Interlude: その口づけは、紫煙の香りと共に
<ロサンゼルス郊外・隠れ家>
「そう言う訳で、今回は警察の小隊が率いる連中と一緒に任務をこなしてもらう。勿論俺やランスロットも同伴するが、くれぐれも出過ぎた真似はするなよ」
「俺に言うな。言うなら隣のアホ二人に言うんだな」
「誰がアホだよ。刀一本で突っ込む奴の方がアホだっつーの」
夜。斎たちはいつもの隠れ家に身を潜め、暖かいコーヒーを啜りながら明日の突入の為の作戦会議を行っていた。名目上斎たちはマクレーン警部からギャングの裏取引を差し押さえる為に依頼されたという形で警察の特殊作戦に同伴する事になっているのだが、本当の目的はそこではない。マクレーンが担当する海兵隊隊員殺害事件の犯人、リカルド・デ・アルバレスを逮捕するのが彼らの狙いである。
「だーっ、もう言い争うんじゃねえよ馬鹿共! 何話してるか忘れるだろうが! 」
「ご心配なく警部。私の記憶領域に全て今までの会話は記録してあります」
「じゃあ作戦概要は? 言ってみろ」
「再生します。……"もうメンドクセーから斎が突入して全員ぶった斬ればいいんじゃねえの"? 」
「碌に記録出来てねえじゃねえかポンコツ! 」
ああクソ、とマクレーンは溜息を吐きながらシャツのポケットから煙草を取り出して火を点けた。マルボロ・ボックス、彼の愛煙している銘柄だ。世界で一番販売されている煙草と言っても過言ではなく、日本では赤マルの通称で親しまれている。
「しっかし全然進んでねえなぁ~……このままじゃ明日にまで間に合わねえよ」
「止めてるのセンパイでしょうが、ったく……。しゃちょー、今までの流れまとめて欲しいっス」
「はいはーい、天才美人女社長におまかせであります」
まず、と前置きをした所でパソコンをいじっていたミカエラがキーボードを操作して斎たちの中心に3Ⅾホログラム映像を表示する。今回の作戦で突入する倉庫内部の様子を明確に再現したもので、想像以上に多い赤い駒が彼らの目に飛び込んできた。
「これが今回の作戦ポイントであります。敵の数は予想されるだけで50人以上。まあロス一のロシアンマフィアの取引でありますから、これは当たり前でありますなぁ」
「さっき説明した通り、警察の陽動部隊と連中の護衛を戦わせてリカルドたちの気を惹く。その後に突入班……まあ俺達が裏口から侵入してリカルドとイゴール・サンデルスを逮捕する。大まかな流れはこんなもんだが、問題は2つある。まず一つはイゴールを護衛しているリカルドたちの戦力が不明な事。二つはこの取引自体が罠の可能性がある事だ」
「ボクは直接的に関係しないんだけど、質問いいかな? 」
「どうぞお嬢ちゃん。何でも聞いてくれ」
「どうして罠だと思うの? 」
「情報確保までの流れが妙に早かった。その上、斎がさっき会ったっていう女ガンマンもお前たちの名前を知っていたんだろ? おそらくリカルドたちとその女はグルで、俺達をおびき寄せる為に敢えてイゴール・サンデルスの情報を掴ませた。そう考えれば辻褄が合う」
マクレーンの答えにリュディは不満げな表情を浮かべる。罠だと分かっていて何故自分からそれに嵌りに行くのか、と言いたげな顔だ。
「これしか手掛かりがないんだ、リュディ。お前の知能ならそう反論したくなるのも分かる。だが、この機会を逃したら次は無い。リカルドは二度と俺達の前に姿は現さんだろうさ」
「斎がそう言うならいいけど……」
「それによ、長丁場になるよりかは今ここで不安因子を消す事が出来たら俺達の今後にとっても楽だ。ハイリスクだが、乗り越えた時のリターンも大きい。だから敢えて嵌りに行く。なぁに心配すんな、今までこんな壁しょっちゅう乗り越えてきたからな」
ともかく、とマクレーンの言葉によって斎とグレイ、リュディの会話は中断される。彼の指示によってミカエラがホログラムを操作し、斎たちを示す緑色の駒が倉庫内部へと侵入し目標である紫色の駒と接触する光景が映し出された。
「突入班は俺、ランスロット、グレイ、斎の4人で行く。リンディス、お前さんは外で俺達の援護をしてくれ。生憎この倉庫には大きな天窓がついてる上に外部から倉庫の中が見えるのような構造になってる。狙撃するにゃ絶好の場所だ」
