#6 紗基
まるで、さっき小屋のあった場所のようだと紗基は思った。
二人が入っていった竹林の奥深くに、そこは突然現れた。そこだけ竹が生えておらず、まるでミステリーサークルのように、茶色い地面がむき出しになっていた。
「話し合いにならないにしても――ここなら人に見つからずに荒事ができる」
ハナからやる気満々らしい。それでも話がしたいというのは、話をしたという形が欲しいか、もしくは何かしら準備をするための時間を稼ぎたいかだが……少なくとも後者は無い。逃亡の時間が必要なのだから、こんな事にできるだけ時間はかけたくない筈だ。
「そうね……けど、話し合う必要がある? 先に弓を引いたのはそっちじゃない」
「元はと言えば……提供を渋る資材管理部の方にも問題はある。裁定委員会は解創の維持と発展を名目は活動していながら、俺たちのような若い追求者には、参考資本を売らないんだ。貸与さえ渋る始末だ」
人を爆殺しようとしておいて、それを棚に上げるとはいい度胸である。紗基は不敵に微笑んだ。こんな生意気な奴なら、多少やり過ぎても個人的に後悔したりしない。
「若いも何も、追求者としてのセンスが、裁定委員会に認められなかったからでしょう? それに実績の無い人間がどれだけ信用できるっていうの? メリットが少ないんだから、貸与を渋るのは当然じゃない?」
「確かにそうだ。だがリスクを考慮しないで、この先の『解創の発達』が望めるか? 無理だ。こんな事だから追求者は衰退する一方なんだ。上宮の事件だってそうだ。この先、あんなことをやり続けていたら追求者は殲滅される」
なんだ、その押しつけがましい理屈は――紗基もあまり裁定委員会が好きではないとはいえ、ここまで自分勝手な意見を聞かされると、少々不愉快だった。
「話が逸れてるわね。参考資本は委員会のものなんだから、委員会の理屈で貸し出すのは当然でしょう?」
「確かにな。だが参考資本を独占しているのが問題だ……追求者同士の解創の交換に問題が生まれるのは昔からあったようだが……それが増えているのを知っているか? 委員会が参考資本という仕組みを導入してからだ」
もはや当てつけに等しいが、紗基はあえてそこを指摘しなかった。
「だからって、委員会の物を奪って逃げていい理由にはならない。なんでそうまで委員会に拘るのか分からないわ。委員会なんて放っておいて、好きに追求者としてやってればいいじゃない?」
追求者は諦観したように目を伏せる。
「より質の高い追求をよりよく行うためには、参考資本が必要なんだよ……ふん、やはり話し合いなど無意味だったな。所詮お前も裁定委員会の狗だ。……まったく、こんなことで実働部を動かすくらいなら、最初から参考資本を貸与していた方が、安くついただろうに。まったく馬鹿だな委員会は……」
思わず先は舌打ちしたくなるが、代わりに追求者の発言を否定する。
「私は裁定員じゃないわ」
「なに?」
追求者が反射的に言った疑問に、紗基は素直に応じてやる。
「私は人事部派遣代理課の派遣代理人よ」
お前ごときの為に、実働部は出てこない――紗基の一言は、そういう宣告に等しかった。
追求者の顔が紅潮する。よほど屈辱だっただろう。こめかみをひくつかせながら、パーカーのポケットに手を入れた。
それが開戦の合図となった。
紗基は追求者より後から動き出しながら、追求者がポケットから手を出すより早く、懐から出した一本の針を投擲する。素人の追求者とは違い、その動きは迅速かつ的確。早撃ちなら後の先を取るのは造作もない。投げられた針が命中すると『火成り』の解創が発して、刺さったパーカーが燃え上がる。
「うぉ……ッ!」
追求者がパーカーを脱ぎ捨てる。監視の解創で針の事は事前に知っていたであろうに、感情的になって見落とすとは甘い。
監視の解創は発破の解創の成果を見届けるためであり、かつ発破が失敗したときのために、暗殺する準備もしていた。自分の実力を見せつけておきながら、仕留められない可能性を考慮する抜かりなさは褒めてやるが、それ以上に、挑発で冷静さを欠くというのは致命的だ。こうして付け入られる隙になる。
敵に大きな得物は見当たらない……リスクは低いと見積もって、紗基は突貫する。右手で針を投げながら、左手はポケットから別の物を取り出していた。
折り畳まれた棒状の物体――片方の尻にあるラッチを親指で外すと、ラッチのついてない柄を親指と人差し指でつまんで、ラッチの付いたグリップと、その間に挟まっていた刃を落とす。親指と人差し指でつまんだ柄を反転させつつ、腕を振り上げてラッチの付いたグリップを跳ね上げ、人差し指から小指で掴み取る。
紗基は逆手に持ったバタフライナイフを、追求者の右肩めがけて袈裟に振り下ろす――!
