玖拾玖
ーー西園寺 聡視点ーー
俺は小さい頃から、女という生き物が好きではなかった。
いや、異性が異性として見れないというわけではなく...単に、苦手だっただけだ。
ランスとは深い親交を持っている。父さんがあちらさんと知り合いらしく、ランスは来日してすぐ、俺と仲良くなった。
バカを治すために日本に内密に留学させられた、とある王国の王子。
金髪蒼眼、まるで絵に描いたような美少年だ。人懐っこく、可愛らしいものが大好きな部分もあるが、それもあいつの良い所だ。
俺も、自分でいうのはなんだが、容姿は良い方だった。
父さんも昔は美形で、母さんは元々整った顔立ちをしている。父さんに至っては、太って見る影も形もないがな。
というわけで、容姿の良い奴がずっと一緒にいて、女が群れてこないわけがない。
俺もランスも、金持ちの中ではトップクラスの財力を持っている。だからいつも、金や権力、容姿に色目を使った女が群れてきた。
ランスは平気で侍らせていたが、俺はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
だから俺は、女という生き物が嫌いだった。
*
今日は、「玲海堂学園」の高校編入試験の日だ。
まぁ、特に興味はない。どうせ外部で推薦された頭の良い奴か、金に余裕が出てきた奴だ。
俺やランスは、学校の門を入ってすぐにあるロータリー付近にある噴水の側で、いつも昼食を食べたり、駄弁ったりしている。
編入試験のあった今日も、それは変わらず、いつも通り噴水に向かっていたがーー
「あら西園寺様、フラット様、お食事に向かわれるのですか? 私もご一緒しても?」
鳳翔が絡んできやがった。
相変わらず媚びるような視線と言動。吐き気がする。俺が断ろうとした所で、ランスはこう言った。
「良いよー。人が多い方が楽しいしね」
バカかこいつ。
俺が鳳翔の事を嫌いなのを知ってるだろ、と言うと、仲良くするチャンスだよ、と返された。こいつの頭がお花畑だった事を忘れていた。
嗚呼、二人だけで落ち着いた食事と雑談はもう往古。ランスの余計な気遣いのせいで台無しだ。
心の中で悪態付きながら噴水へ向かうと、いつもとは違った光景があった。
噴水の淵に、見慣れない制服の女子が座っていた。
遠目で見ても、深窓の雰囲気のある美少女だ。俺でも綺麗な奴だと思える。もしかして、編入試験を受けた奴だろうか?
「あれ、今日は先客がいるね。誰だろう?」
こんな美少女を、可愛いもの好きのランスが放っておくわけがなく、すぐさま声をかけに行った。
髪は腰まで伸びる程長かったが、痛んでいる様子は見えない。哀傷めいた瞳をしている。人と関わる事を拒む瞳だ。
ただ、それでもこいつは綺麗だった。
少し力を入れたら割れてしまいそうな、精緻なガラス細工のように。
そして、何やかんやでランスが蹴り飛ばされ、睨まれた。まぁ、ランスの自業自得だよな。嫌がってんのにずっと腕掴んでるんだから。
これが、俺とサリンの最初の出会いだった。
よくよく考えれば、この時はお互いの印象は最悪だったわけだ。
「それにしても珍しいな、ランスに靡かない女なんて」
「聡は言い方が悪いよ」
「それにしても、『離さないと殺される』だとさ。相当過保護な保護者でもいるのかね?」
「そうかも。あーあ、凄い可愛かったのにな。残念」
鳳翔も取り巻きと一緒に何やら悪口を言っていたが、俺の耳には届かなかった。
噴水にいたあいつの顔が、頭から離れなかったんだ。
*
中学の卒業式も終わり、俺等は晴れて高校生。
その時には、噴水にいたあいつの事なんて、すっかり忘れていた。俺はそんな事より、学年成績No.1の座が編入生に取られた事にショックを受けていたのだ。
「だ、大丈夫だって聡。ほら...これからもっと勉強すれば良いわけだし。ね?」
ランスはそう慰めてくれたが、このプライドの傷は深い。
玲海堂に入ってからというもの、いつも学年一位だった。それが何処の馬の骨かも分からない輩に奪われたのだ。せめて、顔を拝んでおかないと...。
どんな奴だろうと校長に聞いてみると、「黒川 佐凜」というおかしな名前の編入生が全てのテストで満点だったらしい。
