7話
◎
それはとあるゲーム会社の新商品だった。様々なジャンルを手広く展開し、そこまで完成度が高いわけではないがそれなりに楽しめるという評価を受け続けてきた。今度は何をやらかしてくれるのか期待するコアなファンがそれなりに存在するあたり、会社としては成功している部類に入るだろう。
そんな会社の新商品。テーマは『男性でも楽しめる女性向け恋愛シミュレーションゲーム』。二兎を追ったこの商品はしかし意外にも多くの人間に受け入れられた。男性向け恋愛シミュレーションゲームを楽しむ女性も居るのだから、その逆を行く人間も居るということだ。恋愛シミュレーションゲームとしてもそれなりに楽しめたという声もあった。しかしこのゲームの一番の目玉は、狙いの定まらないちゃんぽん的ゲームにしては作り込まれた設定とクリアまでの厳しい難易度にある。
ストーリーはよくある展開だ。
仲の悪い二つの国がある。片方は通称『聖国』。もう片方は通称『栄国』。
ヒロインは栄国の王の落とし胤である。お忍びだった王と一介の町娘だった母親との一夜の過ちから産まれた命だ。
この王は大層な遊び好きで、愛人や子どもなど何人も居たのだが、ある時期に流行った病にて悉く斃れる。王自身もこの病を患い、栄国そのものが死に瀕していた。
そんなときに産声を上げたのがヒロインだ。子どもの自由な幸福を願った母親はひっそりと栄国から聖国へと逃げ出す。しかしそれを王に勘付かれ、国を終わらせるわけにはいかないという執念に、ヒロインが狙われることになる。逃亡生活の末に母親は弱り果て、ヒロインを孤児院に預け息絶える。
孤児院での貧しく苦しい生活の中でも、母親の望んだ通りの自由な幸福を求め、曲がることなく成長するヒロイン。しかしヒロインが年頃になると事態は急変する。栄国がいきなり聖国との戦争を宣言したのだ。戦争開始までに設けられた準備期間は耳を疑うほど短かった。
聖国は長年戦争の無かった国だ。上に立つ者はどうしたものかと頭を抱えるばかり。下を支える民たちは実感が湧かず、戦争に向けて生活を制限されることに不平不満を垂れ流すばかり。
そうしてあっという間に迎えた戦争は、聖国にとって苦しいものであった。兵の数も練度も栄国が優っていた。栄国兵の統率された動きは、聖国兵をまったく寄せ付けなかった。
ここで聖国は、一刻も早く戦争を終わらせるために軍からも民からも精鋭を集め、鍛え始める。ヒロインはこの徴兵にて集められ、攻略対象の男性キャラクターと出会うのだ。ゲームのストーリーはここから始まる。
だが何と言ってもここから鍛え始めるのだから、その道は険しい。
ヒロインには『体力』『筋力』『脚力』『魔力』『諜報』『美貌』『交流』といったパラメーターが設定されている。およそ女性向け恋愛シミュレーションゲームでは見られないパラメーターが多いが、これらの数値によって攻略対象とのエンディングが変わってくるのだ。それだけでなく、この数値はストーリーにも関わってくる。
最初の二年間はヒロイン含む徴兵隊の鍛錬に費やされる。パラメーターは『鍛錬』や『情報収集』といったコマンドを実行することで変動する。コマンドを一回選択することでゲーム内の時間が一週間進み、これを四回実行することで一ヶ月が経過するシステムだ。三ヶ月に一回『演習』という名目でパラメーターの確認が行われ、トータルが一定の数値に達していないと実力不足と判断され、除隊。問答無用でゲームオーバーである。
また二年目の最後には敵スパイ捕縛イベントがあり、この日までに攻略対象の好感度を上げていないと三年目に入る間も無く強制バッドエンドだ。ヒロインは栄国に捕らえられ、聖国は戦争に負け、そのまま滅亡する。
無事に攻略対象と仲良くしていれば三年目に入り、徴兵隊は本格的に戦争へ駆り出されることになる。目的は栄国軍司令官の速やかな撃破だ。一週間×四回のコマンド実行は変わらないが、RPGのような戦闘画面になり、コマンドの名称も『通常攻撃』や『魔法』などに変わる。三ヶ月に一回の演習は『軍隊長戦』という名の中ボス戦闘になっている。
そうして三年目の最後には司令官、つまりラスボスと戦うのだ。本筋は恋愛シミュレーションゲームなのでこの間にも細かく攻略対象とのイベントがあるのだが、そんなことを気にする余裕も無いほどパラメーター判定がシビアなため、全体としてクリアまでの難易度が高くなっている。
ちなみにラスボス戦以外でパラメーター判定に引っかかるとヒロインは戦死。ゲームオーバーとなる。ラスボス戦では専用のバッドエンドが用意されているが、非常に後味が悪いので実質ゲームオーバーのようなものだ。
さらに言えばこのゲーム、トゥルーエンド以外では碌なエンディングを迎えないことに定評がある。
エンディングによってヒロインは戦死を初め、スパイ容疑をかけられ逃亡、戦犯扱いされ国外追放、ボロボロになった聖国を見て自責の念に駆られ攻略対象と心中、等々悲惨な目にしか遭わない。母親の望んだ自由な幸福など夢のまた夢である。
勿論、どのエンディングでも聖国は今後立て直せるかわからないほど疲弊する。行く末など推して知るべしというものだ。
