玖拾参
「く、黒川さん、あのですね...」
「はい、どうかしましたか?」
下校の車中。
私は黒川さんに、聡の家に遊びに行く事を許可してもらおうと、話を切り出した。
大分話をするのに勇気と気力を使ったというか...黒川さんの機嫌が良さげだったのが、唯一の救いだ。
「あの、今週末、西園寺 聡くんの家に...遊びに行っても良いですか? 彼の妹に、その...また会いに行きたいんです」
此処で「聡の家に〜〜」なんて言ったら、俺以外の名前を呼ぶなよ、的な俺様が発動してしまいそうだ。いやまぁ、もう呼んでるっちゃあ呼んでるんだけど。
怒るかな...と上目遣いに黒川さんの顔色を伺う。あれ...全然怒っているような様子はない。寧ろ、笑っているように見える。
「あの...」
「良いですよ。元ボッチのサリンが、友達の家に遊びにいくんですから、それくらいは許可してあげないと。それに、西園寺の所なら問題はないです」
あら、一応信用はあるのね。
それなりに組との付き合いも長いようだし...そこんとこは、聡のお父さんに感謝しないと。
「そういえば、あの王子、自国に帰ったみたいですね」
「何で知ってるんですか...まぁ、お母さんが倒れられたみたいで。病気か...」
私のお母さんも病気だったからな。
一体何の病気で亡くなったんだろう。お母さんは写真が嫌いだったらしいから、小さい頃のも含め、一切顔の記録が残っていなかった。お陰で全く記憶にないんだけど...今は、お父さんの顔さえも忘れかけているわけで。
ランスのお母さんには、元気でいて欲しいな。彼の悲しむ顔は見たくないし。
*
「ねぇサリン、サリンはもし私が死んだら...どうしますか?」
家に戻って部屋で荷物を降ろすと、黒川さんはそんな事を聞いてきた。
遊びに行く許可を貰ったにも関わらず、条件を提示されないなんて珍しい。忘れている...とも考えにくいな。一体何を企んでいるんだろう。
それに、「もし黒川さんが死んだら」なんて、突然過ぎる。
「例えば、そう...敵に銃殺されたら」
貴方はそんな事で死ぬ人じゃないでしょうに。
しかしあくまでも例えなので、私は正直に答える。
「悲しいです」
「本当?」
「当たり前じゃないですか。だって、黒川さんは...いや、何でもないです」
「え、いや、今何て言おうとしたんですか?! 続きを!」
別に何でもないし。
まぁ...黒川さんが死んじゃったら、悲しいと思うのは本当だ。確かに、黒川という姓や束縛からは解放されるけれど...それじゃあ本当に幸せにはなれない気がする。
今の私は、黒川さんがあってこそのものだから。
それに、黒川さんの事は好きだし。死んだら普通に悲しいよ。兄なんだから。
「でも、何でそんな事を聞くんですか?」
「気分です」
「そう...ですか。じゃあ、もし私が死んだら?」
「私も、サリンが死んだら悲しいですよ。悲しい...いや、寧ろ怒りが湧いてきます」
あら、「怒り」だなんて怖い。
「サリンが死ぬ原因になったものを、少しずつ、ジワジワと苦しめて、最後には殺します。その後は私も死にます。サリンのいない世界に、価値なんてありませんからね」
「マジで止めてくださいよ」
聞かなきゃ良かった。
でも、私が死ぬ原因といったら、黒川さんのナイフによる多量出血くらいしか想像がつかない...自分のせいで死んだらどうする気だこの人は。
それに、復讐なんてされても私は嬉しくないんだけど。
「本気ですって。サリンは、私が死んでも、死んでくれないんですか?」
「私は...もし黒川さんが先に死んだら、その分長生きします」
流石に自殺をする気は起きない。
確かに黒川さんが死んだら悲しい。
けれど、だからといって後を追ったりはしないし、復讐しようとも思えない。死んだ人の分までシッカリ生きるのが、残された人間のするべき事だ。
だから、もし先に私が死んでも、黒川さんには生きて欲しい。
「まぁ、サリンはそうかもしれないですね。ですが、私は死ぬ気なんてありませんから。後六十年は大丈夫ですよ」
そういえば、黒川さんは幾つなんだ?
私は今、十六歳だけど...。
「年齢? えー、内緒ですよー」
十歳近くは離れているだろうけどね。
うーん、今度後藤さんにでも聞いてみるか。まだ二十代だろうけど、随分と事業も成功しているよね。アンダーグラウンドな世界を牛耳るのも、才能なのだろうか。
「サリンも、結婚出来る年齢になりましたね。どうです? もう一度戸籍をいじって、私と結婚しませんか?」
「いや、それはちょっと...」
もう既に結婚しているような状態ですし。
夜な夜な抱き枕にされ、過剰なスキンシップを取られ、自由がほとんどない程に束縛され、異常に嫉妬される...うん、前半は良いけど、後半がもう新婚夫婦を通り越してるよね。
よくよく考えたら、DV受けてるんだよな...私。まぁ、もうあんまり気にしていないから良いけど。
「そうだ、腕の調子はどうですか? 縫い目は開いていませんよね?」
黒川さんは、優しく私の左腕をなぞる。
そう、実は昨日、後藤さんに腕の傷を縫ってもらったのだ。麻酔が効いていたから全く痛くはなかったけれど、物凄く怖かった。一体何針縫った事か。想像するだけで寒気がする。
医師免許取得のスーパー後藤さんのお陰で、腕の調子は良い。重い物は持てないが、血ももう出ていない。
「大丈夫です、激しい運動はしていませんし」
あまり周りに迷惑をかけられないから、出来るだけ早く回復したい。
...さて、今週末は聡の家だ。
巴ちゃんに会うの、楽しみだな。




