異世界は甘くない
新生活開始ですね。
いやぁー、話が思った通りに進みませんでしたね。
私は遠い日の夢を見ていた…そう、幼い日の私の夢。
早くに病で父を亡くし、母と子の二人でのアパート住まいだった。あの頃の私はいつも泣いてばかりで、学校から帰って来ては泣いて、転んでは泣いて、何も泣くても泣いていた。
そんな私を見兼ねた母は作ってくれたのが、アップルパイ。
私は、何故かアップルパイを出されると途端に涙が止まるのだそうだ。
アップルパイを食べた時の私の花が咲いたような笑顔が好きだと母は言っていた。それからも母は仕事が忙しくても、必ず私のために色んなお菓子を作ってくれた。
私が無理して、作らなくてもいいと言っても。
クッキー、ロールケーキ、プリン、ショートケーキ、etc…
とにかく、母は作れるお菓子は何でも作った。
ただ私の喜んだ顔が見たくて…
「お菓子は笑顔をくれる小さな幸せなのよ。」
これが母の口癖だった。そんな生活が小学校、中学校と続き…
私が高校に入る頃、母はこの世を去った。
仕事帰りの途中でスーパーに寄っていたらしく、その帰りに脇見運転していた乗用車に運悪く轢かれたのだ。
母の持っていたスーパーの袋には、ホットケーキミックスと牛乳、それから、メープルシロップが入っていたらしい。
「帰ってきたら、今日はホットケーキを作るからね。」
そう言って、私に笑いかけて仕事に行った母…それが私と母の最後の言葉だった。
母が亡くなった知らせを聞いた私は、その場で泣き崩れた。私は母がお菓子を作るようなってから、泣く事がなかったのだが、その日、私の涙腺は崩壊した。泣いて、泣いて、みっともなく泣き喚いて、涙が出なくなっても泣き喚いた…。
声も枯れ、目が真っ赤に腫れた私の目にふいに机のある物が目に入った。
母が買い溜めしてくれたお菓子の山だ。
私は、そのお菓子に吸い寄せられるように近き、その中の昔懐かしいドロップ缶を手に取り、その中からドロップを一つ取り出す。そして、口にドロップを投げ入れる。口に広がる素朴な甘さ…心が少し、温かくなったような気がした。
(お菓子は笑顔をくれる小さな幸せなのよ。)
母のいつも言ってた、口癖を思い出す。
まだ心が痛いけど、母が教えてくれた幸せを感じながら、
「…美味しい。」
私は小さく、そう呟いた。
それから、私は親戚に家に預けられ、肩身の狭い思いをするのだが。
心が傷ついた日はコンビニで買ったドロップやキャラメルを食べたら、不思議と癒された。
そうやって、高校、大学を卒業し、一般企業に就職して一人暮らしをするのだが…
(何だかなぁ…)
自分の人生の終わりが母と同じ交通事故っていうのは…何の、因果かな。
そんな事を思っていると、シャーというカーテンの開けるような音が聞こえた。
すると、途端に視界が眩しくなり、私は目を開けた。
「あれ…」
「あらあら、起こしてしまいましたわね。」
「…ここは」
私の目に映ったのは、赤いドレスを身に纏った白と黒の髪が入り混じる不思議な女性だった。
女性は私を見ると小さく微笑んだ。
見渡してみると見慣れない調度品や家具なんかも置いてある。
調度品は高価な物なのか、やたらとピカピカとしているが、どうやら病院ではないようだ。
「今、お父様にお伝えしてきますわね。」
そう言うと彼女は部屋を出て行く。
私は状況を整理するために私はもう一度、辺りを見渡す。
ドレッサーにタンス、家具、自分が寝ていたベッドに至るまで、高級感漂う家具が配置されていた。
試しに私は布団に触れてみる。
滑らかな手触り、軽く手で押すと包み込まれるような柔らかさにうっとりする。
(なにこれ、気持ちいい!!)
高級羽毛布団に引けを取らないであろう、ふわふわ感だ。
そして、ベッドで夢中になって布団をもふもふしていると、私は不意に足元に何か感触があるのに気づく。
(何だろう…?)