トゥルーエンドにてようやくヒロインは自由な幸福を手に入れ、愛する者と結ばれる。聖国も納得の行く勝利を収める。栄国は聖国に統一され、どちらの国民もやっと訪れた平和に胸を撫で下ろす。これ以上無いほどの大団円だ。
――ただし、トゥルーエンドを迎えるにはヒロインが一度ラスボスに敗れる必要がある。
ラスボス戦に敗れバッドエンドを迎えることで、あるアイテムを手に入れる。これがトゥルーエンドへの鍵だ。このバッドエンドでしか入手不可能な専用アイテムなため、どう足掻いても一周目でトゥルーエンドを見ることは叶わない。
このアイテム以外にも、各エンディングで入手するアイテムによってパラメーターが補正され、頻繁に入る判定をクリアしやすくなる。周回を重ねるほど楽になる仕様だ。アイテムの効果はオプションで無効化もできるため、強くてニューゲームを望まないプレイヤーにも配慮している。
そこに気を使うくらいならもっと和やかなエンディングを用意しろ、というのがほとんどのプレイヤーの意見だ。
攻略対象は四人と、二周目以降に攻略できる一人の合計五人。
一人は、聖国の第二王子。ゲームのパッケージでセンターを彩るメインキャラクターである。
他には、第二王子の側近。神に従う神官。凄腕の狩人。そして二周目以降には従軍画家が攻略対象となっている。
今、夢の中にてヘゼルが見ているものは――見せられているものは――そのゲームの、凄腕の狩人の青年ルートである。
○
瞳の色は明るい茶色。髪は落ち着いたアーモンドグリーン。背は高く、体格は軍人に比べると細いが、しっかりと男性味を感じさせる厚さである。たまに流れる声(ボイス、というらしい)は低く、聞いたことのない響きだが、その姿にヘゼルは覚えがある。
何度か夢の合間で見た姿だ。
そして、現在もなお見ている姿だ。
――アレン。
どういうことだと叫んだことがある。教えてくれと手を伸ばしたことがある。その答えがこれなのだと、空間のすべてが全身に訴えかけてくる。
このゲームに登場する攻略対象、凄腕の狩人の青年と、ヘゼルの知るアレンという少年は、イコールで結ばれている――そう認めざるを得ないほどの、痛みすら覚える情報の奔流がヘゼルを貫いた。
画面の中で青年は一枚の絵となって佇んでいる。画面下の囲いの中に青年の言葉が表示されている。背景の星空は美しいが、拠点として建てられた無骨な幌幕が和やかな気持ちを拭い去る。
これは青年の好感度が高いとき、二年目に起こるイベントだ。徴兵隊への加入を決めた理由、抱えている悲痛な過去をヒロインに告白するという内容の。
【俺の村は聖国の外れにあったんだ。山と森に囲まれた、小さな村だった。村の全員が一丸となって生きていた、温かい場所だった。】
【子どもは俺と、他に三人しか居なくてさ。力を合わせて大人みたいに働かなくちゃいけなかった。そうしないと生きていけなかったんだ。生活はいつもギリギリで、余裕はそんなに無かったな。】
【それでも、楽しかった。楽しかったんだよ。ずっと、ずっと、大変だけど楽しい毎日が続くと思ってたんだ。】
ヘゼルは自分の手を握り締める。全部この村について話していて、その全部が過去形だ。歳を重ねているから、なんて呑気なことは思えなかった。今のヘゼルはそこまで無邪気ではない。
だからこそ思い当たる可能性に叫び出したくなる。そんなことある筈がないと愚直に信じようとして、しかし浮かんでくる不安に心が竦む。握る手はいつしか祈るように組まれていた。
ヘゼルの隣に座る男が画面と繋がるコントローラーのボタンを押した。たったそれだけで、真実は呆気なく文字になる。
【でも俺の、俺たちの村は、もう無いんだ。】
【栄国の奴らに、攻め滅ぼされたから。】
いつか見た、大粒の涙が画面に映る。よく見れば背景には夜空を焦がすような炎が描かれていた。アーモンドグリーンの髪が炎に煽られている。煤だらけの顔は悲しみに彩られ、上げている声はきっと哀哭だろうと想像がついた。
【その日は、山の神様に感謝を捧げる祭りだったんだ。俺が祭祀奉上を読み上げたんだ。その前の年も俺が読み上げてさ、去年よりもうまくやってやる、って意気込んでた。】
【ああそうそう、料理とかも豪華なんだ。みんな着飾って、家とかも飾り付けて、一年で一番盛り上がる祭り。まあそれも全部、栄国の奴らに台無しにされたんだけどな。】
【みんな壊されて、殺されて、ガキの俺だけが逃げ延びた。俺、何もできなかったよ。子どもの中では一番年上だったのに。他のやつの手を引いて、大丈夫だって、俺が守るって言ってたのに。】
【逃げてる途中に振り返ったらさ、死んでたんだ。俺は一番のチビの手だけ掴んでた。そいつの身体は遠くに転がってた。手だけって、めちゃくちゃ軽いのな。そりゃあ道理で、俺だけ走って逃げれたわけだ。】
【そうだよ、守れなかったんだ。俺の言葉なんてただのガキの背伸びだったんだ。俺だけが生き残ったんだ。俺だけが。俺だけが!】
ヘゼルは――ヘゼルは――うそだ、と、呟く。
アレンだけが生き残った。アレン以外の村人は、ヘゼルを含めた全員は、死んだ。
こんなものは違う。うそっぱちだ。あり得ない。本当のことであってはいけない。うそだ。嘘に決まっている。誰か、ちゃんと、大声で、これは嘘だと言ってくれ!
