼は体を強張らせた。直後彼も全身に走る殺気を感じ取り、本能的に机の蔭へと飛び込むとすぐそこに銃創が出来上がっている。勘付かれたか、と胸の内で毒を吐きながら机から顔を出さずにMP5を乱射した。足音がいくつも聞こえ、マクレーンはクソッたれ、と舌打ちをする。
「おいリュディ! 敵の数は⁉ どっから来てる⁉ 早く教えろ! 」
『ひ、人使い荒いってば! ちょ、ちょっと待ってて……! 』
「ああクソッ! 」
無線機越しに焦るリュディを一瞥するとマクレーンは弾切れを起こしたMP5から手を放し、スリングを背中に回すと腰に差していた自動拳銃 M92Fを抜き取った。即座に辺りを照らしていた蛍光灯目がけて引き金を引くと、周囲が瞬く間に暗闇に包まれる。だが軽装備型のナイトビジョンを追撃の兵士たちが着けていたらしく、独特な起動音が聞こえた。
『出たよ警部! 数は3、敵はみんな下から来てる! 人質の見張りから出張ってきてるね! 』
「そうかい、ありがとうよ! できればここを抜け出せるルートが欲しいもんだ」
皮肉まじりにそうつぶやくとマクレーンは机の蔭から飛び出した拍子にM92Fの引き金を数回引く。僅かな時間だが増援の動きを止めるのには十分な銃撃で、そのままマクレーンは非常階段の扉へと駆けた。逃げ切れたかと思った拍子に一人の兵士が放った5.56mm弾が左肩に掠り彼の肉を抉り取る。思わず痛みに声を上げるが、煙草のフィルターを噛み締めて痛みに耐えた。
『警部⁉ 大丈夫⁉ 』
「うるせぇ……でけぇ声出すな……! 」
下の階に降りたところで化粧室を見つけたマクレーンは痛みに耐えながらも部屋に入り、洗面所の蛇口をひねる。肩の銃創まわりに付着した赤黒い血液をぬぐいながら懐から取り出したハンカチを傷口に当てると、激痛がマクレーンの全身を駆け巡った。静かな悲鳴を上げながら止血し、ビジネスシャツの裾を引き裂いて即席の包帯で銃創を覆う。次に掌の裂傷も同じように水で洗い流しながら同じように余った裾で縛り上げ、応急処置を完了させた。
「リュディ、聞こえてるか……」
『う、うん! でも警部、傷は……! 』
「いいから案内しろ。こんな傷ツバでもつけときゃ治る。人質は本当にこの階にいるんだな? 」
『そ、それが……』
「なんだ、どうしたってんだ? 」
無線機の向こう側のリュディは、おそるおそる言葉を続ける。まさか、とマクレーンは自身の直感が最悪の結果を告げている事を敢えて無視した。
『さっき警部を追ってきた増援が来た時に……この階の生体反応が消える様子を幾つも確認したんだ。もしかすると……』
「……言うな。俺が自分で確かめる」
リュディの言葉から察するに、人質は全て殺害された。彼の愛娘であるシェリルがその中に含まれているかは不明だ。しかし、生存している可能性はあまりにも低い。陰鬱とした雰囲気を纏いながらマクレーンは化粧室の扉を開け、自動拳銃のグリップを握り締める。メインフロアへと通ずるドアを開けた瞬間、新鮮な血の匂いが彼の鼻孔を刺激した。クソ、と毒づきながら彼は奥へと進んでいく。中は凄惨の一言に尽きた。このビルで残業していたであろうスーツ姿の会社員や女性の社員が一面の血の海に沈み、年老いた警備員が抵抗した様子を見せたのか身体は原型を留めていない。そんな光景を目の当たりにしてもマクレーンは眉一つ動かさず、死体の山から自分の娘がいないかを探していた。若干の錯乱状態、と言っても過言ではない。
『警部、もう……』
「……黙れ」
『でも……』
「黙れって言ってるのが聞こえねえか‼ あいつは、シェリルがもし……死んでたら……俺が見つけなきゃあの子が救われねえだろうが……‼ 」
スーツが血に塗れようとも彼は臆さずに死体の山を漁り始める。何かシェリルに関するものはないか。彼女の死体はないか。胸の内から湧き上がる恐怖が、彼をそんな行動に移させる。その時だった、彼の背後から足音が聞こえたのは。すかさずM92Fを引き抜き、音の方向へ銃を向ける。
『警部! 生体反応がもう一つあるよ! 』
リュディのそんな言葉を耳にした瞬間、役員室の照明が一気に点灯された。そこには返り血を浴びながら両目に涙を浮かべる女―――――シェリルが其処に立っている。マクレーンは一瞬救われた気分になり銃口を下ろすと、一目散に愛娘のもとへ駆けた。しかし。
「ダメ‼ 来ちゃダメ‼ 」
「何を――――――――」
同時に、彼女の後ろからマズルフラッシュが見えたかと思うとマクレーンの身体は後方へ吹っ飛ばされる。一瞬何が起きたのか理解できていない彼は、左腕の感覚がない事に気づく。恐る恐る視線を落とすと、二の腕に大きな銃創が出来上がっていた。その光景を目の当たりにした瞬間、激痛が走り思わず彼は声を上げる。呼吸を荒くしながら銃撃の方向へ視線を向けると、シェリルのすぐ傍に誰かが立っている気配を感じた。
「――――娘が無事でよかったなぁ、マクレーン? 」
聞き覚えのある、憎たらしい男の声。シェリルの隣の空間がいびつに歪み、スパークを伴って宿敵――――――――ハイウェル・マーシャムが姿を現した。




