自称転生ヒロイン(←いろいろやらかして、ざまあされ済み)を母に持つ少年の、その後について
箱の中の猫を語る人について
『転生したら母親がビッチなヒロインで、既に「ざまあ」されてしまっているが、それはさておき。』
『チョロい男に需要はあるのかという問題について』
『買わない宝くじは当たらないという件について。』
『僕の名前にまつわる物語について。 』
の、続きのお話です。(一応、別視点の話の『混沌の間に住まう子供について』にも関連しています)
前半の三人称部分は、『僕の名前にまつわる物語について。』と同じ日の別の場所で起こった話です。
後半の一人称部分は、それから数か月後の主人公視点です。
前作を読まないと、このお話だけだと、意味不明だと思います。
話があまり進まない上に、ヒロインが登場する気配さえありません。
略称を説明しておきますと、
フィオ姫 → エルフィオーナ姫 (初出『チョロい男に需要はあるのかという問題について』)
※初出時点では、名前は出てきていません。
ディナ姫 → エルディアーナ姫 (初出『僕の名前にまつわる物語について。』)
です。
挨拶に訪れる人の列が途切れたところで、彼は給仕の者に合図し、杯を受け取った。
懐かしい故郷の美酒を口にし、ほう、と溜め息をつく。
この集まりは、諸国歴訪から戻った彼の、帰国を歓迎するという趣旨の宴だった。
彼は現王の二番目の弟にあたり、王族として、王の外交面の補佐をすることが多い。
外務卿、というのは彼の正式の役職では無いのだが。現王の弟が三人いる状況で、彼をさす言葉として、「王弟殿下」よりも「外務卿」のほうがよく使われているのは、当人も与り知らぬ事実である。
「叔父上様は、やはりその御酒なのですね」笑みを含んだ、穏やかな声。
エルヴァイラ姫。彼の一番上の兄である現王の娘で、彼の姪に当たる。
「ああ。外国では飲めないので、一際染みるのだよ」
生産量が少なく、この国にしか出回らない銘酒だ。
「故郷の味、なのですね」
おっとりと、どこまでも柔らかな口調。そして、笑みを含んだ表情。
どこにも尖ったところのない、『癒し姫』の異名を持つ王女。
見ているだけ、会話しているだけで、気持ちが穏やかになると、世に言われているのだが。
彼には、全くそのようには感じられない。何故かむしろ、身構えてしまう。
「このたびは、お疲れ様でございました。叔父上様のご活躍のおかげで、この国も何とか面目を保ちましたわ。
わたくしや父上様がエルリック兄様をお止めできなかったために、叔父上様にはご心労をおかけいたしたこと、お詫びいたします」
「いや、君が詫びることなど。むしろ、君の助言を容れなかった兄上や、私の方こそが、君に詫びるべきだと思っているのだよ」
先の王太子エルリックと、その妃が起こした事件の影響は大きく。聖女を迫害した国として、国は大きく評価を落としていた。
今にして思えば、このエルヴァイラ姫こそが、彼やその兄王に先んじて、エルリックの抱える問題に気づいていたのだろう。
その助言を聞き流さずにいたならば、あるいは。とは思っても、もはや取り返しのつくことではない。
起こしてしまった不祥事は今さら仕方がないとしても。
それに乗じて、悪評をさらに広め、いわれもない偽情報まで流布させて、この国を貶めようとする勢力や。悪の王国を討つべしと、他国の間での同盟の動きまで起こされている状況は、看過できず。
外交努力のために、今まで各国を飛び回ってきた。国内の貴族の間では、あまり深刻に受け取られてはいないようだが。
「叔母上様にも、お礼を申し上げたいと思っていましたけれど。お体の方は、大丈夫でらっしゃいますの?」
妻である王弟妃へのねぎらいの言葉を、今日はじめて聞いた気がする。
ある意味、妻こそが外交建て直しの功労者なのだが。妻の持つ、「湖の国の女王の、仲のよい妹姫」の肩書きがなければ、そもそも社交の場に招かれないことの方が多かったのではないか。それほどまでに、聖女を害したこの国への反感は大きかった。
それに気づいている者が少ないのか。気づいていても、口にすべきでないと思われているのか。
「なに、大事ない。体調不良といっても、旅の疲れが出ただけのようだ。医者の見立てでは、しばらく養生していれば本服するとのことだ」
「安心いたしましたわ。後ほどお見舞いにうかがいますと、お伝えくださいませ」
彼は頷いて、了解の意を示した。
彼の妻がこの場にいない理由は、体調不良などではない。
彼自身にも、もちろんこの姪姫にもわかっていることだ。
見舞いと称する顔合わせは、ただの挨拶なのか、それとも何らかの密談なのか。
それからしばらくの間、旅の土産話と言う名の情報交換を続けた。
彼からは、他国の情勢を。姪からは、王宮内をはじめとした、諸々の国内の状況を。
彼が友好の証として帝国から贈られ、連れ帰った紅縞猫の話題には、姪姫もいささか複雑な笑みを浮かべた。
友好の証として分かりやすい象徴だが、ある意味厄介でもある。
猫というのは、外に出たがる生き物であるらしい。万が一にも逃げられるわけにもいかず。部屋猫として飼育する方法など、叡知の塔の賢者に問合せてみたり、専門の飼育係をつけてみたり。
「人を主として懐くようであれば苦労はないのだが。はてさてどうなることか」
ため息混じりの叔父の言葉に、姫は笑みを深くし。
「賢者の国にも、猫がいるそうですわ」
「ほう?」
「何でも、中身が見えない箱の中に入れらるものなのだとか。見えないので、外からは生死が分からないのですって。箱を開けるまでは、生きている猫と死んでいる猫が、同時に存在するのだと、そういうお話をされていましたわ」
