Act 33. 灰色の弾丸
<サンデルス邸・3階>
斎とリンがアトラスの魔の手から逃れた少し前の事だ。斎たちと分かれて単身リカルドに関する資料を回収しに行ったグレイは警備の目を掻き分けてコンタクトレンズ型追跡装置"監視する第三の目"の電源を起動し、ⅤIP専用の個別室へと向かっていた。彼の僅かに青みがかった視界に広がる生体反応がグレイに警戒の鐘を常に鳴らし続け、自然を装いながら目的の場所へと侵入する。
「……こちらグレイ。ミカエラ、無事侵入したぜ」
『流石、と言わんばかりの手腕であります』
「手癖はお世辞にも良いとは言えないんでね。奴の痕跡は?」
『呼吸と血流の反応がありますが、あまり信用しない方がいいかと。あくまでも今回はリカルドに関する証拠と資料の回収であります。罠の可能性も――――』
「あーはいはい。わかったわかった、サポートよろしく」
至極鬱陶しそうにミカエラとの通信を切り、腕時計型のデバイスを使用して監視する第三の目の目標座標を資料が置いてある部屋に設定した。ヘアジェルでオールバックにした焦げ茶色の髪を一瞥しながら通り過ぎる何人もの女性から熱い視線を受け、グレイは笑顔を彼女らに向ける。
『……グレイさん、ああいう人たちがタイプなんでありますか? 』
「別に。ただあの子たちが俺を好きだって言うなら、それに応えるのが男ってモンじゃないか? 」
『つくづくグレイさんが女泣かせのクソ野郎だって事、実感するでありますよ。これはリンちゃん苦労するであります』
「そこはモテる色男だって言って欲しいねぇ。つーかなんでそこで新人が出てくるんだっつーの」
『はぁ…………まあいいであります。とにかくその周辺を巡回している警備は5名ほど。出来るだけ目につかないように目的の部屋へ』
ミカエラの指示を聞きながらグレイはシャンパンを飲み干し、傍に立っていたウェイターに手渡すと廊下に置かれていた高級そうなソファに腰かけた。周囲を見回しながらグレイの前を警備員が通ると彼は立ち上がり、肩を叩く。
「何か? 」
「喫煙所ってどこかな? 強い酒を飲んだら一服したくなってさ」
「案内致します」
気さくな笑みを浮かべながらグレイは同じ茶髪のガードマンの後をついていき、ⅤIP専用の喫煙所に案内される。幸い個室の喫煙所で尚且つ人っ子一人いない様子を確認したグレイは笑顔のまま警備兵の後頚部目掛けて手刀を叩き込み、音も無く気絶させた。その後グレイは気を失った男の身体をまさぐりカードキーと自動拳銃を一丁掠め取ると、喫煙所の近くに隣接していた用務員室のロッカーに彼を隠す。
「ミカエラ。守衛の一人からカードキー奪ってきた。どこで使えるか解析できるか? 」
『もうやってるであります。どうやらビンゴでありますね、イゴールの部屋にも通じてるはずです』
「さすが。ハッキングが終わったらイツキのサポートに回ってやってくれ。あのポンコツじゃ心許ないだろ」
『私より解析能力は高い筈でありますが……』
「機械はどうも信用できねえ性分でな。頼んだぜ」
そう告げると同時にグレイは通信端末の電源を切ると自動拳銃を腰のベルトに隠しながら何食わぬ顔で喫煙所を出た。隠密用の腰のガンベルトには愛銃であるS&W M686 6インチが光学迷彩によって息を潜めており、確かな感触と共にグレイは廊下から見える景色を一望する。中庭で行われている幾つもの催し物が目につき、中には花火を使用した派手なものまで用意されているようだ。このアクティビティに人々が夢中になっている隙にグレイは視線を掻い潜って目的のイゴール・サンデルスの私室へと辿り着き、何食わぬ顔でカードキーを使用しながら音を立てずに入室する。
「さて、と。あのクソッタレに関する情報でも探りますかね」
悪趣味な金色の西洋鎧やアンティーク物の家具を一瞥しながらグレイは何処からともなく取り出した白い手袋を嵌めながら机の上に置いてあったラップトップパソコンの電源を点けた。イゴールの顔写真と共にログイン画面が表示され、顔を引き攣らせながら通信端末を再度起動する。
「オーライ、ミカエラ。予定通りオッサンの部屋に着いたが……こりゃ驚いた。50越えたおっさんも自撮りするんだな」
『グレイさんだって時々上げてるでありましょう? あれキッツいであります』