「あ、あたしっスか……」
「そうだ。お前さんが今回の作戦のキーとなってくる。唯一安全圏から狙い撃てるのはお前さんしかいない。もし狙撃が勘付かれたら急いでその場所から移動して見つけた奴を始末しろ。いいな? 」
「は、はいっス……」
不安げな表情を浮かべるリンを一瞥し、マクレーンは煙を吐き出す。よし、と一呼吸置いたところで短くなった煙草を灰皿に捨てた。
「取り敢えず細かい説明はこんなもんだ。ま、一言で纏めると見敵必殺、ってワケだな」
「つまりはいつも通り、という訳か。簡単で結構」
「シンプルなのが一番いいだろう? 今日はこれで解散にする。寝ずの番はグレイだったよな」
「その通り。生憎ジャンケンで負けちまってな。ツイてねえよ」
呆れ顔で肩を竦めるグレイを一瞥し、各々は隠れ家に宛がわれた部屋へ戻っていく。張り詰めた緊張から深い溜息を洩らす者もいれば、そそくさと二階への階段を登っていく者。そんな彼らを一瞥しながらグレイはひとまず一服しようとソファから立ち上がる。そんなグレイの視界に思いつめた表情を向けるリンの姿が視界に入った。
「あ、あの! センパイ……」
「ん? どした? 」
「……聞いてほしい話があるんです。その……」
普段見せないリンの表情に胸を打たれたのか、グレイはラッキーストライクのソフトボックスから取り出した一本の巻き煙草を咥えながら彼女の肩を叩く。何も言わずに親指だけで玄関の扉を指し示すと、僅かに彼女の顔が明るくなり二人は隠れ家の外に出た。雲一つない濃紺の星空が二人を迎える。この隠れ家は半径数キロメートル以内に認証されていない人物が侵入した時のみアラームを慣らし、自動防御システムが作動するようにプログラミングされている。故にグレイとリンが外に出ても問題はないという訳だ。誰にも話を聞かれない庭のベンチでリンと隣り合うように腰掛けたグレイは、咥えた煙草に火を点ける。
「……お前がそんな顔するなんて珍しいな。 明日の作戦がそんなに不安か? 」
「あ、はは。センパイにはなんでもお見通しっスね……」
「たりめーだバカ。伊達に人生20年以上生きちゃいねえよ」
徐にグレイはリンの頭に空いた右手を乗せ、乱雑に撫でまわした。乱暴ながらもどこか暖かさを感じるグレイの掌に、リンは僅かばかり頬を紅潮させる。
「お前の気持ちも良く分かる。俺も初めての実地任務はそんな顔してたよ。自分がミスして他の隊員にまで被害が及んだらどうしよう。自分が死ぬほど痛い思いをしちまったらどうしよう。そんなくだらねえ事ばっか考えてた」
「……今のセンパイを見るに、そうは思えないっスけどね。なんか意外っス」
「俺だって痛いのは怖いし仲間が死ぬのも嫌だったからな。だから、そんな気持ちになるのも分かるんだよ、リン」
普段からグレイから名前を呼ばれることに慣れていないのか、リンは途端に顔を真っ赤にした。そんな彼女を見てグレイに悪戯心が芽生えたのか、更にグレイはリンとの距離を詰めて肩を組み始める。彼の着ていたシャツの胸元から男性物の高級香水の香りがリンの鼻孔を刺激し、更に彼女の感情を昂らせた。
「おいおい、本当にらしくねえな。意外とかわいいとこあんじゃねえか、なぁ? 」
「う、う、うるさいっスよぉ! だいたい、こっちがどんな気持ちで不安になってるか知らないクセに……」
リンの言葉に応えるかのようにグレイは咥えていた煙草を口から離すと、地面に押し潰してから彼女の顔に自身の顔を近づける。グレイの突然の行動に脳の処理が追い付いていないリンは頬を真っ赤に染め上げたままギュッと両目を瞑った。口づけをされるとでも思ったのか、必死にグレイからのキスを受け止めようとしているリンの様子を愛おしく感じたグレイはリンの額に優しく接吻する。
「――――知らねえワケねーだろ、バーカ。ま、もうちっとイイ女になってから出直してきな。それまで待っててやるよ、新人」
「へっ、はぇっ……? 」
一人何が起こったのか理解できていないリンを置き去りにして、グレイは振り向かずに手を挙げてからその場を後にする。満点の星空の下、深紅の髪を揺らす彼女は立ち去る想い人の背中を見守る事しか出来なかった。