「……変わった風習があるものだ」
猫というのは、国によっては王公貴族のみが愛でることのできる、高価な愛玩動物だ。
逃げられるのを警戒しているのか? それにしても、箱に閉じ込めて、生き死にを賭け事にする意味がわからない。
「哀れなものですわね。箱の中に閉じ込められて、生きるも死ぬも同じだなんて。誰かを主と認めているようでしたら、逃げられる気遣いもなく、外に出してやることもできるのでしょうけれど」
ゆるゆるとした口調で、柔らかい微笑とともに話しつつ、その視線がちらと、この場にいたもう一人の姫--場の中央で貴族の子弟に囲まれている、彼のもう一人の姪姫に向けられたとき。
彼女が、何を話題にしたいのかが、わかった。
✳ ✳ ✳
何かを学ぶことは楽しいことだ。心から、そう思う。
たとえ教材が少なかろうと、教師がいなかろうと、なにも学べないような状況より、ずっとずっと素晴らしいのだ。
今生の父が残してくれた諸々の本や覚え書きなどは、おそらく父本人が幼い頃に学ぶときに使ったもので、側に優秀な教育役が付いていて、分からないことはその場ですぐに質問できるという前提で用意されたものなのだと思う。
だから、はっきり言うと。
「……さっぱり分からん」
思わず呟いてから、はたと口をつぐむ。
盗聴されている、とまでは思わないが。懸念が無いでもないので、一人の時は、一応あまり言葉を発しないようにしているというのに。
それにしても、わからない。
三歳までに聞き覚えた単語では、圧倒的に語彙力が足りないのだ。
今生の母は、本人にとって興味のある、はっきり言うと狭い範囲の会話しか好まなかったので、僕が知っている単語も、おのずと片寄ってしまっている。
僕が、いろいろな考え事をするのにそれほど不自由していないのは、未だに日本語で思考しているせいだとわかってしまった。
思考は、言葉によって制限される。
この世界の言葉だけでなにか考えようとしても、もっとぼんやりとした考えしか浮かばなかっただろうと思う。
しかし、それだと今後、この世界で生きていこうとするとき、人と会話しようとするときに、行き詰まってしまうのは目に見えている。
だが、それは。
--今気にしても、しょうがない、か。
前世で英語のペーパーバックなど読んでいたときには、分からない単語があってもそのまま読み進めることにしていた。
読んでいるうちに、前後の文脈から意味がわかることもあったし。とにかく、読めるものがあるだけ、以前より恵まれているのだ。
--ともかく読むべし、だな。しかし、この重要っぽく書かれている単語、なんか気になるんだよなぁ……。
「『盤上の遊戯』、ね」
わああああぁっ! びっくりしたぁ!
心の中で叫んで、ざざっと横に飛びすさる。
誰もいないと思っている部屋で、いきなり背後から声をかけられて、心臓が止まりそうにならない人間はいないと思う。
気配を消して近づくの、やめてほしい。毎回心底、そう思う。
--言わないけどね。
彼女、エイダさんは、王族であるディナ姫の侍女を務めるくらいだから、おそらくは貴族令嬢で。一介の平民が意見できるような立場にはない。
裏庭での対面以降、エイダさんは何度か秘密通路を通じて、この部屋を訪れている。
どういう意図でかは分からないけど、ディナ姫の意向を汲んでのことだと思う。
フィオ姫ご一行とかち合うとまずいんじゃ? と一瞬思ったけど。
気配を殺せるくらいの人なら、人の気配を読むのにも長けているんだろうから、問題ない気がした。
フィオ姫のご来訪自体、あれからほとんど無くなっているしね。
「盤上の遊戯、ですか?」
「そう。たいだいは、こういう平たい盤の上で」と、彼女が手振りで示す。「駒を動かしてやる遊びというか、勝負事よ。砦を落とし合うとか、陣地を奪い合うとか、やり方もいろいろあって、かなり流行っていた時期もあるのだそうよ」
ふむ。よく分からないけど、前世でいう、将棋や囲碁、ボードゲームの系統なのかな?
たまにこうして、分からない言葉を教えてもらえるので、助かっている。
「『創世神の作り給うた世を盤に見立て、盤上の遊戯を楽しみしこと、不届き千万なり』か。混沌の時代のお話ね」
本をなぞって読み上げてくれたり、知らないことを教えてくれるので、メモを取りたいけど、そういう用途に使える量の紙はない。頭の中に、必死で書き留める。
「創世神の与え給うた天眼を、王族同士の争いに使って、創世神の作り給うた世を乱した、ということなのでしょう。書かれた方は、王族のどなたかなのでしょうね。王族への不敬を恐れていないもの。
本来なら、平民が読むのは許可されない類いの書物でしょうけど--」
げげ。父上が王族なせいで、そんな罠が。
けど。問題ないと思いたい。
だって、解説してもらわないと、僕には、そんな意味だなんて分からないし。
って、問題ないわけないのか。どうしよう。まさか、没収の憂き目にあう、なんてことは……。
背かに冷や汗が流れたが、エイダさんは、それ以上は特にふれずに立ち去った。
滞在時間は、いつも短く、特になにか聞かれるようなこともない。
なんなんだろうなぁ。と思いつつ、次第になれてきて気にならなくなていった頃に。
思いがけない人物の来訪に、身構えるというよりも、全身が硬直する羽目に陥るのだが。
その頃の僕には、というか、僕の持つ天眼という力をもってしても、及びもつかないことであった。
その人物とは。現王の第一王女にして、かつて僕の叔母とされていた女性。エルヴァイラ姫であった。
前半部分に、ディナ姫の父上登場です。主人公とのからみはありません。