捌拾捌
「え、マジで出かけんの?」
「マジで出かけるんです」
一応確認を取ろうと、後藤さんが部屋に入ってきた。
私は既に、怪我を庇いながら着替え終えていた。まぁ、痛みはもう収まったし、行く気満々だし。
そんな私を見て、後藤さんは一瞬にして顔色を失ってしまった。私を心配してくれているのか、後藤さん自体が疲れているのか。
「組長ー、本当に大丈夫なんですか?」
「さぁ? 痛くないなら良いんじゃないですか?」
「ハァ...傷を診ても?」
「...チッ、仕方ないな」
聞くと、後藤さんは医術の心得があるとか。
そういえば結構前に戦嶽組に誘拐された時、私の肩から銃弾を摘出してたな。
おーい後藤さん、簡単で良いからさ、傷口を縫ってくれませんかー?
包帯を取り、ベッドに座って後藤さんに傷を見せる。
彼は目の前に跪き、私の腕を取ってまじまじと見つめ始めた。血は止まっているが、まだ赤く痛々しい。
「あー、こりゃ酷いな。うわ、貫通...組長、やり過ぎ。サリンちゃん痛かっただろ?」
「痛かったです」
「まぁ、消毒やら止血やらは完璧だから、傷口が腐るって事はないと思いますよ。...とは言っても、あくまでも応急処置だからなぁ...早めに日本に戻って、ちゃんと治療しましょうや」
今すぐ治療をしてくれ。こんままじゃ剣道が出来ない。
ただでさえこの頃部活に参加出来ていないというのに、怪我までしたら、竹刀を握れなくなってしまう。まぁ、神楽坂先輩の事があるから、行こうにも行けないんだけどね。
「ちょっと動いただけで、傷がパックリ割れるレベルですよ? 止めましょうよ、今日外に出るの。個人的には早く此処からおさらばしたいです。フライアーノの坊ちゃんがうるさいんスよねー」
「それはお前の問題だ」
「俺、マフィアあんまり好きじゃないんですよぉ。...サリンちゃん、イタリア観光、行きたいか?」
「まぁ...出来れば、ですけど」
折角遥かヨーロッパまで来たんだ。
腕に傷を作ってカジノで勝ちまくっただけで終わりだなんて...いや、今帰っても一生忘れられない思い出にはなるだろうけど、楽しい記憶を残したい。
傷が痛むのは仕方がない。すぐに治るわけじゃないし。
だから、少し無理をしてでも、黒川さんと一緒に出かけたい。
「ハァ...車出します。サリンちゃんの具合が悪くなったら、すぐに戻りますからね」
「あぁ。...サリン、キツくなったら、我慢せずに言ってくださいよ?」
「ありがとうございます、黒川さん、後藤さん」
一日だけだし...楽しもう。
*
イタリアは、女性を重んじる習慣が大きいらしい。女性を口説くのも礼儀とされているんだとか。
だから個人的にはナンパ師が多い...という印象だ。印象というか、本当にそうらしんだけどね。
後は、ピッツァとパスタが美味しいとか。美味しいよね、本場のイタリアン。昨日の晩御飯はホテルの一流シェフの作ってくれたパスタだったんだけど、それが美味しいのなんのって。オリーブオイルも濃厚だし、日本で食べるのとじゃ一味も二味も違ったね。
おっと、話を戻そう。
ええと...そうそう、イタリアはナンパ師が多いらしい。故に黒川さんは、
「サリンが行きたいと言っていた場所、アレ全部貸し切りました」
「へ?」
いやいや、つい素っ頓狂な声を上げてしまったね。
貸し切ったって何だよ。え、普通に一般のお客様がいらっしゃるのに、貸し切ったって何だよ。大分迷惑だよ黒川さん!
今日しか観光の予定がない人はどうすれば良いのさ!
...とは言えず。
すみません観光客の方。私、皆さんの分まで頑張って見るんで。イタリアの空気を感じるんで。
いくらナンパされたくないからって、人を近づけさせないってどうなのよ。流石金持ちの考えている事は違う、というか...寧ろ安心してゆっくりと観光出来ないよ。
「ほら、真実の口ですよ。手入れてみませんか?」
「確か、偽りの心がある人は、手が抜けなくなったり、切り落とされたりするんですよね?」
「サリンちゃんは大丈夫だろうけど、組長は絶対に抜けなくなるな」
「トレヴィの泉か...」
「後ろ向きに一枚投げると、ローマに再び戻る事が出来る。二枚投げると、大切な人と永遠に共にいられる。三枚投げると、配偶者と別れる事が出来る...みたいな感じだったような」
「サリン、二枚投げましょう。ずっと一緒にいられますよ」
「ハハ...」
「スカラ座のオペラ、半端なかったな...」
「オペラまで貸し切りとは思いませんでした」
「私の力を持ってすれば、それくらい赤子の手を捻るようなものですよ」
「コロッセオって、想像してたより大きいんですね。昔此処で、殺し合いが行われていたなんて...」
「組長にお似合いの場所ですね」
「今お前と殺しあっても良いぞ」
・
・
・
「あぁ...楽しかったな」
イタリアの貸し切り観光。
有名所を三人で堪能してしまった事に罪悪感を覚えるが、本当に楽しかった。
ローマの町並みは美しかったし、教科書や本で見た光景が目の前に広がっているのも本当に感動した。あまりの興奮で、左腕を怪我しているなんて、忘れてしまうくらい。
もう、明日日本に帰っても良いかな。
お土産というお土産は買えなかったけど、聡とランスにお土産話くらいは出来そうだ。
「喜んでもらえて良かったです」
「俺も結構楽しかったですよ組長。何てったって、観光地を貸し切りですからねー」
「そうだな」
帰りの車で、私は疲れた体を黒川さんに預ける。
あぁ...楽しかったのに比例して、疲れも出てきたな。明日はゆっくりしよう。どうせ運動も出来ないし、カジノに行ったらレオに絡まれるだろうし。
時刻はすっかり黄昏。
ホテルに戻り、ロビーに入ると、見慣れた赤毛の青年が、こちらに走ってきた。
「サリン!」
「あ、レオさん...」
「チッ、お前か」
面倒な事に、レオだ。
出待ちしてたのかよ...と後藤さんが切実に呟くのが聞こえた。あんまり会いたくなかったんだけどな...。




