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夜の森のヘゼル  作者: 文字野
一章 平民ヘゼル
4/8

4話

 

 魔術とは、その昔に神より産み出された最初の人間がその支配から逃れるために現した『可能性』のことだ。今この瞬間には有り得ないことだが、次の瞬間には有り得るかもしれない物事を発現させる方法。それは時に夢想したものを具現化し、時に物理的な存在をこの世から失わせる。


「例えばだ、ヘゼル。空腹を訴える人間が居るとしよう」


 木陰に腰を下ろしたヘゼルの耳にラザールドの低く掠れた声と風の音が聞こえる。それこそ魔術というものを使われたときより、その声は随分とおだやかに聞こえた。落ち着いた雰囲気も相俟って耳に心地良いとすら感じる。


「彼はその手に何も持っていない。だがもしかしたら一秒後の彼は、何らかの理由により一切れのパンを手に入れているかもしれない。果物を一つ手にしているかもしれない。反対に、唯一手にしているその命を失うことになるかもしれないね。いま描くその予想がどんなに馬鹿げていても、未来は誰にもわからないのだから、その可能性は決して殺しきれないだろう?」


 そういった可能性に明確な形を与えるのが魔術だ――ラザールドは静かに教授する。


「私たちの前には無限の可能性がある。色彩鮮やかな英雄譚(サーガ)のように、呪文の詠唱だとか術式だとかは必要無い。言葉にすることで形を与えやすくなることもあるけど私はあまりやらないな。ただ『思い描いたその可能性(ゆめ)を』『心の底から』『強く願う』だけで良いんだ。それだけで砂礫の如き可能性はすべて必然に変わる」


 荒唐無稽な話だ。ヘゼルは思わず眉をしかめた。願うだけ、望むだけでいいなんて、そんなに簡単ならば人間全員が魔術士とやらになれるじゃないか。

 ヘゼルの不信感を察したらしいラザールドが小さく笑った。


「納得いかないという顔をしているね、ヘゼル。とは言うものの、勿論だが魔術を使うために欠かせないもの、持っていなくてはいけないものがある。何かわかるかい? ――矛盾を信じ抜く、揺るぎない意思だ」


 何にも阻めない可能性のある(・・・・・・)矛と、何をも通さない可能性のある(・・・・・・)盾。論理的に考えれば二つを同時に成り立たせることは有り得ない。だが理屈抜きに、ただ言葉の通りに、これは何にも阻めない矛と何をも通さない盾だと徹頭徹尾信じ抜くことこそが魔術の礎だ。

 世の中には有り得ないことのほうが少ないとラザールドは言う。例えば、通常親から一色しか受け継ぐことのできない瞳の色を、二色とも持つ人間が居るように。


「藁より細く頼りない可能性でも一途に信じることができるなら、きっとそれは奇跡という名の魔術で顕現する。可能性は誰にも殺せないからね。でも普通の人間はどこかで必ず心が折れる。その点、矛盾の両立を体現した私達なら、ちょっとくらい有り得ないことでも他の人よりは受け止められるだろう?」


 まるで夢物語を聞いているようだ。ラザールドの言う『当たり前』が、しかしヘゼルには虹の橋のように思える。これなら男の記憶にあった書物のように魔力だのマナだのといったものをどうこうすると言われたほうがまだ良かった。

 信じる者は救われる。つまりラザールドの説明する魔術とはそういうことだ。胡散臭いにも程がある。


 だが現にヘゼルは、ラザールドによって自己の存在そのものを見失うような感覚を味わっている。あれを魔術だと言われたらそうかと頷くことしかできない。


「……本当に、思うだけで何でもできるんですか?」


 非常識を味わったからこそ、ヘゼルはその方法が簡単なものであることに納得がいかない。


「何でもではなく、ほぼ(・・)何でもだ。そこを思い違えてはいけない。それに、一つのことをとことん信じ抜くなんてのは存外に難しいものだよ。傍目から見たら極端な馬鹿か狂人だしね。だから魔術士ってやつはみんな姿を隠して生きているのさ。余計な干渉を受けて、自分の意思が揺らがないように」


「あなたはわたしとたくさん話してますけど、それはいいんですか」


「君も魔術士だからね。いや、君はまだ卵か。これは先行投資ということにしておこう」


 ヘゼルはいつ魔術士(の卵)に成ったのだろう。身に覚えが無い。


「あの、わたしは……」


 一方的に抱える気まずさに耐えかねたヘゼルが口を開くが、それを耳にする前に、不意にラザールドが立ち上がった。「時間切れか」と呟くのが聞こえた。突然のことに反応できず、ヘゼルは座ったまま彼を見上げる。


「長話が過ぎたようだ。名残は尽きないが、ヘゼル、良い出逢いをありがとう。――呉々(くれぐれ)も、迷い無き毎日を」


 りぃぃぃ、と。空気すら震わせず甲高く鼓膜を殴ったのは笛の音だろうか。驚いた拍子に肩を跳ねらせたヘゼルに一度微笑み、ラザールドは灰色のローブを翻す。

 ――その一瞬で、ラザールドの姿は木々を撫でる風に溶けた。


「……え?」


 目を逸らしはしなかった。まばたきもしていない。注意の比重はあの変な音に寄っていたが、それでもラザールドが動いたら流石にわかる。しかし今や目の前には誰も居ない。足音もしなかった。声だって、別れの言葉しか聞いていない。跡形も無く溶けて消えたとしか思えない。

