とても細く、それでいて赤い糸
なんて不平等なんだとよく考えていた。
誰かの一番になれる者と、そうはなれない者の違いは何だろうか。
例えば人口の全てを半分に割ったとしても、余るのはきっと一人だ。その余りが自分自身なのではないかとの思いに身震いする。
運命の赤い糸なんて言うが、恐らくそれは一人に必ず一人の運命の人が割り当てられているわけでは無い。
無数に糸が結ばれている選択肢の多い者もいれば、それにあぶれた者もいるに違いない。
僕はきっとあぶれた側なのだろう。
本当に不平等だ。
廃れた自営業のあまり裕福でない家に生まれた僕は、物心ついた時分には五つ歳の離れた弟の世話が生活の一部となっていた。
夏に仕事のピークを迎える両親の帰りは遅く、仕事の合間に届けられた出来合いの弁当を弟と食べ、風呂に一緒に入り、嫌がる体を押さえつけながら歯を磨かせて布団に潜り込む。
そんな生活を弟が小学生になるまで続けた。
弟というものは誰でも甘え上手になるものなのだろうか。
今とは違い当時は年末年始はほとんど全ての小売りや飲食店は長い休業に入った。閑散とした正月の街が抱かせる独特な寂寥感は今でも遠い記憶として残っている。
そのためどこの家庭も、暮れには家族全員で一週間分の食材や菓子などを買い込みに行ったものだ。
僕達子供などは見たこともない量の菓子を買い物カゴに入れてはしゃいでいた。
当時の僕はと言えば、久しぶりに顔を合わせた祖母の、カッちゃんそんなに買ったらダメよとか、もぅカッちゃんはワガママねぇ、などと弟に言いながら嬉しそうにしている姿を見るだけの性格になっていた。
その頃には自分の家庭の経済状況もある程度理解していたし、長男は自己主張すべきでないとも思っていたのかもしれない。
無邪気にせがむ弟の甘え上手さに嫉妬も覚えたものだ。
ただそれ以上に、祖母にとっては弟が一番可愛いという事実に嫉妬したのだろう。
そんな性格のためか、やたらと人数の多い親戚には可愛げのない子供と映ったようだった。
ある時、母と不仲である叔母にお年玉をもらったことがあった。母からはその叔母からお年玉はもらっては駄目だと釘を刺されていたため、丁重に弟の分とともに返すしかなかった。
あらそぅ、などと言いながら、いやらしくじとっとした目で叔母が続けた言葉は今でも忘れない。
あなたって本当に子供っぽくないわねぇ。賢しいわ。
子供ながらにその言葉が褒め言葉ではないことはわかった。
子供にとって誰から貰おうとお年玉は嬉しいものだ。それを返さなければならない子供の気持ちを大人は理解してない。大人の事情を子供に押し付けるな。
そんなに風に思う小学生は、確かにもう取り返しがつかないほどねじれていたのかもしれない。
弟が小学校に上がる頃になると、そのねじれたものに蓋をして明るく生活するようになってた。
当時は漫画や映画でいわゆる不良を題材にしたものが流行り、ご多聞に漏れず僕もその仲間入りをした。
二年生に上がった頃事件が起きた。
些細なことで僕がいたグループと他のグループが喧嘩になったのだ。
僕と一番仲の良かった相良 涼が相手グループの代表とタイマンをはり、見事病院送りにしたその日のうちに僕達は職員室に連行された。
ここまではよくあることではあった。
誰が手を出したのかと問う教師に相良は、みんなでやりましたと答えたのだ。戸惑う僕達に容赦ない教師の鉄拳がとび、程よく顔を腫らした状態で解放された。
夕日を背に無言で帰宅する僕達が口を開いたのは、学校から一番家の近い相良と別れてからだった。
相良に対する激しい罵声がとんだ。口汚く罵る彼らは相良に裏切られた気でいるのだろう。
少し考えれば相良の言ったことは間違いではない。みんなで取り囲んで逃げ道を塞いでいたし、勿論誰も止めようとしなかったのだ。同罪かと問われれば同罪だろう。
しかし彼らの言い分は違ったようだった。
僕はそう思っていたし、一番仲の良い友達を罵ることははばかれ、終始無言で家路に着いた。
翌日状況は一変していた。
挨拶しても誰も返してくれない。近寄って話し掛けても誰もこちらを向いてくれなかった。
相良に至っては憎悪の目で僕を見るのだった。
後で聞いた話によれば、相良を散々こき下ろしてた奴らにより、彼らが言った口汚い言葉を僕が言っていたと広められたらしい。なんだそれ、アホくさいと僕は思った。
そんなアホくさい子供じみた嫌がらせが、僕の残りの中学生生活を暗いものにしたのだった。
また僕は失敗したのだ。
ここでも僕は誰かの一番にはなれなかった。
蓋をした僕のねじれたものは、そろそろその臭気が溢れるほどに発酵をくりかえしていた。
高校、大学と進学した僕は誰かの一番を望まなくなっていたし、それにもはや価値を見出せなくなっていた。
所詮不平等なんだ。
僕には赤い糸なんて結ばれてないのだとの思いが強かった。
それからの友達との付き合いや、女性との逢瀬は全て記号と化していた。
不思議と女性には事欠かなかったのだが、僕の赤い糸は彼女たちには繋がっていない。
合コンをし、付き合い、セックスをし、別れるを繰り返した。彼女という記号を抱いても砂の味しかしない。
おかげで嫉妬を微塵も感じさせない僕に愛想をつかすのは、決まってその記号たちの方だった。
別れたいという彼女らに僕は一秒とかからず肯定をして、さらに呆れられたものだ。
そんな僕をたしなめる友人もいたが、綺麗に別れられて楽じゃないかと言う僕に、寂しい奴だなと彼はため息交じりに言った。
社会人となった僕のねじれは、いよいよ蓋を持ち上げる程になり、その臭気に当てられたのか僕の周りから人は消えていった。
所詮は記号なのだと自分に言い聞かせてみるものの、何故だか知らないが時に涙が出た。
その女と出会ったのはそんな頃だ。
出会い系で待ち合わせた場所に現れたのは、柔らかい雰囲気の女だった。
だが所詮出会い系で知り合った記号の一つ。いつもと変わらないはずであった。そしてそんな記号をなぜ求めるのかと自問しそうになった。しかし辿り着く結論は、どうにも面白いものではなさそうで、僕は思考を止めた。
彼女は進行中の彼氏がいた。初めての彼氏らしいが、酷くDVを受けていて時には痣を作ってきた。
出会い系をしたのは誰かに相談に乗って欲しかったかららしい。友人に相談しないのかと問う僕に、こんな事友達だからこそ言えないものなのと彼女は言った。
そしてなぜ別れないのかと呆れる僕に弱々しく微笑むのだった。
好きだから、かな?
