捌拾肆
黒川さんがボーイさんに呼ばれて奥へ行ってしまった後も、私はポーカーを続けた。一番楽だし。一番やりやすいし。
勿論、ルーレットなんかもやってみたかったけれど、神が、神が私にポーカーをやれと囁いていた。正しく言えば神ではなく後藤さんが。
「ツキが回ってきた気がする。大丈夫だ、隣にゃ人生勝ち組男が約一名いるからな」
「そうですかね...」
「大体、こういうゲームはドーン!っと馬鹿デカイ金を賭けあうもんだ。ちまちま1ドル、2ドル賭けるよりかは、何百ドル、何千ドルと大金を出した方が楽しいぞ?」
「いや、私、そういうの苦手なんですって」
「失うものは何もねェよ。とりあえずやってみなって」
「はぁ...」
そのセリフは、全てを失った人が言うものですよ、と言いたかったけど...私は良い子だから言わなかった。
レオは後藤さんに同意して、うんうんと頷いている。日本語が分かるのだろうか。イタリア語で聞きたいけれど、何と言って良いのかが分からない。すると、レオは私を頭を優しく撫でてきた。
「あいつが行ったから、僕は日本語で喋るね」
「あれ...やっぱり喋れたんですね、レオさん」
「まだ勉強中だけど...」
何で黒川さんと話す時、日本語じゃなかったんですか、と聞くと、
「え、何であんなクソ野郎に言葉を合わせなきゃいけないのさ」
と返された。
なるほど、レオはやはり黒川さんを毛嫌いしているのね。まぁ、イタリア語でも碌な事は言ってなさそうだったから、日本語でなくて良かった。両脇の悪魔の言葉は、聞かないに限る。
「まだ敬語の使い方がよく分からないんだよね...ねぇサリン、僕に日本語、教えてくれない?」
「結構流暢な日本語だと思うんですけど...敬語なら、黒川さんに教わった方がーーいやすみません」
勉強中にしては、日本語のイントネーションが素晴らしい。日本育ちですーと言っても良いくらい。まだ少しイタリア語の訛りはあるが、それでも上手だ。
黒川さんの名前を出した途端睨まれた。禁句を口にしてしまったよ。もう嫌だ疲れる...。
本当に、敬語なら私じゃなくて、黒川さんに教わるべきだと思う。だって日常的にあんなに敬語使ってるし。私に対してだけだけど。それに、日本一の大学である「東真大学」も出ている。私より国語力だってあるはずだ。
「僕ね、サリンの事、好きになっちゃったかもしれない」
「どうも...」
「このままカジノ抜け出して、ランデブーでもしない?」
「丁重にお断りさせていただきます」
そんな事したら殺されるぞ、カリブ海に放り投げられるぞ。
「じゃあ、その後藤って人も一緒で良いから。...僕、サリンみたいな可憐で素敵な女性、今まで出会った事なかったんだ。君は、他の女性とは全く違う...ねぇ、僕もっと、サリンの事知りたいな」
流石、ナンパは礼儀とする国イタリアの方。口説くのは日本語でも上手いようだ。
だが、生憎その言葉は私には響かない。レオはランスに似ている。適当に流していれば、拗ねたフリをしてくっついてくるはずだ。
それに、ランスは天然誑しだが、レオは計算づくされた言葉を囁いてくる。女の扱いは手馴れているのだろう、ほら、後藤さんも笑いを堪えているじゃないか。
でも、レオって何だか...
「ワンちゃんみたいで可愛い」
「えっ...?」
呆然とするレオの頭を、私は撫でた。彼の赤毛が物凄く触り心地が良くて、モフモフしている。
つい思った事を口走ってしまった...いや、もう良いや。
口説き文句を囁きながらも、レオは子供のような純粋な目をしていた。ランスにそっくり。でも、それよりももっと仔犬に似ていた。「ワンちゃん」なんて小学生みたいな呼び方をしてしまったけれど、本当に可愛く見えた。イケメンなのに。
「さ、サリン...いや、ちょっと...あ...」
頭を撫でていると、レオは見る見るうちに顔を赤らめさせた。自分でするのは慣れているようだけど、されるのはそうでもないみたい。
ランスも、「愛でられるより、愛でる方が好き」と言っていた。彼も同じタイプだろう。
いや...ランスとレオを重ねちゃダメか。ランスはランス、レオはレオだ。同じ風に見てしまったら失礼だろう。
『ごめん、本当、僕...』
恥ずかしかったのか、両手で顔を覆ってしまった。あら可愛い。
後藤さんが「もう止めてやれや」という目をしていたので、仕方なく私は手を引っ込めた。周りの目があったのをすっかり忘れていた。
ごめんねレオ。
小さな声で謝ったら、「良いんだよ」と返された。