瞬間、紗基は後ろに飛び退いた。
追求者の手から、小さな物体が振り投げられたのが見えたからだ――飛び退いた直後、追求者の目の前の地面で爆発が起きた。ちょうど先ほど紗基がいた場所だった。
「驚いた……」
軽口を叩きつつ、紗基は追求者の周囲を観察する。何か小さな物体が転げ落ちている。小石かと思ったが、あんな綺麗な立方体はしていない筈だ。『発破』の解創――参考資本から作り上げたのだろう。ここまで極端な小型化に成功しているということは、確かに口先だけではなく実力を持っているようだ。
紗基が驚いているのとは逆に、追求者は苦い表情を浮かべていた。紗基の得物を凝視して、大きな舌打ちをした。
紗基が持っているバタフライナイフは、一つの刀身に対して、普通のグリップの半分の幅の柄が二つ付いており、グリップに入っている溝に刃を挟み込んで収納できるフォールディングナイフの一種である。バネなどの機構を必要としない単純な機構でありながら、片手で開閉できる軽快さを併せ持つこのナイフを、紗基は念のために持ち歩いていた。
「そんな玩具だけで、よく追ってこられたな」
バタフライナイフは格闘専用のナイフを起源とするとはいえ、それ一つで追求者を仕留めようなどというのは甘い考えだと、彼は呆れているようだった。
「そりゃどうも――ッ!」
紗基は言いつつ飛び出すと、軽快なフットワークで身体を右に左に振りながら、追求者に接近する。
わずか十メートルの間の接近に、二秒足らずで紗基は六度もフェイントを仕掛ける。途中で追求者が『発破』の解創の道具を放り投げたが、宙を切って後ろで爆発を起こした。
紗基は追求者の目の前に来ると、右膝を深く曲げ腰を大きく沈めて、逆手のナイフを振り上げるようにして強襲する。
この距離まで接近を許せば、追求者が退避しても間に合わない。だが彼は逃げなかった。左手の手首のスナップだけで、隠し持っていた小さな立方体を投げつけてきた。
あと少しで届きそうだが、身体は退避を優先させる。再び爆発――爆風の煽りを受けて、小さな紗基の体躯が吹き飛ばされる。
空中で姿勢を制御して、紗基は綺麗に地面に着地する。
――逆手じゃ届かない……。
相手が何も武器を持っていないため、取っ組み合いになった場合の危険を考慮して、紗基はナイフを逆手に持っていた。順手の場合、腕を掴まれると自分に刃が向きかねないからだ。
だが相手が『発破』の解創を使って紗基と距離を取って戦う以上、取っ組み合いになったときの危険の回避よりも、『発破』の解創を成されるより先に自分の攻撃を当てる命中率を優先した方がいい。逆手の場合、順手よりも腕を伸ばした時のリーチで劣ってしまう。
紗基は指側で持っていたグリップを放りつつ腕全体を身体の前へ振り下ろしながら、中指と人差し指で柄を挟んでナイフを錐もみに半転――腕を身体の外側に持っていく力でグリップを戻して握り直し、ナイフを順手に持ち替える。
敵前で得物を持ち替えるなど好まれる行為ではない。持ち替えている隙に『発破』の解創を放り投げられれば、万一にも得物を離してしまう危険が伴う。だが紗基は考え無しにやっているわけではなかった。
バタフライナイフの刃とグリップが振り回される独特の動きは、追求者の視覚を幻惑し、持ち替える隙をつくのを遅れさせる。振り上げ、振り下ろされるグリップが残像を引く。それは紗基の技術だけではない。刃とは別に、ラッチのついているグリップには『幻像』の解創が施されている。
幻像の解創が空中に像を作り出し、幻惑して躊躇させる。さらに紗基は、あえて手首だけでなく、腕全体を使った大きな動作によって『幻像』の解創を十二分に引き出していた。
かくして追求者は、目の前で得物を持ち替えるという千載一遇の攻撃の機会を、幻像によって見失い、順手に対応した次手を講じざるを得なくなる。
だが、そんな時間を与える紗基ではない。
右膝を思いきり曲げると、身体を斜めにして後ろの地面に向かって蹴りつけた。靴の裏に隠されていた『跳躍』の解創が成されて、紗基の矮躯は勢いよく飛び出した。
追求者が『発破』を放り投げるより先んじて、紗基は右下から左腕を振り上げた――追求者は身体を捻って避けるも、逃げ遅れた右腕を刃が擦過する。
刃から滴る血が軌跡を描く――死に体の追求者の腹を紗基は一文字に切りつけると、未練を残さず後ろに飛び退いた――瞬間、『発破』の解創の道具が放られて爆発する。
