Act 44. Nightglow
<研究所出口>
息を切らしながら裏口から研究所を脱出した斎たちは、夜風を浴びた瞬間に背後から轟音と共に爆風に見舞われた。斎は傍に居たリンとリュディを守るように二人を腕の中に抱えながら駐車場の方へと吹っ飛ばされる。耳鳴りが鼓膜に響く様子を鬱陶しく思いながらも周囲の光景を把握しようと辺りを見回した。マクレーンやソフィア、アトラスはこちら側へと無事に爆風から逃れられているが、ミカエラとランスロットの姿が見当たらない。途端に胸の内に焦りが生まれた斎は我に返ったように立ち上がり、二人の名前を叫び始める。
「ミカエラ! ランスロット! 何処にいる⁉ 」
「こっち! こっちであります! 」
彼女の声が聞こえたのは研究所の爆破により出来上がった瓦礫の向こう側からだった。橙色の炎が立ち込めるコンクリートから二人の姿が覗き、斎は安堵の溜息を吐きながらミカエラたちの所まで歩み寄る。
「無事か! 」
「はい、そっちもご無事なようで! 」
「瓦礫を退かすぞ! 」
「いえ、その必要はありません! ここは追われない為にも二手に分かれて集合地点に向かいましょう! 」
「だが……! 」
「心配ありません、彼女は僕がお守りします! 」
力強いランスロットの視線が、斎に突き刺さった。燃えゆく炎を挟んで二人の男は互いに視線を交わしながら頷き、背を向けて別々の方向へ歩き始める。リュディたちの所へ戻ってきた斎は目を覚ましかけていたリンとリュディの頬を叩いて起こした。
「い、イツキさん……? 」
「リン。ひとまず集合ポイントへ戻るぞ」
「い、嫌です……! センパイを……グレイさんを助けなきゃ……! 」
先ほどの事が飲み込めていないのであろう、リンは子供のような弱々しい視線を斎に向ける。彼女の言葉にに斎は視線を俯かせる事しか出来ず、答えられなかった。無理もない。リンが最も信頼していた人物は、彼女たちを逃がす為に囮役を引き受けあの瓦礫の中にいるのだから。今まで見た光景が信じられないリンが、声を震わせながらもゆっくりと立ち上がって研究所の方へ歩き始めた。
「リン! 何をしている! 」
「決まってんスよ! グレイさんを助けるんです! こんなとこで、あの人は死ぬ男じゃねえ……! 」
「馬鹿な真似はよせ。あいつはもう……助からない」
「じゃああの人は無駄死にだってのか⁉ ふざけんじゃねぇ! こんな下らねえ……こんな事で死なれちゃ……! 」
「リン……」
力なくその場で崩れ落ちるリンの下へリュディが駆ける。だが彼女はリュディの差し伸べられた手を払いのけ、涙を浮かべた両目でリュディを睨み付けた。
「お前が……お前がアタシたちの情報を送ってなけりゃ! こんな事にはならなかったんだ……! 元はと言えば、お前が……‼ 」
「っ……! それは……」
「お前がグレイさんを殺したようなもんだ! この野郎……ッ‼ 」
瞬間、泣き叫びながらリュディに詰め寄っていたリンの頬が、突如として近づいていたソフィアによって叩かれる。意外な人物からの諭しに一瞬ばかりの静寂が生まれた。その様子を見かねたソフィアが口を開く。
「そうやって子供みたいに泣き喚いて、誰かに責任を擦り付けるだけならそうしてなさい。だけど、そうするなら私達は貴方を置いて行くわ」
「ッ……」
「その命は彼から貰ったものだってことを理解するのね。そうでもしなきゃ……報われないわ」
それだけ言い残し、ソフィアは駐車場に停めてあったSUVの窓ガラスを愛銃スタームルガー・ブラックホークのグリップエンドで叩き割るとロックを解除して運転席に乗り込んだ。
「リュディ、って言ったかしら。この車の電子システムにアクセスできる? ハックしてエンジンを駆けてほしいの」
「う、うん! 分かった! 」
ソフィアに呼ばれたリュディは顔を俯かせるリンへ2、3回視線を配ってから車の方へと駆けていく。見かねたマクレーンとアトラスがその場で座り込んだままのリンを立ち上がらせ、斎の方へ振り向いた。
「……さ、とっととおさらばしちまおうぜ。ここで死んじゃ元も子もない」
「あぁ。……すまないな、迷惑をかける」
「乗り掛かった舟だ、このくらいなんてことはない」
「そいつの言う通りだ。これから忙しくなるぞ」
先にソフィアたちの乗った車からエンジンの掛かる轟音が聞こえ、4人は一斉に車内へと乗り込む。斎は後ろの荷台に腰を落ち着けると間もなく車は発進する。車内にはただ重苦しい空気が漂っていたがようやく得られた安全に対して斎は妙な眠気を覚え、次第に彼の意識は薄れていった。
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<ロサンゼルス近郊・隠れ家>
