Act 46. The abyss gazes also into you.
<ジェヌド・メスティカグループ本社>
一方その頃。様々な高層ビルが立ち並ぶこの摩天楼の中で、一際煌々と光りを放つ建物が一つ。ジェヌド・メスティカグループ。最新テクノロジーの医療利用を目的とした企業グループで、人造人間の発案や義手・義足の設計発注までこの世の最新技術を総なめしていると言っても過言ではない。その社長室のソファで一人の男がウイスキーグラスを傾ける。ザ・マッカラン12年。シングルモルトウィスキーの代名詞的な一本で、18世紀から製造を開始している至高の逸品だ。彼の名は眞田桐彦。この大企業を統べるCEOであり、斎を創り出した張本人である。
「入るぜ大将」
煌々と煌く夜景の光を肴に高級ウィスキーを嗜んでいた桐彦の下に、しゃがれた声の男が部屋に入って来た。褐色の肌に顎を覆う無精髭、白髪交じりの首元まで伸びきった黒髪。だが何よりも目を惹いたのは、幾多もの人間の死を見届けてきた赤い双眸である。リカルド・デ・アルバレス。スペイン系の風貌を漂わせる彼が口角を吊り上げると、口元から鋭い犬歯が見え隠れした。
「なんだよ、一人でしっぽりお楽しみか? 俺も混ぜろよ」
「済まないね、リカルド。つい気分が舞い上がってしまってさ」
「そんなにあのガキを絶望させたかったのか? アンタも随分とワルだな」
「データの採取にはあらゆる感情の記録をしておかなければならないからね。だがあの表情は……何物にも代えがたい」
リカルドが向かい側のソファに腰を落ち着けると、桐彦は再度褐色の液体を口に含む。濃度の高いアルコールとシェリー樽によって熟成された香りが彼の口の中に広がり、やがて喉を通り抜けていった。俺にもくれよ、とリカルドはテーブルに置いてあった空のウィスキーグラスに同じ酒を注ぎ始めている。彼が一口ウィスキーを飲んだところで、桐彦は口を開いた。
「君がここに来るのはいつも理由がある。目的を教えて貰おうか」
「そんな警戒しなさんな。ちょっとした報告だよ。アンタにゃ悪いニュースかもしれんが」
「聞こうか」
「郊外の研究所が爆破された。部下に処理を任せてるが、そこから続々と死体が出てきてる」
「それは残念だ。実験体に使える駒が減るな」
「良い顔で怖い事言いなさんな、大将。で、もう一つ。捕まえた宗像斎たちの死体は無かった上に研究所の入り口付近のカメラに連中の姿が映ってる」
リカルドは机の上に数枚の印刷された写真を投げ捨てる。綺麗な画質が斎たちの逃走の様子を映しており、対する桐彦は眉を僅かばかり顰めただけで何も言葉を発しない。お気に召さなかったようだ、と皮肉交じりに呟きながらリカルドはグラスを傾け褐色の液体を口内へ注ぎ込んだ。
「だが妙なことが一つある」
「なんだ? 」
「カメラにはあのグレイ・バレットやミカエラ・ウィルソン、それとランスロットの姿が映ってねえのに瓦礫の中から痕跡が一つも出てこねえ。あの女狐の事だ、何か企んでるに決まってる」
「その口ぶりだとミカエラと何度か会った事があるようだが? 」
いや、と相槌を打ちながらリカルドは着ていたジャケットの胸ポケットから茶色い葉巻を取り出す。シガーカッターで吸い口を平面に切ってからガスライターを取り出し、火を点けた。
「人を見る目には自信がある。あの女は只者じゃねえ。平気で味方ごと撃つぜ、ああいうタイプは。先手を打っときたい。今が消すチャンスだと思うが」
「現時点であまり事を荒立てるのは無理だ。火消しに時間が掛かりすぎる。それに研究所だって爆破されているんだ、警察の偽装で誤魔化すのに精一杯さ」
煙を鼻から噴き出させているリカルドを一瞥しながら桐彦はウイスキーを飲み干す。
「ハイウェルは生きているか? 」
「あぁ、生きてるよ。妙に悪運だけは良いみたいだな。あの紳士かぶれのイギリス野郎」
「言い得て妙だな、リカルド」
そんな言葉を交わしたところで、オフィスの扉が静かにノックされた。振り向かずに桐彦は来客を招き入れると、そこにはいつものように資料の束を持った若い執事・八雲が其処に立っている。
「お楽しみの所、失礼します。人造人間に関する報告書をお持ちしました」
「有難う。君も飲むかい? 」
「遠慮させて頂きます。それとリカルド様、ここは全面禁煙となっておりますが」
「おうそうだったかい、悪いな。そんな看板無かったもんでよ」
「彼には好きにさせておいてくれ。八雲、報告を」
「はい。まず最初の目標であるロサンゼルス市街に人造人間を流布させるという点ですが、達成いたしました。今や人造人間の技術はアメリカほぼ全土に広まっています」
そうか、と桐彦は空いたグラスを机に置くと二杯目のウィスキーを注ぎ始める。
「次にウィルスの開発進捗ですが、これもほぼ完成段階にあります。半年もあれば完了するかと」
「ウィルス? 何の話だ? 」
「リカルド様にはお話になられていないのですか? 」
「忘れていたよ、丁度良い機会だ。リカルド、君はコンピューターウイルスっていうのは聞いたことがあるね? 」
「馬鹿にすんなよ、そのくらい俺だって知ってる。他人のパソコンの中に入って遠隔操作したり情報を抜き出したりするやつだろ? 」
「そういうものもある。だが今回のものは、人造人間用に開発したウイルスだ。まるで彼らが本物の人間と同じように風邪をひいたようにさせ、こちらの制御下に移るというものさ」
「宗像斎の固有脳波のデータから生成しました。彼のデータは非常に貴重です」
八雲から渡された資料を捲り、ウィルスの能力を説明しているページをリカルドに見せた。小難しい事は嫌いなのか、数秒目を通しただけでリカルドはその紙の束を八雲に突き返す。
「どういう経緯で作ったのかは知らねえが、オタクの考えてることは分かるぜ。こいつでアメリカ中の人造人間を操ろうって魂胆だろ? 」
「そうだ。そしてこのウィルスから得られたデータを私の最高傑作に組み込む」
次に八雲が見せてきたのは大きな培養槽に寝かされたままの長い銀髪の男だ。リカルドは自分がこの写真を目の当たりにした瞬間、思わず葉巻を吸う手を止める。やけに宗像斎に似ている男だ。おそるおそる眞田桐彦へ視線を戻すと、彼は優雅な笑みを浮かべていた。
「御明察だ、リカルド。彼こそ私の本当の息子、眞田稜人だ」




