Act 19. End of Refrain
<基地・訓練場>
ギルガメシュの首を落ちるなり訓練場の中にいた斎は地面に腰を落とし、深い溜息を吐いていた。その様子を防弾ガラスの柵の外から見ていたグレイは柵が降りるのを見るなり斎へと歩み寄ろうとしたが、彼のよりも早く隣のミカエラが駆け出して行く。
「俺は疲れているんだが?」
「心配、したであります」
「……そうか。済まなかったな」
それだけ言葉を交わし、斎は再び溜息を吐く。周囲の視線を感じ始めた所で斎はミカエラの身体を押し戻した。そんな二人の光景を見ていたグレイはいつもの不敵な笑みを浮かべながら、斎の肩に触れる。
「よう色男。災難な一日だったな? 」
「そうだと思うなら早く助けてくれ。お蔭で右腕が使い物にならなくなった」
「悪い悪い。防弾ガラスちゃんが拗ねて俺に尻尾振ってくれなくてよ」
冗談を交わしながらグレイは斎と肩を組み始めた。煙草臭い彼の匂いが鼻を刺激し、斎は顔を顰めるがそのまま歩き始める。茫然としていたルイスとアルマンは我に返ったように二人の下へ駆け寄り、不安げな視線を斎へ向けた。
「済まないが、あんた達の最新兵器とやらは暴走して破壊せざるを得なかった。俺達に非は無い。それは理解しているな? 」
「勿論だ。むしろ俺達は感謝すべきだな。あんたが止めていなかったら、もっと甚大な被害が出ていたかもしれない」
「教官。この方の治療をすべきです。医務室へ運んだ方が……」
「そうだな。アルマン、頼めるか? 」
「はっ! グレイ殿、後は我々にお任せ下さい! 」
斎の身体を支えていたグレイは一瞬訝し気な視線を向けた後、普段通りの表情に戻してアルマンと交代する。不安げな表情を浮かべるリンとミカエラの頭に手を置き、乱暴に撫でるとグレイは口を開いた。
「お前らがそんな顔してどうする。とにかくあいつは無事だったんだし、それだけを喜ぼうぜ」
「それはそうッスけど……。ひとつ引っ掛かる事があるもんで……」
「……ひとまずは斎さんの回復を待つでありますよ。私も相当疲れてるし、もうこれ以上のごたごたは勘弁であります」
二人の言葉にグレイは眉を顰める。ミカエラの持つタブレット端末の画面上には口を噤んだままのリュディが映されており、重苦しい空気が彼らの間を支配した。
「グレイ。二人を頼めるか。俺はしばらく腕の修理と傷の治療に行かねばならん」
「医務室だろ、こっちの事は気にすんな。休めるときに休んどけよ。軍の設備だから普段より充実してる筈だしな」
「そう願うばかりだ。……手間を掛けるな、グレイ」
「おいおいどうした? お前らしくもない。気にすんなよ、こういうのは慣れてる」
それだけ斎に告げるとグレイは4人の下を離れ、ルイスへ歩み寄る。彼の背中を見ていた斎はいつもとは違う雰囲気を感じ取り、訝し気な視線を向けた。グレイが斎の視線に気づく事は無い。
「ルイス、少し話がある。今は後処理に追われて忙しいだろうが、時間取ってはくれねえか? 」
グレイの問いにルイスは少しばかり考える素振りを見せた後、彼と目を合わせた。声音こそ優しいものの、グレイの目は笑っていない。普段の雰囲気とは打って変わり、グレイの目は真剣そのものだった。
「……分かった。全員、試作機の回収に当たれ。俺は少し用事が出来た」
手にしていた小型通信機のスピーカーから部下の応答が聞こえ、ルイスは無線の電源を切る。斎たちがアルマンに連れられていく光景を見送ったグレイとルイスは、静かに事務所の方向へ歩き出した。二人は一言も交わさず、沈みゆく夕日を背に足を動かし続ける。彼らの横を何人もの士官候補生が慌ただしく駆け、グレイたちに目もくれず現場に急行していった。
「昔を思い出すな、グレイ」