そんなになっても人を愛せるものなのか?
人の一番になれる者はこうなのか?
僕は自分にないものを持ち、自分にあるものを持たない彼女に次第に惹かれていった。
1年が過ぎ、彼女が大学を卒業する頃僕達は付き合い始めた。
それから5年が経過し、僕のねじれたものは、形こそ残るものの蓋は彼女に取り払われ、幾分か解けてきたように思う。
間違い無く彼女が僕の赤い糸の先の女性だとの思いに至った。
誰かの一番になれたと思った。やっと掴んだと、彼女と一緒に寝ると涙が出た。
子供時分におった傷が彼女によって癒されるのを感じた。
妻となった彼女が子を宿したのは、結婚後4年経ってからだった。なかなか出来ないことに不安を覚え、そろそろ受診しようかと思っていた頃だった。
2人で泣いて喜んだ。僕はまた一人誰かの一番になれるのだ。
この歳になって、やっと一番は一人ではない事をまだお腹にいるわが子に教えてもらったのだ。
陣痛が始まり、妻は点滴の支柱をまるで安心して体を任せれる大木かのように掴まり、前屈みに病院のベッドに腰掛けている。苦しそうな表情をする妻を見ていると、何もできない自分に腹が立ってくる。
僕はその傍に座り、ただ腰を摩りながら点滴の支柱を左手で全力で支え続ける事しかできなかった。
それにしても長い。僕は無個性な壁時計に目をやる。すでに20時間は経っていた。
その間食事は勿論、睡眠すら取れていない。陣痛を誘発させる薬を、素人目にも過剰投与されていた。
妻の身体は限界だった。
白目をむいて痙攣をする。こういう文章は比較的目にしやすい。この事実を文章にすると何故か滑稽に感じる。
しかし一度自分の一番大切な人がその状況になってみたらいい。
恐怖しかない。
怖かった。それは妻を失いそうだからなのか、一瞬で変わってしまった状態になのか、それはわからない。
ただひたすら怖かった。
僕は震える指を、もう片方の手で押さえながらナースコールをした。
運ばれていく妻の名を呼び続ける。
「緊急カイザー」とナースが叫んだ。
そこからの記憶が僕には無い。
医師の「お子様は無事です」という言葉で、僕は全てを理解した。
子供はNICUに送られたらしい。
低酸素脳症で障害が残る可能性があると、事務的に論理的に告げられた。医師は僕と目を合わさなかった。その方がまだ良いと僕は思った。
携帯の着信があり、出てみると会社の上司だった。
病院の外で久々のタバコを上司と互いに無言で吸った。涙が出たのは紫煙が目にしみたからだろうか。
見ると上司も涙を流していた。
仕事はどうしたんですかと僕が問うと、彼は一瞬だけ肩を上げて、苦そうに煙を吐き出した。
会話はなかったけれど、随分長いこと話したような気がした。
どうやら会社での僕は一人ぼっちではなかったらしい。
僕と妻との赤い糸は途絶えた。
僕みたいな者が分不相応にも求めた結果がこれなのだ。
もう涙は出ないと思った。
それから二週間が経った。
愛と名付けたわが子をNICUで初めて抱いたあの日のことを、僕は忘れない。
保育器の中で眠る愛は、妻を失って硬くねじれた僕の心を妻がそうしてくれたように優しく解いてくれた。とても小さな命なのに、世界の中心がここにあるようにさえ僕には思えた。
僕の腕の中で眠る愛は、無意識に僕の小指をその小さな手で掴んでいる。
途端に途方も無い量の涙が溢れてきた。
ああ、美香。繋がったよ。
僕は既にいない妻の名を呼んだ。
美香が繋げてくれたんだね。
僕は確かに、愛と僕の指に赤い糸を見た。
数年前、小説を書き始めた頃の三作目を掘り返しました。
あまり進歩してないなと実感。