#5 紗基
次のバスに合流するため、紗基は走り続けていた。
周囲に、使えそうなものが無いか探していると、田んぼと田んぼの間の、アスファルトの小道を走る軽トラックを見つけた。人なんていないのに、まるで年寄りのようにのろのろと走っている。
紗基は軽トラックに駆け寄って運転席を目視する。座っているのは、人の良さそうなおじいさんだった。
悪童じみた奸智が働く――この爺さんなら騙せられそうだ。
車道に出て両手を振ると、軽トラックは停まった。
「どうしたんかね?」
運転席から身を乗り出して、爺さんが声を張り上げる。紗基は車に駆け寄ると、アイドリング中のエンジン音に負けないように声を上げる。
「すみません! 次のバス停まで乗せてってくれませんか!?」
「どうしたんか? バスに乗り遅れたんか?」
「そんなとこです……お願いします」
紗基は殊勝に頭を下げる。生真面目な態度の若者に甘いようで、老人は紗基の態度に、すっかり気をよくしたらしい。「乗りんさい」と言って助手席を開けた。紗基はもう一度「ありがとうございます」と言って、助手席に座り、扉を閉める。
「走ってきたんか?」
「ええ……間に合わなくて……」
「そうかそうか。急がんにゃなぁ……」
老人がしゃがれた声で呟くと、軽トラックは呼応するように急発進した。こんなに深くアクセルを踏みしめられるとは、正直意外だ。道具は持ち主に似るというが、枯れ木のように頼りない四肢の爺さんとは、似ても似つかない四駆は力強い走りで風を切り開き、上り坂でも構わず駆け抜ける。
しばらく走っていると、前方にバスが見えた。ヤツが逃げているとしたら、あれに乗っているに違いない。
さらに少し走っていると、道の左脇にバス停が見えた。近くには人影がある。バスが停車したので、軽トラも止まった。
「ここでええか?」
老人が訊くが早いか、紗基はすでにシートベルトを外して、助手席のドアに手をかけていた。跳ぶようにして助手席から出ると、紗基は頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「気を付けてのぉ」
「はい!」
ドアを勢いよく閉めて、バス停に駆け寄る。まだ老婆がステップを踏んでいる途中だった。紗基も後ろに続いて、機械から乗車券を取る。
バスの中はクーラーが効いていた。走って汗をかいていたし、軽トラの中はクーラーが効いていなかったので、冷涼な空気が涼しく、火照った体を表面から冷ましてくれて、心地いい。
――この中にいる筈……。
人数は、今しがた入った老婆を入れて五人。今乗った老婆と、二十代くらいのカップルが二人、それから大学生くらいの男が一人と、中年の男性が一人である。
――この中から特定しないといけないし……さらに問題が一つ……。
追求者は、次のバス停で降りるかもしれないし、下りないかもしれない。次の次のバス停でも同じだ。
――さて、どうするか……。
紗基は知恵を絞りだす。
追求者は監視の解創で小屋の様子を見ていたのだから、こちらの容貌を知っているはずだ。中里里子に顔写真を送ってもらう手もあるが、向こうがどの程度、こちらを監視できているか分からない。逃走用のバスの中で監視の解創を準備しているとは限らないが、準備されていれば「貸与時に控えていた顔写真があれば送れ」といったメールを見られる可能性がある。もし次のバス停までにメールが返って来なくて追求者がバスを下りたら、見逃してしまうことになる。
どのタイミングで下りるかだけでも分かればいいが、それが分からない以上は動きようがない。
――分からないなら、操作するまで……か。
次のバス停はどこだ? 紗基は携帯を取り出して、先ほど撮影しておいた路線図の写真を呼び出す。現在のバス停から推測すると、次のバス停は『柴山』で、最後のバス停は『大賀峰』だった。それだけ確認すると、次は通話で呼び出しをかけるフリをする。
「もしもし? 私。今どこ?」
バスの中ということもあって、周囲の人間が嫌な顔をする。「最近の若い者は」というような視線が突き刺さるが気にしない。
「ええ、そう……そう……」
我ながら滑稽な一人芝居だったが、これも追求者は耳をそばだてて聞いていることだろう。
「ええ……大賀峰までに私に追いつきそう? 皆でやれば、小屋に戻ってくる間に、どっかで見つかるだろうし……ええ……じゃあ」
そういって、紗基は携帯をポケットにしまう。
周りの人間からしたら、さして気に留めることでもない内容――何か忘れたか、落としたかして、それを探そうとしているようにしか聞こえない。間違ってはいない……物か人かというだけの違いだ。
次の柴山に着く前に、大学生くらいの男がボタンを押した。
柴山のバス停でバスが止まると、男がバスを降りた。バスが発信する前に、紗基も駆け足で続いて下りる。
バス停に降り立った紗基は、先に下りた大学生くらいの男の背中に声を掛ける。
「どうも……追求者さん」
呼びかけられて、男――追求者は振り返った。
「……は?」
やはりこの男が追求者だったらしい。紗基はネタ晴らしとばかりに肩をすくめて、さきほど射止めた矢の断片を見せる。一般人なら、それが意味するところは分からないだろう。だがそれを見た男の表情が強張ったことで、紗基は確信を得た。
「あの電話、ハッタリよ。バスの中を裁定員で囲まれたら、その場で動かなくったって多人数で追跡されてしまう……なら、ここで下車するしかないものね」
追求者は、監視の解創で紗基の容貌を知っていた。だがバスに乗ってきた紗基が自分の事を知らないと見ると一安心したが、紗基が電話で応援を呼ぶと知ってからは、すぐに下りる必要に駆られた。出来るだけ早く下りれば、最後のバス停から降りたバス停にまでに辿り着く時間が稼げるし、それまでに包囲網を突破できるかもしれない。
そういう安直な発想をすると信じて、紗基はハッタリをかましたのだ。
「やってくれたな……」
追求者の男は、苦々しくごちる。
「場所を変えない? 逃げてもいいけど、その場合は……」
紗基は携帯電話を取り出す。
あえてこの状況で連絡を取らないことで、紗基は駆け引きに持ち込んだ。こちらとしては追求者を仕留めるために、周囲に影響を及ぼさずに秘密裏に処理出来た方が都合がいいので、場所を変えてたいところだが、だが追求者がそれに従ってくれるわけがない。むしろその都合をついて、人の多いところに逃げて振り切ろうとしてくるだろう。
だが、ここで紗基の要求を一つ飲んで場所を変えることで、紗基からの連絡を立てるならメリットは大きい。
「分かった、そうしよう」
案の定、追求者は条件を呑むと、バス停のすぐそばにあった竹林の中に入っていく。紗基にもそれについていった。