そうしてソフィアが運転する事数時間。追っ手が来ないかどうかを危惧していたマクレーンとアトラスが後続車を見張っていたが、彼らを追う者など誰一人としておらず、こうして無事に斎たちの隠れ家へと到着する。後部座席に乗っていたマクレーンに起こされた斎は、視界に広がった景色に自分が本当に生き残れたことを実感し、溜息を吐いた。同時に脳裏にはグレイの不敵な笑みが浮かび、彼の胸の内を酷く締め付ける。
「ソフィアさんとアトラスさんの生体反応を防衛システムに登録しといたよ。これで攻撃される事は無いから大丈夫」
「へぇ。古臭い家に見えて意外としっかりしてるのね。中に入っても? 」
「構わない。警部、ランスロットからは連絡は? 」
「まだだ、でもここで合流する事になってるんだったら待ってりゃいいな」
マクレーンの言葉と共に全員が隠れ家の中に入るとオートシステムにより部屋の照明が6人を照らし、広いリビングルームが彼らを迎えた。あれから一言も言葉を発していないリンは何も言わずに二階へと上がり、奥の部屋へと消えていく。そんな彼女を斎は見守る事しか出来ず、隣のリュディが彼を慰めるかのように肩に寄り掛かった。
「とりあえず今は……」
「各自自由行動にしましょう。お互い疲れてるだろうし」
「大賛成だ。さっきから膝が言う事聞かねえもんでな、シャワーでも浴びてさっさと横になりてえ」
「なら俺が寝ずの番をしよう。ソフィア、アトラス、リュディ、3人は休んでいてくれ」
「ボクは一緒にいるよ。一人だと寂しいでしょ? 」
「……分かった。頼む」
そういうと斎は各々が解散していく様子を一瞥しながらキッチンへ向かい、二人分のマグカップを傍に置くとインスタントコーヒーの粉末を入れると給湯器から熱いお湯を注ぐ。安っぽい豆の香りが斎の鼻孔を刺激し、緩やかな安堵感を与えた。
「ほら。飲むか? 」
「……ありがと。もらうよ」
リビングルームのテーブルにカップを置き、斎は柔らかなソファに腰を落ち着ける。その隣にリュディが腰掛け、彼の肩に頭を乗せた。コーヒーの芳香が二人を包み込み、斎は深い溜息を吐く。
「…………ごめん、斎。ボクのせいで、こんなことになっちゃって」
「……謝るのは俺の方だ。俺がもっと早く気づけていたら……こんな事にはならなかった筈だ。罠だと気づけていたら……あいつは、グレイは死ぬことなんて無かったんだ」
「そんな事、無いよ。斎だって辛いのに……自分を責めないで」
「それだったらお前だって自分を責める必要はない。自分に出来る事をやっただけだ」
「なら、どうして泣いてるの? 」
リュディに言われたと同時に、斎は自分の頬に触れた。僅かに濡れているのが分かる。自分には涙を流す資格など無い。もう流れる涙など無い。そう思っていた筈なのに――――。確かに、斎の胸は酷く締め付けられ、何物にも代えがたい喪失感を味わっていた。
「…………あいつは、俺に宗像斎として生きろと言ってくれた。失敗作としてではなく、俺自身を見ていてくれていた。そんなたった一人の相棒を無くして……俺は悲しいんだ」
「斎……」
斎は右腿のホルスターに仕舞われていたグレイの愛銃S&W M686を取り出し、その銀色の銃身を眺める。彼の魂が、そこに在るような気がした。クソ、と斎は一人顔を俯かせながら涙を流し続ける。失ってから気づく、隣に居た人間の大切さ。その残酷で悲しい事実を前にした斎は、酷く無力だった。
「…………斎。グレイはね、ボクにこう言ってくれたんだよ。"人間、誰しも間違う事はある。過ちを悔いるな、次を考えろ"って。だから、ボクと一緒に次に進もう? もう奴らの操り人形じゃない。ボクたちはれっきとした人間なんだから」
「お前は……リュディはどうして、出来損ないの俺に其処まで肩入れするんだ? 同じ境遇だからか? 」
「違うよ、斎」
リュディは震える斎の肩を、そっと抱きしめる。
「君の傍にいたいから。最初は君の為に作られたボクが自分の心を、感情を、意思を手に入れられたんだ。君のお蔭でね、斎。君は決して出来損ないなんかじゃない。宗像斎は、最初からボクたちにとって一人だけなんだよ」
彼女がそう言い放った瞬間、斎はリュディに振り返って抱きしめ返した。人間らしい、温かみを感じる。初めて手に入れた、本当の暖かみ。斎の感情を爆発させるのには、それだけで十分だった。唯一見せた、斎の思いをリュディは何も言う事なく抱きしめる。そうして涙を流し切った後で斎はリュディの身体から離れ、涙を拭った。
「…………少し、待っててくれ」
それだけ告げると斎はソファから立ち上がり、腰のベルトに差さっていた短刀型高周波ブレードを引き抜く。高周波を起動せずにそのまま順手に握ると、刀身を自身の長い後ろ髪に当てた。そのまま横へ短刀を薙ぎ、銀の長髪を切る。絹糸のような斎の髪が床に落ち、彼は後ろのリュディへ振り向くと月明かりに彼の柔らかな笑みが照らされた。
「これで、今までの俺とはさよならだ。これから俺は……眞田稜人のクローンではなく、宗像斎として生きる。……また一緒に、戦ってくれ」
「…………うんっ‼ 」