「うぐっ……!」
追求者が左腕で腹を押さえて背を丸める。蹲らないのは、傷が浅いからだろう。刃先の一センチから二センチくらいしか入っていない。内臓は愚か、骨にすら届いていない筈だ。
距離を放したままだと『発破』の解創の投擲の餌食だ。だが近距離を保てば、いくら得物があっても体格で負ける自分が不利だ。ならばヒット&アウェイを繰り返す一撃離脱戦法こそが、紗基の唯一の活路だった。
腹を切りつけた時、あえて致命傷を狙わず浅くしたのもそのためだ。いくら『斬撃』の解創を宿した刃とはいえ、相手が防御の解創の道具を仕込んでいれば刃が止まる。取っ組み合いになっては押し倒されて一気に不利になってしまう。
腹をかばって片手が鈍っている今がチャンスだ――紗基は再び距離を縮めて、左のナイフを眼球めがけて突き入れる。
眼前に迫るナイフを追求者はかがんで回避するも、構わず紗基は振り下ろして追撃を狙う。
その瞬間、追求者の右手がぬるりと動き、紗基の左手首をつかみ取った。
「――ッ!」
しまったと紗基が動揺した時、会心の表情を浮かべた追求者は空いていた左手でナイフを奪おうと手を伸ばす。
どうするべきか――紗基は迷わなかった。
バタフライナイフ特有の機構を使わずとも、ナイフを反転させて順手から逆手に戻す事くらい造作もない。
手首の力で、追求者の親指と人差し指の付け根に振り下ろすと、肉に刺さり、反射的に追求者が手を引いたことで肉が抉れ、その不気味な感触が伝わった。
回避が間に合うのを承知で、紗基は逆手のナイフを、そのまま右から首に突き入れる――追求者が反射で首をのけぞらせる――伸ばしかけていた左の手のひらを切り裂いた。
後ろに重心が下がっている今なら追い打ちをかけても良かったが、紗基は慎重に事を運ぶべく、バックステップを刻みつつ、左手首を振り回しつつ、ナイフを逆手から順手に持ち直す。
「くっそ……!」
追求者が毒づきながらも、距離を取ろうと逃げ腰になっているのを見て取ると、紗基は急に姿勢を前方に変えて、再び飛び出した。
左手で横に大きく薙ぎ払うが、追求者は間一髪に避けてみせた。その瞬間、追求者は苦し紛れに左手をポケットに入れた。
その意図を理解した紗基は、振り抜いた左手を背中に回すと――後ろに下がりつつ、右手で順手逆向きにナイフを受け取って、そのまま下から上に振り上げた。同時に追求者の左手がポケットから出る。
本来、峰がある方から迫った刃は、『発破』を投げようとしていた追求者の左腕の裏にある腱を切断した。
二人の間で、爆発が起きた。
紗基は後ろに下がりつつ、煙の向こうを凝視する。自分の『発破』の爆炎をもろに受けたらしく、追求者は地面に伏せて倒れていた。
「最後が自爆とはね……まったく、手間かけてくれたわね……」
呟きながら、紗基はナイフを逆手に持ち直しつつ、追求者に無造作に歩み寄る――フリをした。
紗基が追求者からあと二メートルというところで、倒れていた追求者が身体を起しながら腕を放った。
その手から、一辺二センチほどの立方体の鋼色物体が、十も二十もバラ撒かれる――!
さすがにこの数は予想外だった。紗基は瞠目しながら右足を大きく上げて、足の裏を宙にある物体に向けた。
直後――爆轟が音も空気も全てを吹き飛ばした。
今までとは比較にならない大爆発は、熱波によって周囲の空気を蹂躙して吹き飛ばす。もろに爆発をもろに食らう位置にいながらも――紗基は爆発を踏んで『跳躍』の解創を成し、爆風の勢いに先んじた速度で被害から逃れていた。
黒煙の向こうの追求者が、自分よりも先に体勢を立て直しているとは思えない――今の一撃で勝利を確信しているはずだ。
懐に手を伸ばして針を斜め上に放り投げると、紗基は煙に向かって、極端に低い姿勢で突撃した。
黒い煙が視界を覆う――晴れた向こうに、追求者はいた。落下してくる『火成り』の針に警戒し、顔を上に向けていた。
気配に気づき、こちらを向いた時にはもう遅い。紗基は逆手のナイフ逆向きにすると、大腿に斜め深くに突き刺して、そのまま下に引き裂いた。
どっと倒れる追求者。その姿を、紗基は黙って見下ろした。もはや逃げることもままならないだろう。出血のせいか動きも鈍い。
殺す気も助ける気もない紗基は、とりあえず離れると携帯電話を取り出した。