 ではどうやってラザールドが目の前から消えたのかは、その理由を考えるなら、魔術、だとしか――。


「……まじゅつ」


 言い慣れない。違和感しかない。

 それでも不可思議な事象を目撃したのはこの短時間で二回だ。内一回は体験もした。その説得力は無視できない。どんなに信じられなくても、そうだ、受け入れることには慣れているのだから。


 魔術はある。そして先人の言を信じるなら、ヘゼルも使える。

 戸惑う。狼狽える。怖くなる。


 そして、大きな夢を描く。


 もしかして――記憶の中の男(あのひと)の人生を、意味のあるもの、価値のあるものとしてこの世界に具現できるかもしれないのか。

 誰からも賞賛され。

 寂しさと縁を切り。

 孤独による死への後押しも無く。

 多くの人間に認められること、が。


「あ、ああ……!」


 ヘゼルの身体を芯から貫いたその感情を言い表わすなら『歓喜』の一言に尽きる。ヘゼルは花開くように幸福の表情を浮かべた。


 意味があった。混合目の少女が、ヘゼル(わたし)が、(かれ)の記憶を得たことには意味があった。これはきっと使命だ。天命だ。ヘゼルが歩み触れて生きていくこれからのすべてに与えられた存在理由だ。


 喜びに突き動かされるままにヘゼルは叫んだ。大きく、大きく、まるで二人分の感情を根こそぎ吐き出すかのように。

 聞く人間が聞いたならそれは、ヘゼルと魔術とを出逢わせた、あの魔術士の慟哭にも似ていると指摘しただろう。



 アレン達三人の(もと)へ帰ったヘゼルは、真っ先に抱きついてきたニッカにひどく泣かれてしまった。土と涙でドロドロになったニッカは森の彼方此方を駆けずり回ってヘゼルを捜したらしい。それでも見つからず、一度村に戻って大人を呼ぼうかと相談していたらヘゼルがひょっこり現れた、と。

 ニッカを宥めながら、ヘゼルは内心で首を傾げた。黙って居なくなったことは申し訳無いが、そんなに遠くには行ってなかったつもりなのだけれど。これもラザールドの魔術か何かだろうか。魔術の存在を知ってからは何でも有りな気がしてきた。


「心配かけてごめんね」


「ほんとよ! 今度からはちゃんと、どこに行くか言ってからにしてよね」


 ヘゼルは曖昧に微笑んで言葉を濁した。ニッカには悪いが、言葉無き声が聞こえたのでちょっと探しに行きますなんて言えそうにない。次があっても同じように黙って抜け出すだろう。恐らく二度目は無いくらい、奇妙な出来事だったが。


「……さっさと帰るぞ。ぼやぼやしてたら日が暮れるからな」


 苦虫を噛み潰したような表情でアレンが言う。その顔はヘゼルに向けられていたが、目線は頑なに合わなかった。

 ――風に揺れるアーモンドグリーンの髪に、人形劇のようなあの映像を思い出す。


「アレン……」


 言いたいことは霞のように頼りなく、頭の中で整理しようとしてもふわふわと漂い掴めない。名前を呼んだその後に続く言葉を見つけられず、ヘゼルは結局口を閉ざした。

 あれが一体何だったのか、なんて、アレンにわかる筈がない。きっとあれはヘゼルの得た男の記憶に関係するものだ。現実味の薄い、戯画的な光景。ヘゼルでさえ理解していないものをどのように説明したらいいのだろう。ましてやその答えが第三者から返ってくるなんて思えない。


 黙り込むヘゼルに、アレンは小さく息を吐いた。


「あんまり、その……勝手なことするな。メーワクだから」


 早口で投げられた『迷惑』の響きにガツンと頭を殴られる。

 迷惑。そりゃあ心配もかけただろう。勝手なことをしたと自覚もしている。悪いとも思ってる。だから、そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃないか。迷惑、迷惑だなんて。ヘゼル(わたし)が抱えているものも知らないで!


 ――けれどそんな言葉をかけてもらえることがどんなに有り難いかを、あの(ひと)の記憶で知ったから。


「……ごめん、なさい」


 じわじわと目頭に溜まっていく液体をまばたきで必死に押し返し、ヘゼルは蚊の鳴くような声で謝罪する。ずるい、理不尽だ、そう喚いて暴れる幼い心まで抑え付けて。

 だって、一から十まで説明したって、突拍子も無いこの現実を理解してもらえるわけないじゃないか。


 何か言いたげなアレンはそれでも黙って前を歩いた。おろおろと視線を彷徨わせていたノージが慌ててそれに続く。ニッカが曇った表情のままヘゼルの手を引いた。操られるように足が前に出る。その間もずっと唇を強く噛み締めていた。溢れ出そうになる癇癪を堰き止めていた。


 ――「呉々も、迷い無き毎日を」


 始終不可解だったラザールドの言葉の意味を、ほんの少しだけ掴んだ気がした。

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