おそるおそる、布団をどけてみるとそこには…
犬耳を付けた白銀の髪の少年が丸まったように寝ていました。
裸の…
「ぎゃあああああああ!!」
「ん、うるさいなぁ…少し、静かにしろ…。」
「な、ななな、何で!!」
少年は眠気が削がれたのか、少し目をしょぼしょぼさせながら、そのまま伸びをして私に目を向ける。すると、八重歯を覗かせながら、私に笑いかけ…
「おっ!お前、気づいたんだな!!」
なんて笑顔で言ってくるが、私にそれに答える余裕は無い。
目の前にいる少年…推定でも中学生位のその少年は裸体なのだ。
三十路になってまで、男の裸なんて見る機会が無かったっていうのも可笑しいかも知れないけれど、私にはそういった免疫は全く無いのだ。そう、例え中学生位の男子でも赤面は必至だ。
そんな私の気持ちなど知らない少年は、まるで私が起きたことが嬉しいのか左右に尻尾を振っていた。それに連動するように、犬耳もぴくぴく動く。
それが、私を更に混乱させる。
(えっ、付け耳じゃない!!)
そんな事を私が思っていると先程、出て行った女性が部屋に戻ってきた。
女性は部屋に入るとベッドの私と裸の少年に目を向ける。
そして、一瞬動きが止まったかと思うと、ズカズカとベッドにいた少年に近づき、片手で少年の首根っこを掴んでベッドから放り投げた。少年は空中に放り出されるも空中で体制を立て直し、難なく着地する。
「何すんだ、ヘル!!」
「何すんだじゃありませんわよ!探しても何処にも居ないから、心配してみれば乙女の寝床に裸体で侵入してるだなんてどういうおつもりですか!!」
「いや、だって、こいつが丁度いい感じで温かったから…つい」
「つい、ですって…?」
女性の綺麗な顔立ちから、得体の知れない殺気が漏れている。
白髪と黒髪から覗く、切れ長の瞳が少年を鋭く捉えるが、私が見ている事に気がついたのか、顔を少し赤らめながら、コホンと一つ咳をこむ。
「取り敢えず、兄さんは早く服を来て下さい…。話は、それからですわ。」
「えぇー、でも俺、服着るの嫌い…」
「問答無用ですわ。ヨルムンガンド、いらっしゃい!!」
ヘルと呼ばれる女性がそう呼ぶとフードを被った長身の男が現れた。
顔がフードを被って、良く見えないが、身長が2m以上あるのか、途轍もなく大きい。ヨルムンガンドと呼ばれた、男性は一瞬、私の方を向くが直ぐに彼女へと視線を戻した。
「…何、姉さん?」
「この露出狂に服を着せてきて下さい、今すぐにですわ!!」
物静かに分かったと呟くと少年を引きずるように長身の男は連れて行った。
二人がいなくなった後、彼女はふっとため息を漏らし、私に視線を向けた。
「はぁ…ごめんなさいね、騒々しくて。ベッドにいきなり、あの馬鹿お兄様がいたからさぞ驚いたでしょう?」
「えっと…ベッドにいた子って、あなたのお兄さんなんですか…?」
「えぇ、紛れもなく…。」
認めたくないけどと付け加えるヘルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
ヘルと呼ばれていた彼女言わく、犬耳少年は兄なのだという。外見的に彼女の方が年上に見えるのだが…
場も一旦、落ち着いたので私は彼女に訪ねてみた。
「あ、あの…ここって何処ですか?」
自分が置かれている状況もどこにいるのかさえ、まだ分からない私は彼女に尋ねてみる。現状、どうやら、生きていることだけは分かるのだけれど…
私がそう言うと、彼女は言いづらそうに控えめに口を開いた。
「…心して聞いて下さいまし。」
彼女は真剣な眼差しで私を見つめる。
私は、ごくりと生唾を飲み込むと彼女が言葉を続けた。
「今、貴方がいるのは、貴方が元いた世界ではなく…別の、異世界なのですわ。」
「…はい?」
彼女はとんでもない事を言い出した。
(いせかい…いせかいってあの異世界!!)