「なんだいきなり? 昔話をする質じゃねえだろ」
「人間は変わるもんさ。過去に縋っちまうくらいには俺もお前も歳を取った」
ルイスと言葉を交わしながらグレイはコートの懐に手を突っ込み、白い箱を取り出す。ラッキーストライク。グレイが昔から愛煙している銘柄だ。白い巻き煙草を口に咥えながら息を吸い込み、金色のジッポライターで火を点け、周囲に紫煙を撒き散らす。
「吸うか? 」
「……いや、遠慮しとく。最近は禁煙してるんだ」
「そうかい」
それだけ告げるとグレイはいつもより早いペースで煙草を吸い始め、オフィスに着く頃にはフィルターに火が燃え移るまでに短くなっていた。火種を地面に擦り付け、火を消すと携帯灰皿に吸殻を放り込む。そうしてグレイはオフィスの入り口を潜り抜け、ルイスの後を歩き続けた。不気味なほど静かな廊下とオフィスへと続く道が、グレイの神経を撫でる。コートの懐に忍ばせてある愛銃・S&W M686をいつでも引き抜けるようにグレイは穿いていたスラックスの両ポケットに手を突っ込み、足を動かした。突然ルイスが振り返って銃を引き抜いても可笑しくはない。事実グレイはそれ程にまで神経を張り巡らせており、張り詰めた糸のように彼の間隔は研ぎ澄まされる。
「ここだ、グレイ」
言われるがまま、グレイはルイスのオフィスへと足を踏み入れた。罠かもしれないという警戒心を抑えつつ、平常心を保ちながらグレイは入り口近くの壁に寄り掛かる。個人オフィスの中には基地の内部を一望できる大きな窓が取り付けられ、オレンジ色の光が差し込んで美しい光景を生み出していた。だがグレイには景色に気を取られている暇などない。目の前にいる十年来の親友は、自分たちを嵌めた敵かもしれないのだから。
「で、話ってなんだ? お前がそんなシリアスになるなんて珍しいじゃないか」
「あはは、バレてた? これでも演技力には自信がある方なんだがねぇ」
一瞬だけ笑顔を浮かべた後、グレイは自身の表情から笑みを消した。
「――――誰の仕業だ? 今回の一件は」
「おいおい、お前だって見てただろう? 近頃多発してる機械の暴走事件と同じように連中も俺達の支配下から逃れたんだ」
ルイスの口ぶりはまるで今回の件を数ある事件の一つとして忘れろ、と言わんばかりだ。グレイは更に不信感を高め、短い溜息を吐く。そして、一瞬で懐に手を突っ込んで愛銃の銃口をルイスの頭に向けた。
「グレイ……? 」
「聞き方を変える。誰に頼まれた? 」
M686のステンレスフレームが窓の夕日を反射し、淡く光る。美しくも残酷な風貌を携えるその銃は、グレイの手によって微動だにしない。間違いなく、ルイスの生死は今グレイの手によって委ねられている。自分にとっては辛い事だ。だが、やらねばならない。今後自分たちの命を付け狙う反乱分子を消しておく為にも。事実グレイはこのインペリアルアームズに入社してから、幾度となく報復という名目で命を狙われている。ミカエラを間接的に狙った者や、グレイに恨みを抱いて向かって来た者。上げればきりがない。
「馬鹿な冗談は止せ、グレイ。今は俺も軍の上層部に当たるんだ。殺せば大事になるし、お前だってただじゃ済まない」
「元よりタダで済んでねえよ。俺はお前に恨みがあってこんな事をしてるんじゃない。聞きたい事があるからこうしてるんだ」
「グレイ……お前、変わったな」
「変わったのはお前の方だ、ルイス。俺は昔のままだよ」
グレイは両手を上げたままのルイスにゆっくりと近づく。
「イツキがあの連中と一緒に閉じ込められた時、やけにお前は冷静だった。部下にも指示を出し、あいつを早く助け出そうとする演技をしてた。バレバレだよ。言え、ルイス。誰の仕業だ? 上の連中か? それとも別の奴なのか? 」
「…………」