ヘゼルは髪を掻き毟り男を仰ぎ見る。男は何も言わなかった。ただただ静かに指だけを動かし、たまに送る視線には同情のようなものを含ませてヘゼルを見下ろす。
うそだと言って。と、ヘゼルは声を荒げる。この夢の中に残響が反射して頭が揺さぶられる。ぐらぐらと波打つ視界の中、それでもヘゼルは男に掴みかかった。掴んだ感触も、その温もりも、正しく夢のように曖昧だった。
あるいはそれは縋り付いたとも言えるだろう。
うそだと言って! はやく、いますぐ、これは嘘だと言って! 言ってよ! ――言うだけで、いいから!
誰よりもそれを真実と認識していながら、感情が駄々をこねて理解を拒絶した。しかし男が望み通りに嘘だと頷いたなら、ヘゼルは間髪入れずに、嘘をつくなと切り捨てただろう。理不尽だ、わかっている。これはただの癇癪だ。
我侭を押し通したくなるほど、この男を受け入れたことを後悔してしまうほど、知ってしまったものは重過ぎた。
泣き喚くヘゼルに目を伏せて、しかし淡々と男は真実を伝えてくる。画面の中のアレンは青年の姿に戻っていた。
何も考えたくない。投げ出して、逃げ出して、全部を忘れて、今まで通りに日々を過ごしたい。
しかしその日常も容易く奪われるのだと、アレンと同じ人間が言っている。
――どうしてわたしがこんな目に遭わなければならないんだ。誰か何とかして。嫌だ。こんな未来は嫌だ。わたし以外の誰かが頑張ってわたしと皆を助けて。誰か、誰か、わたし、いい子にしてるから、お願いします助けてください。
困惑もあった。パニックに陥っているのだと、頭のどこかで冷淡に判断していた。どうしたらいいのかわからず泣いて叫んで暴れて、自分も男も傷付けて、喘いで、蹲って。
それでも、長い――長い時間をかけてだが、ヘゼルは確かに顔を上げた。
誰に頼ると言うのだ。こんなこと誰も信じやしない。信じて動けるのは自分だけだ。
知らなくてはいけない。情報を集めなくてはいけない。無知の恐怖より既知の恐怖が良いと選んだのはヘゼルだ。覚悟なんて欠片も無くても、選んだ事実は変わらない。流されるままに受け入れたことだって、拒まなかったからには自分の意志と同じだ。選択肢を選んだのはヘゼルだ。――そう自分に言い聞かせて逃げ道を殺す。
このままではアレン以外、自分も皆も死ぬ。認めよう。それが恐ろしくて仕方ない。これも認めよう。
けれど動くしかない。何ができるかなんて考えるのは後回しだ。とにかく手足を、思考を、心を動かす。大きな壁に潰されないよう必死に藻掻く。そう決めよう。そう決めた。
狂ってしまいそうなほどこわくても顔を上げる。今のすべてを失うほうが、ヘゼルにはよっぽど恐ろしい。
前を見ろ。文字を読め。情報を噛み砕け。不安は抱えても吐き出すな。どんなに泣いても考えることだけはやめるな。
この男が今ここでこの場面を教えることの意味は何だ。
成長したアレンは何と言った。
寝る前に父親は何と言った。
――【俺が祭祀奉上を読み上げたんだ。その前の年も俺が読み上げてさ、去年よりもうまくやってやる、って意気込んでた。】
――【みんな壊されて、殺されて、ガキの俺だけが逃げ延びた。】
――「確か、そうだな、アレンくんが祭祀奉上を読み上げるんだったかな」
ヘゼルに与えられたタイムリミットは、一年。