私はパニックを起こしそうになるが、彼女は私に言葉を続ける。
なんと、彼女は私がいるここは異世界だと言ったのだ。
どういう事なのか尋ねようとした時、彼女はさらに話を続けた。
「…さらに、驚かないで見てほしいのだけれど」
そういうと彼女は、手鏡を私に渡し、自分の姿を確認するよう促した。
その手鏡で自分を映した私は、ある違和感を覚えた。
自分の顔が、何だかとても幼く見えたからだ。
(あれ私って、こんなに童顔だったかな…)
そう思い、自分の顔をまじまじと見つめ、違和感の正体にたどり着く。
(これって小学生の頃の私じゃない…?)
その時、自分の家にある小学校高学年の時の自分の写真と鏡に映った自分の顔が頭の中でリンクした。
はっとして、私は自分の身体の異変にようやく気がついた。
手も、足も、胸も、身長に至るまで何もかもが縮んでいた。
そう、縮んでいたのだ。
「か、身体が縮んでいるぅぅぅ!!」
「お、落ち着いてくださいまし!!」
そう言いながら、宥める彼女だが、落ち着けるはずが無い。
ここは異世界と言われ、さらには自分の身体が縮んだのだ。落ち着けと言われて、落ち着ける方がどうかしてる。
まるで、夢のような出来事に私は一つの結論を出した。
(そうか、これは夢なのね!!)
夢だったら、説明が付くと思い、定番の頬を抓る行動に出るも、夢から覚めず、残ったのは頬の痛みだけだった。
(頬がとても痛い!)
つまり、夢ではないようだ。
「念のために言っておきますと、その…夢ではありませんよ?」
彼女も追い打ちをかけて私に現実を突きつけてきた。
そして、彼女は次に私に窓の外を見るように促した。
私はベッドから降りるといつもより目線が低く、その事にさらに軽くショックを受けながらも、窓へと歩みを進めた。窓は私が覗くにはぎりぎりの高さにあったのだが、何とか、背伸びをして外を覗いてみた。
すると、そこには見慣れな森が一面に広がっていて、飛び交う鳥らしい何かや、獣らしい何か、自分が今まで知っていた常識外の生き物が森の外でうようよしていた。見慣れない異常な風景に後退りながら、ここが異世界である事を認識した。
「な、何よこれ…。」
どうなっているのと続けようとした時、女性は静かに私の頭を撫でた。
私を安心させるようとする優しい撫で方だ。
少し、落ち着いた…
「そう言えば、自己紹介がまだでしたわね。」
思い出したようにそう口にする彼女は、私を見つめながら、にこっと笑う。何ていうか、顔立ちは美人なのに笑い方は、少し幼く、可愛いと感じる笑顔だ。
「私の名前は、ヘルですわ。」
「わ、私は…七草恵里菜です。」
「そう、恵里菜ね…うん、覚えたましたわ。」
そう言いながら、私の名前を繰り返し呟くヘルは何だか上機嫌だった。
そして、ヘルは言葉を続ける。
「恵里菜、貴女にお父様を紹介したいのだけれど…ついて来てくれるかしら?」
「…お父様?」
そう言いながら、ヘルさんに連れられ、部屋を出る。
そして、赤い絨毯がひいてある長い廊下を抜け、連れて来られてのが煌びやかな調度品で飾られた大広間だった。部屋の質なんかを見る限り、立派な家なのだと思ったのだけど、どうやら立派なお屋敷らしい。
そして、大広間に有るソファーにその人達はいた。
さっきのフードを深く被ったヨルムンガンドと呼ばれた長身の男。
犬耳と尻尾をぱたぱたと動かす先程まで、全裸だった少年。
そして、ソファーに腰掛けながら、私を見据える紫と橙の瞳をした不思議な雰囲気の小学校低学年くらいの背丈の少年がそこにはいた。
ヘルさんは、一歩出ると紹介を始める。
「恵里菜、紹介しますわ。私の兄弟の長男のフェンリル。私の弟で次男のヨルムンガンド。そして、真ん中にお座りになられているのは、私達のお父様にして善悪と悪戯を司る神、悪童神ロキ様ですわ。」
一人一人、紹介してくれるヘルさんだったのだが、私はふっとある言葉が気にかかった。
二色の眼の少年を指してお父様、しかも、その少年が神だと、紹介したのだ。
(えっ、神ってあの神様ですか!!)