「今そんな事言わなくていいだろうが……。とにかくハッキングしてくれ。このままじゃ八方塞がりだ」
はいはーい、という軽快な返事が聞こえたかと思うと目の前の画面が瞬く間にブラックアウトし次々とインストールされたプログラムのアイコンがデスクトップに表示された。
「ビンゴ。次はフォルダのコピーを取る。俺の方でフラッシュメモリーを接続しとくが、そっちでも念の為バックアップしといてくれ」
『了解であります。グレイさんは先に証拠の確保を』
「もうやってる。えー、なになに……次のヤクの取引だったりメールのやり取りばっかだな。リカルドの名前で検索してみる」
メールボックスの検索欄に慣れた手付きでリカルドの名をタイピングするグレイ。しかしプログラムはめぼしい結果を表示する事は無く、僅かばかり苛立ちを覚えながらグレイはマウス操作で元の画面に戻る。ひとまずはデータのコピーが先だと判断したグレイはパソコンのデータベースにアクセスし、全ての記録をコピーしようとマウスを動かした。
「さぁて、じっくりと結果を楽しませて貰うとしますか――――」
そんな独り言をつぶやきながらジャケットの胸ポケットに手を伸ばそうとしたその時だった。自身の背後で銃口が向けられる軽快な駆動音がグレイの耳に響き、思わず手を止める。ゆっくりと両手を上げながらイゴールのデスクから離れ、背後を振り向いた。
「お楽しみ中悪いけど。それ以上は止めた方がアナタの為よ、色男」
「おいおい、君みたいな飛び切りの美人が凄んじゃ駄目だ。折角の美貌が台無しだぜ? 」
「お褒めに預かり光栄ね、グレイ・バレット。手癖の悪さも噂通りみたい」
「そりゃあどうも。美人に名前を覚えられるたぁ俺もまだまだイケるみてえだ。名前を聞いても? 」
「……ソフィア。ソフィア・エヴァンス」
敢えて通信回線をオープンにしながらグレイは不敵な笑みを崩さず、向けられた黒塗りの回転式拳銃――――スタームルガー・ブラックホークの銃口を見据える。6.5インチの銃身が月夜に照らされる美しい光景を横目にグレイは胸ポケットから顔を出したラッキーストライクの箱を指差し、目の前のショートヘアの美女が頷くのを合図に恐る恐る巻き煙草を一本取り出して咥えながら火を点けた。
『センパイ!? そっちはどうなってるんスか!? 』
「……スタームルガー・ブラックホークねぇ。パパと昔見た西部劇にでも憧れたのか? 」
「イーストウッドなら確かに好きだけど……ご生憎様、この子とは10年来の付き合いよ」
「そうかい、なら――――俺達の方が長いな」
インカムから聞こえるリンの声を一瞥しながら隙を突いてグレイは自身の腰に手を伸ばし、愛銃の差さっているガンベルトからM686を引き抜く。ジャマ―の範囲から出た銀色の回転式拳銃がその無骨な銃身と使い古されたウッドグリップを露わにし、.357マグナム弾を銃口から吐き出した。幸いにも外で行われているショーの花火が両者の銃声をかき消し、他の客に気付かれる事は無い。.45コルト弾がグレイの頬を掠めるも彼は眉一つ動かさずに近くのソファへ身を隠した。
「ヒュウ、やるねえお嬢ちゃん! 見かけによらずいい腕してるじゃないか! 」
「どうも。でもそんな事言う余裕、無くしてあげる」
花火が再度空中に轟音を響かせた瞬間、グレイの直ぐ横を鉛玉が通り過ぎる甲高い音が聞こえる。一瞬だけ焦りを覚えた彼は隠れていたソファの陰から顔だけを出しソフィアの様子を窺った。その行動を待っていたかのようにブラックホークの銃口を向けたソフィアが机の陰から姿を現し、グレイの額に冷や汗が滲む。一瞬の恐怖心を押し殺し、愛銃を手にソファの前へと躍り出た。
「しッ」
息を吐く声と共にグレイは先ずソフィアの右腕をM686の銃身で殴りつける事で無理やり銃口を逸らし、軽快な炸裂音と共に.45コルト弾がグレイの頬を再度掠める。愛銃のトリガーを引きながら空いた左手で彼女の腕を掴み取りその勢いのまま後方へ投げ飛ばすと、ソフィアの華奢な身体はガラス張りのテーブルの上に叩き付けられた。ガラスの割れる轟音が響き、僅かばかりグレイは焦るも右手の中のリボルバーをソフィアへ向けて指に力を込める。
「随分と乱暴な扱いね? 」
「そういうの好きそうだろ? 」