「ハァ...まぁ、どうせ新入生代表の挨拶で顔を見れるからな」
「そうだよ。あ、あの子...!」
すると、ランスが丁度今、教室に入ってきた奴に目を留めた。
今度は玲海堂の制服をまとい、この間よりも憔悴したような表情をしている。
そしてすぐに一番後ろの自分の席につき、読書をし始めた。やはり、俺等みたいな連中と関わりを持ちたくないのだろう。
ランスは案の定、すぐさま絡みに行った。可哀想に。
おまけに鳳翔にも囲まれて。可哀想に。
「君の名前は?」
「黒川 佐凜です」
「サリン...珍しい名前だね」
俺は、目の前の女の名前を聞いて、唖然とした。
まさかこいつが、俺を抜いて学年一位の成績を収めたとは思っていなかったからだ。だがまぁ、逆に安心したとも言える。
こいつが先ほどまで読んでいたのは、「原子物理粒子法則」。元々頭は良いのだろう。俺は「物理学」は得意ではないが、色々話は通じるかもしれない。
すると、ランスがこっそり自分が王族である事を明かしやがった。
ったく...こっそりでも、あんまり言うもんじゃないんだけどな。
*
黒川は、入学早々からイジメを受け始めた。
鳳翔一派からだ。
画鋲を靴の中に入れられたり、物を隠されたり、時には屋上から投げ捨てられたりなんて事もあった。
ランスは頻りに黒川に話しかけようとしたが、俺はそれを止めていた。イジメの原因が自分達にあるという事を分かっていたからだ。
学園でもトップクラスの権力を持つ鳳翔。
反抗出来ないのも無理はない。このような事には慣れていなさそうだしな。
きっと...やせ我慢してるんだろうな。
ある日、黒川が一週間も学園を休んだ。
これでもあいつの動向や表情には気にかけている方だったが、一体何があったのか。遂にイジメが辛くなったのか...?
風の噂だが、上級生に襲われかけたんだとか。
まぁ、あいつ綺麗だし、力もなさそうだから、仕方ないっちゃ仕方ないな。
やはり、黒川に対する皆の当たりが気になる。
今朝も早くに教室に来てみると、黒川の机に油性マジックで落書きがしてあるのを見つけた。
「何だよこれ...」
死ねだの、学校に来るなだの、消えろだのーーやり過ぎた。
気がつけば俺は、人目なんか気にせず、机の落書きを消そうと躍起になっていた。
濡らしたハンカチで机をこすり、何とか黒川が来る前に消そうとしていたがーー
「あの...私の席なんですけど。邪魔」
「げッ、黒川 佐凜」
もう来たのか。
俺は咄嗟に机に覆いかぶさり、落書きを隠そうとした。
後から考えれば、何てバカでおかしな事をしたんだか。黒川でさえ呆れたような顔をしていた。
そして放課後。
俺は黒川を屋上へ呼び出した。
青春の一ページを飾るような告白ーーではない。決して。
今日も天気が良い。
俺が柵に手をかけて黒川を待っていると、すぐにあいつはやってきた。
「ご用件なら、なるべく早く済ませてください。誤解を避けたいですし、早く部活に行きたいです」
なんて冷めた奴だ。
まぁ、誤解を避けたいのは分かる。これを他の女子なんかに見られたら、イジメが悪化しかねない。
というわけで俺は、すぐさま本題に入る。
「黒川、お前、黒川 真人の妹だろう?」
黒川は答えない。
これは、肯定と受け取って良いらしい。
「何で私にそれを言うの?」
「何だか俺の父上が、俺とお前との縁談を考えていてな。勿論、あの黒川 真人が承諾するはずがないが...」
「そうですね。私も嫌です」
「...地味に傷つくな」
これで顔は良い方だと自負はしているのだけれど。
「それで、何だって言うのですか」
「お前に協力する」
「は?」
「正直、お前がイジメられているのは、見るに堪えない。黒川だって辛いだろう? だから、鳳翔とその取り巻き達へと報復を考えtーー」
「貴方は幸せで良いね」
冷たい声で、俺は言葉を遮られた。
てっきり無表情を貫き通しているかと思いきや、黒川は笑っていた。ただそれは楽しいだとか、嬉しいだとか、そういった類の感情ではない。
嘲笑だ。
「普通だったら私も、報復するよ。仕返しするよ。でもしない。何故だか分かる?」