「言い忘れていましたが、実は私も神なのですわ。」
そして、付け加えるように自分も神だということをヘルさんは私に伝える。
神様、仏様、お釈迦様、GOD、etc…
自分の脳内検索ワードにヒットした類似ワードを並べてみる。
何かの冗談かと思い、ヘルさんを見るが、にこりと微笑み頷く。
どうやら、本物の神様らしい…
私が驚きのあまり、放心状態になっているとそのロキと呼ばれる神はクスッと笑い、続けて私に語りかけてきた。
「どうやら、無事完治したようだね。」
「…えっ?」
「怪我だよ、怪我。自分の事なのに忘れてしまったのかい?」
その言葉でトラックに轢かれた時の怪我の事を言ってるのだと分かった。
「…あ、貴方様が直してくれたんですか?」
「ふふ、ロキと呼んでくれていいよ。」
神様と呼ばれるその少年は、そう言うと微笑みを浮かべた。
神様を名前で呼んでもいいものかと考えなくも無いのだが、本人が言うのだから、取り敢えずはいいのだろう。
私は、軽く頷くとロキは言葉を続けた。
「まずは僕の息子を助けてくれて、有難う。」
「む、息子…?」
「そう息子だ…。」
神様の息子なんて、助けた覚えがないのだが…
私が身に覚えが無い事をいわれ、困惑していると、ヘルさんが説明してくれた。
「フェンリルお兄様の事ですわ、何でもトラックに轢かれそうになっているところを身を犠牲にして庇ってくれたのだと、聞き及んでいますわ。」
フェンリルお兄様、トラック…?
私はそのフェンリルという犬耳の少年を注意深く見た。
白銀の髪、犬の耳と尻尾…
まさか…!!
「あんた、まさかあの時のマカロン泥棒!!」
私は声を高々にそう言うと、フェンリルと呼ばれた少年はばつが悪そうにそっぽを向いた。どうやら、あの時の犬はこの犬耳少年らしい。
「まったく…あの時は、本当に驚きましたわ。全然、音沙汰がなかったお兄様が、ようやく帰ってきたと思いましたら、血まみれの貴女を連れ、来て早々貴女を助けてやってほしいなんて言うんですもの、何事かと思いましたわ。」
「仕方ねぇだろが、他に方法が思いつかなかったんだからよ!!」
フェンリルがそう言うとむすっとしながら、ヘルさんに抗議した。
ロキはそんな二人を余所に私に話を続けた。
「まぁ、そんな訳でフェンリルがこっちにお前を連れてきた時、お前は既に虫の息だったのでね。君を蘇生するために僕の血を使わせてもらった。」
「えっ、血!!」
血を飲ませたという不穏な響きに私は思わず、ぎょっとして自分の喉を抑えた。
「そう、血だよ…神の血は例外はあるけど治癒能力を向上させる作用があってね、お前に僕の血を一滴飲ませる事で怪我を完治するに至った訳なんだけど、その代償としてお前の年齢が著しく後退する事になってしまったんだ。助けるためには仕方がない事だったけれど、とても驚いたんじゃないか?」
そりゃ、驚きもするだろう…
現時点でも、未だ自分の身体の変化に戸惑っているのだ。
元の世界に戻ったら、どうやって生活すればいいのだろう。
「なあに、飲ませたのはたかが血一滴だ。ここで暮らして、また年を徐々に重ねていけばいいよ。」
ロキは聞き捨てならない事を口にした。
えっ、ここで暮らす?