先ほどのダメージが嘘のように涼し気な表情を浮かべつつ床に倒れたままの体勢でブラックホークの銃口を向けて引き金を引き、グレイの行動を阻害した。幸い弾丸が掠る事はないもののソフィアの蹴りがグレイの頭頂部に直撃し彼女への拘束を解いてしまう。両脚を回転させた勢いで起き上がったソフィアが手にしたブラックホークから再度鉛玉を射出するが、身体を逸らす事でその銃撃をグレイは肉薄し愛銃を左手に持ち替えて引き金を引いた。次の瞬間グレイは突き出されたソフィアの左手を掴み、彼の右手はソフィアに掴まれる形となる。傍から見たら社交ダンスを踊る男女の様に急接近したグレイは、不敵な笑みを同じく妖しい笑みを浮かべるソフィアに向けた。
「楽しいダンスだな、お嬢ちゃん? だがご生憎、お前さんはあと一発しかない。10年来の付き合いだってのに弾数を数えられないんじゃまだまだだな」
「ご指摘どうも、今後気を付けるわ。でも――――誰が一丁だけって言ったかしら? 」
殺気。目の前の可憐さと美貌さを兼ね備えた彼女からは想像も出来ない程の悪寒がグレイの背中に走る。瞬間グレイの身体はソフィアから強制的に切り離され、空いた彼女の左手にはもう一丁のブラックホークが握られている事に気付いた。急いでグレイは身を隠そうとするも右肩を撃ち抜かれ、熱した鉄を押し付けられたような激痛に顔を歪ませる。
「言ったでしょう、皮肉を言う余裕を無くしてあげるって。それに随分とドンパチし過ぎたようね、直に警備の人間がごまんと来るわ。詰みね、グレイ・バレット」
「……だから甘いんだよ、ソフィア・エヴァンス。別にな、俺はキミと戦う必要なんかないんだ。俺がここに来たのはあくまで時間稼ぎさ」
「何――――」
『エヴァンスか。すまん、宗像斎を取り逃がした』
一瞬だけソフィアは茫然とした表情を浮かべた。そんな彼女の隙をグレイが逃すはずも無く、手にしていたM686の引き金を牽制として引くと一目散に部屋の窓へと駆ける。その隙にフラッシュメモリーを回収するのを忘れず、再度.357マグナム弾を射出すると窓に風穴を空けてそのまま破片が顔に刺さらないように両手で覆いながら空中へと飛び出した。
「ここは三階よ!? ただで済む筈ない……! 」
「ハッ、脳みそまで西部開拓時代から変わってねえみたいだなぁ! 」
そんな台詞を吐きながらグレイはタキシードの下に着ていた脚部専用耐衝撃ボディスーツを起動し、地面に片膝を着きながら着陸に成功する。すかさず後方からソフィアと追い付いてきた警備の銃弾が彼を追い始めるが、深い茂みの中へと消えていったグレイを捉える事は無かった。負傷した肩を動かさないようにグレイは右肩だけに力を入れずに全速力で駆け、屋敷の塀を軽々と飛び越えてサンデルス邸からの脱出に成功する。
「こちらグレイ。何とか脱出に成功した。そっちはどうだ、イツキ」
『もうリンと一緒にいる。合流ポイントまで来れそうか? 』
「なんとかな。だが肩に随分と物騒なキスマーク付けられちまった。出来れば迎えに来て欲しい」
『き、キスマークって……センパイアタシらがターミネーターに追い掛けられてる時にそんな事してたんスか!? い、いくらセンパイと言えど許さないっスよ!? 』
「馬鹿言え、こっちだって楽しんでた訳じゃねえ。イーストウッド好きのカウガールと決闘してただけさ」
インカム越しに聞こえる騒がしい声に安心感を覚えながらもグレイは顔を顰め、追手が来ることを恐れて足早に屋敷から離れると住宅街を一望できる丘の上に辿り着いた。黒いドイツ製のセダン、アウディA6の車内で彼を待っている斎とリンの姿が見え、脂汗を滲ませながら精一杯の笑みを浮かべる。後部座席をぎこちない動作で開けながら横たわり、リンの肩に頭を乗せた。
「イツキさん、思った以上に深刻みたいっス。このままアンジュさんのとこ行きましょうよ」
「既に連絡してある。グレイ、耐えられそうか? 」
「なんとかな……。前の時よりかはマシだ」
「リン、応急処置を。出来るな」
「はいっス」
ハンドルを握る斎の手によってアウディA6は何事もなかったかのように発車し、夜の帳が包んでいるロサンゼルス市街へと消えていく。こうして、眞田桐彦からの依頼である人造人間の破壊とリカルドのデータ回収作戦は、無事成功に終わったのだった。