黙ったままのルイスに痺れを切らし、グレイはM686のハンマーを倒した。カチリという軽快な駆動音と共に銀色のシリンダーが回転し、.357マグナム弾が銃身に装填される。引き金を引けば、いつでもルイスの脳天を噴水のように弾けさせる事が出来るだろう。
「俺は本気だ。言わないなら――――」
その瞬間だった。オフィスの窓が割れる音と共にルイスの胸部から鮮血が舞い跳び、深紅の液体がグレイの頬にまで飛んでくる。直後、扉が何者かの手によって蹴破られ、グレイの身体は無理やり叩き起こされた。黒一色の装備に身を包んだ男が、肩から提げた自動小銃を手に倒れるルイスへと迫っている。グレイは身の危険を感じ取ったのか本能的にもう一歩前へ踏み込み、自動小銃の銃身を蹴り上げる。その後グレイは急襲してきた男の脳天目掛けて愛銃の引き金を3回引いた。
「っ、ルイス!! 」
襲撃者たちがまるで自分たちの会話を丸々聞いていたかのようなタイミングにグレイは更に不信感を高めるが、生憎議論している暇は無い。先ほどの銃声で周りの人間は気付いているのだろうが、それでも助けを求めている余裕もなかった。先ほど殺した男から奪い取った自動拳銃を腰のベルトに突っ込み、倒れているルイスの身体を物陰に移す。足音がもう一つ、薙ぎ倒した机の陰に隠れるグレイの耳に響いた。直後グレイは息を止めながら身を乗り出す。
「この――――クソッタレがァッ!! 」
再度三回引き金を引くとグレイはたじろいだもう一人の刺客目掛けて足刀を腹部に浴びせて廊下の壁へと叩き付ける。ボディーアーマーによって銃弾が防がれたようだが、相手の動きを止めるのには十分すぎるものだった。その後止めを刺すように刺客の鼻柱へ飛び膝蹴りを見舞うと、元いた部屋の入り口に身を隠した。サムピースを手前に引いてシリンダーをスイングアウトし、エジェクターロッドを押すと蓮型の弾倉から金色の薬莢が六つ地面に落ちる。コートのポケットに仕舞っていたスピードローダーを取り出し、新たなマグナム弾を叩き込むと手首のスナップを効かせてシリンダーを元の位置に戻した。
「ルイス! おい、しっかりしろ! 」
既に虫の息であるルイスに気を取られていると、グレイの眼前に何かが空を切る。窓ガラスに数センチ大の風穴が開いている光景を垣間見ると途端にグレイは身を屈め、倒れているルイスの下へと辿り着いた。目標を消す事だけを目的とするなら、この状況では狙撃が最適だ。皮肉にもグレイが最も得意とする技術の一つだが、生憎皮肉の言葉さえも出てこない。
「あ……ぐ、グレ、イ……」
「馬鹿、喋るな! 今すぐ救援を呼んでくる! それまで持ちこたえるんだ! 」
胸の銃創からはとめどなく血が流れる。間違いなくこのまま放置してしまえばルイスは死ぬ。グレイの脳裏に、焦りが浮かんだ。だが、彼の感情を制止するかのようにグレイのコートの裾をルイスは弱々しく掴む。
「気を、付け……ろ……! 敵、は……! 」
「もう止せ! 喋っちゃ駄目だ! 」
「もっ、と……巨大な……組、織――――」
そこで、ルイスの言葉は途切れた。先ほどまで動かしていた口は開いたままで、首にも力が入っていない。赤黒い液体が地面に流れ落ち、彼の身体を支えていたグレイの手までもが血に染まる。死。グレイの双眸は、死に覆われた。
「センパイ!! 何があったん――――」
力なく地面に膝を着くグレイは、再度入り口に視線を向ける。多くの士官候補生や警備兵を連れてきたリンがこの騒ぎの音を聞きつけて駆け付けたようだった。それでももう遅い。思わず言葉を失っているリンを一瞥しながらグレイはルイスの両目を伏せさせ、彼の身体を担ぎ上げた。
「――――遅かった。間に合わなかったんだ」
グレイの言葉が、虚空に響いた。