「ちょ、ちょっと待って下さい!こ、ここで暮らすってどういう事ですか!!」
「ん、そのまんまの意味だけど…何か、不都合でもあるのかな?」
「当たり前でしょ!!いきなり、知らない世界に連れて来られて目が覚めたら、子供になって挙句にここで暮らすですって、冗談じゃないわよ!!」
「お前は、元いた世界に帰りたいのかい…?」
「当前でしょ!!」
そう聞くとロキはうーんと唸りながら、困った顔した。
「でも…恐らく…無理…君…返せない」
そう言ったのは今まで黙っていた長身の男ヨルムンガンドだった。
何でと私が息を荒げながら、長身の男ヨルムンガンドに詰め寄る。
「君…父さんの血…飲んだ…君の中…膨大な魔力…」
「膨大な魔力…何の事よ、それ?」
「ヨルムンガンドの言う通りですわ、神の血を飲んだ貴方の身体には恐らく膨大な魔力が宿ってしまった。それは向こうの世界には存在しえない、この世界だけのモノですわ。強大な魔力を持ってしまったからには、世界樹が貴方を見逃すはずがありませんわ。」
「世界樹…何よ、それ。そんなの私には関係無い!私は、帰るの!!帰らなきゃいけない…」
「ごちゃごちゃ、うるせえ!!!」
私の言葉を遮ったのは、私をここに連れてきた元凶のフェンリルだった。
私は、堪えきれなくなってフェンリルに掴みかかった。
「何よ!!元は言えば、あんたが悪いんじゃない!!あんたが私の物を盗んだから…!!あんたが私をここに連れて来なかったら!!」
フェンリルはただ黙って私の罵声を浴びていた。その顔には、申し訳ないと思っているのか、後悔の念が窺えた。
フェンリルに掴み掛り責め立てる私を見て、ロキはため息を吐きながら静かに口を開いた。
「確かに今のお前の現状を引き起こしたのは、フェンリルだよ。それは、責められるべき事かも知れない。それでも…フェンリルが轢かれそうになった時、君が助けなかったら、僕達は家族と再開する事も叶わなかっただろうね…。異世界での我々の神の力は世界樹によって制限されているから、神の力を持つ者でもただでは済まない。」
静かに、ロキは私にそう伝えるとヘルが続けた。
「貴女が言うように落ち度が有ったのはお兄様かもしれませんわ。貴女の不安や怒りも、もっともですわ。それでも、私は貴女には感謝していますの…。我々は、もう長い間、お兄様と会えずにいたから…」
「長い間…?」
「そう、長い間ですわ。」
フェンリルの服を掴む私の手をぎゅっと握り締めながら、ヘルは頷く。
「昔に少し、色々あってね。それで、家族が散り散りになってしまった時があったんだよ。ヨル、それにヘルは直ぐに再開出来たけど…フェンリルは戻って来なかった。それから、幾千年の日々、僕等は待っていた。フェンリルが帰ってくるのを…ね。そう言う意味でもフェンリルが帰って来る切っ掛けを作ってくれた君には感謝しているんだよ。例え、それがお前の人生を変えてしまう結果になったとしても。」
私はフェンリルから手を放し、そのまま、力無くその場に座り込む。そう言われて、私はどう反応すればいいのか、分からなくなってしまったのだ。
そんな私の前にロキが近づいて、私の前でしゃがみ込んだ。
紫と橙の二色の眼でじっと見つめながら、神は私に語りかけてきた。
「お前には家族はいるかい…?」
「…もう、いないわ。」
「向こうには大事な物はあるかい…?」
大事な物。
そう聞かれて、私は悩んだ。
友人や親戚とは最低限の付き合いしかしてない、これといった趣味も私には無い。
だが唯一、私が執着してる物があった。
それは…
「…お菓子。」
そうだ、私が向こうに帰りたいと思うのも、生きたいと願ったのもお菓子のためなのだ。
「お菓子?」
「私は、お菓子があればいい…。」
そう言うと、ロキは私の前に見覚えのある包みを出した。
そう、私が買ったマカロンの包みだ。
「それ…」
「フェンリルが咥えていてね。お前の大切な物なんだろう?僕もお菓子は大好きだ。」
それを私に渡すとロキはこう続けた。
「ねぇ、お前は家族がいないと言ったね。なら、どうだろう?」
「えっ?」
「僕達と家族にならないかい?」
「か、家族…?」
家族という言葉に私は動揺する。
真面目に事の次第を見守るロキの子供達もロキの言葉に動揺している。
「残念ながら、お前を元にいる世界に帰す事は出来ない。だから、僕等がお前の家族になってお前がここで生きていく手助けをしてあげよう。」
「そ、そんな、急に家族だなんて言われても…!第一血の繋がって無い人と…しかも、神様と家族なんてなれっこない!!」
「あはは、血の繋がりならもうあるじゃないか…お前は、僕の血を飲んだのだから…」
そう言うとロキは子供のように悪戯に笑いながら、私に語りかける。
その姿はまるで名案を思いついてはしゃぐ外見通り子供そのものだったのだが…
「そ、そういう事を私は言ってるんじゃない!!」
私の言葉を聞かずにロキは今度は自分の子供達に尋ねた。
「皆はどうだろう、僕はこの子を家族の一員に加えようと思うんだけど…」
「私は、賛成ですわ!」
即答したのはヘルだった。
「私、昔からずっと可愛い妹が欲しかったんですもの…大賛成ですわ!!」
「僕も…構わない…血分けたなら…家族…当然。」
「…ふん。」
ヘルに続いて、ヨルムンガンドも自分の考えを口にする。フェンリルだけは、鼻を鳴らすだけなのだが、反対はしなかった。
何故だろう、急激に動き始める話に、当事者であるはずの私は乗り遅れていた。
(えっ、家族?それってもう決定事項なの?)