「そ、そんなの、黒川が弱いからjーー」
「デリカシーもないのね。...それも分からないで、私を助けようだなんて、大したものね。流石、恵まれたお坊っちゃま」
そうか、俺は...なんて間違いを犯していたんだ。
黒川が鳳翔に反撃しないのは、怖いからでも、黒川自身が弱いからでもない。
こいつは、黒川 真人の妹だ。
もし自分の妹がイジメられていると知れば、黒川 真人は一体どうするだろうか。
ーー俺は、あの人の残虐性を知っている。
「ーーやっぱり、私の理解者は黒川さんだけだ」
その声は、とても寂しそうだった。
*
俺と黒川とランスの距離が縮まったのはーーそう、例の授業参観だ。
俺の父親と黒川 真人を接触させまいと二人(余分なのが後一人)で同盟を組んだ。丁度席替えもあってすぐ側になれたから、それは丁度良かった。
黒川 真人ーー噂には聞いていたが、相当な美形だ。
男の俺でも見惚れてしまうくらいに。端麗という言葉をそのまま具現化したような、そんな男だ。
あんなのが兄貴だったら、ランスに言い寄られてもそりゃあ靡かないな。
が、黒川 真人は相当なシスコンらしく、黒川以外は眼中にないようだ。態度がまるで違う。
おまけに変な文章まで無理矢理読ませる始末。
まぁ、俺の父親と接触はなかったから、万々歳って所か。
放課後。
黒川は教室の隅で一人落ち込んでいた。
黒川 真人が鳳翔達に対してキレたのが原因だろう。あれは鳳翔達が悪い。
「黒川、俺は...」
「ジャパニーズプリンスモドキは悪くない。誰も悪くない」
「おい、その呼び方止めろ」
どうやら黒川は、心の中で俺を日本の王子に仕立てていたようだ。
すると、唐突にこんな事を言いだした。
「私ね、君の事好きだよ」
大胆な。
まぁなんだ、俺も...
「えっ...お、お前...誰もいないからってそんな...あぁ、実は俺もお前がs」
「友達って意味でね」
「...」
なんだよこいつ。ちょっと期待させやがって。
...期待?
俺、何言ってんだ?
何で黒川の言葉に期待する必要なんか...。
『私ね、君の事好きだよ』
ありふれた言葉に、不覚にもドキッとしてしまった。
今まで色んな女子に告白されてきたが、その時は...こんな気分にはならなかった。
なんだよ...変な、感じだ。
*
それから俺達は、親友になった。
何処へ行くにも一緒になって、イジメもなくなってきた。鳳翔一派もこの頃は大人しい。まぁ、俺とランスが近くにいるのに、サリンをイジメようとは思わないわな。
サリンとテストの合計点数を競ったり。
くだらない事で笑いあったり。
家で駄弁ったり。
喜怒哀楽を互いに見てきて...気がかりも生まれた。
「サリンちゃん大好き!」
「おー、どうしたのランス」
「僕、やっぱり、レイチェルよりもサリンちゃんの方が良いや」
「王女に謝れ」
サリンとランスが絡んでいると...何だかこう、モヤモヤする。
親友同士だし、ランスは元々誰にでもスキンシップが多いから気にしていなかったが、それでも気になる。
何だろう。
気になったので、俺は妹の巴に相談してみた。何かと辛辣なコメントを返してくるが、どれも的を射ているので俺は何とも言えない。
「それは...お兄様がランス様に嫉妬しているんだと思いますわ。恋煩いですわね!」
「は、恋?」
「えぇ。...もしかしてお兄様、初恋ですの? まぁ! お赤飯を炊かないと! 何かとサリン様の事を話題にすると思えばやはり恋ですのね!」
「い、いや...そういうのじゃないから!」
こ、恋だなんて...そもそも俺は、女という生き物自体あんまり好きじゃないし...。
「まったく...お兄様、ちゃんと素直にならないと。じゃあ、もしサリン様が何処の馬の骨かもしれない輩と付き合い始めたら、どう思われます? えぇ、付き合う、です。口付けを交わしたり、あーんな事やこーんな事をするのですわ」
巴...可愛い顔して何言ってんだよ。
も、もしサリンが他の奴と付き合い始めたら...?
「嫌だ」
「それが恋ですわ」
「そう、なのか...?」
恋ねぇ。
俺はサリンの顔を思い浮かべる。
まぁ、悪くはないかもな。