そんな事を考えていると横にいたロキは私の口に何かを突っ込んだ。
私はいきなり入れられた何かを吐き出そうするとロキは笑いながら、また押し込んでくる。
(ちょ、ちょっと苦しいんだけど!!)
「んん!んんんんん!!」
「大丈夫だよ!危ない物じゃない、ただのお菓子だよ。」
お菓子と聞くと私はそれを恐る恐る噛み砕く、すると今までに味わった事がないような爽やかで香ばしい風味が口中に広がった。
(お、美味しい…!)
「気に入ったみたいだね。それは《泡実》と呼ばれるこの世界にしかないお菓子だよ。」
私が不思議な味のお菓子に衝撃を受けてる横でロキは嬉しそうに説明した。
この世界にしかないお菓子という単語に私は強い関心を抱く。
それを感じたのかロキはさらに私を誘惑した。
「この世界に居れば、お前はお前の世界では味わえなかった新しいお菓子との出会いもあるだろう。」
とんでもない甘い誘惑だ。
さっきまでの帰る気持ちや彼らの言う家族がどうのは、既に私の頭から消えていた。
お菓子を食べる事が私の幸せであり、新しいお菓子との出会いは私の人生そのものなのだ。
私は、私の中の天秤が大きく傾いていくのを感じた。
ロキはそんな私を見て、にやりと笑いながら手を差し出す。
「お前が僕等と居れば、この世界のお菓子を食べる機会も増えると思うのだけれど…どうかな?」
止めの一言だった。
私はおそるおそる手を伸ばし、ロキの手を握り締める。
その瞬間、ロキはにやりと勝ち誇ったように、黒い笑みを浮かべながら宣言した。
「これで、君は僕等の家族だ!!」
何故だろう…
今、私は敗北感に包まれていた。
だが、これも全ては新しいまだ見ぬお菓子との出会いのためなのだ。
いや、でも!!
複雑な顔を浮かべながら悶々とする私を他所にロキはふっとある事に気づく。
「そういえば、お前の名前を聞いていなかったね。お前の名前は…?」
私の代わりに微笑みを浮かべながら、ヘルが答えた。
「彼女の名前は恵里菜、七草恵里菜だそうですわ。」
「なるほど、七草恵里菜ねぇー。だったら、これからは君の新しい名前としてエリーと名付けようかな。」
そして、知らない間に私の名前の改名作業が進められていた。
何てことだ…
「あら、可愛らしくていいですわね。」
「あの…私の名前を勝手に…」
講義をしようとした私の声を遮るように悪童神は声高々に私に告げる。
「お前は、今日からエリーだ!!」
「えっ、あ、あの…」
「改めて宜しくお願いしますわ、エリーちゃん。私の事はお姉ちゃんって呼んでもいいですわよ。」
「いや、だから…」
「よろしく…僕の事は…お兄ちゃん‥って呼んで…いいよ」
「…ふん」
私の声は届かないまま、私はただ流されるのだけれど、どうやら、私はこの世界で生きていくことになったようだ。
謎めいた異世界に連れて来られての子供からのリスタートだけれど…
どうやら、この異世界には私がまだ見ぬお菓子があるようだ。
それなら、私は生きていける。
現実には、有り得ないと思っていた事が自分の身に起きるなんて、少し前の私なら想像も出来なかっただろうけど、幸運なのか新しい家族?も成り行きで出来たし、取り敢えずは頑張るしかないのだろう。
そんな事を思いながら、私は新しい家族にぎこちなく笑いかけた。
すると、彼らも私に微笑み返してくれた。
まったく、現実は甘くない。
次回の投稿は明日とさせていただきますね。
では、また(。_。*)