捌拾弐
ーー黒川 真人視点ーー
ったく、何で野郎のついだワインなんざ飲まなきゃならんのか。
酒はやはり、サリンが注いでくれないと美味く感じない。あの子はいるだけで酒の肴になってくれるというのに、それさえもない。あぁ、憂鬱だ。何でこんなオッさんと駄弁らなきゃならんのか。
『そういえば、マコト、お前とお前の妹は、血が繋がっていないらしいな』
『...調べたのか』
『気になったものでな』
イタリアンマフィアは一々全てを調べたがる。恐らくは、サリンの個人情報もだだ漏れなのだろう。日本のセキリュティは甘いから。
サリンを一目見た時、純粋に「欲しい」と思った。
純真無垢なその瞳を恐怖に染めて、可愛らしい顔を歪めたいとさえも思った。しかしそれ以前に、何か特別なものをサリンに感じていた俺がいた。
五億の借金を背負わせて、追い詰めて、父親を人質に半ば無理矢理妹にして、毎晩のように抱き枕ーー端から見れば異常者だろうが、俺はこんな手に入れ方しか知らない。束縛して、離れようとしたら繋ぎ止めて、時には傷つけるーー俺は、こんな愛し方しか知らない。
嗚呼、羨ましい。
サリンが、後藤が、ランベルトが、人の愛し方を知っている、この世界の人間全てが。
『何故、妹にした? 女ではダメだったのか?』
『...何故だろうな。「欲しい」とは思ったが...もし女として囲うようになったら、きっと俺は自制が効かなくなる。ただでさえ理性がはち切れそうなのにな。それに、俺は体だけではなく、心も欲しかった』
『欲張りな男だ』
体が手に入っても、心も手に入らなければ意味がない。全てを自分のものに出来なければ、俺はきっと満たされない。
『...お前も、わしのようになりかねんな』
『どういう意味だ?』
『わしの妻だ』
ランベルトは一息吐き、グラスに再びワインを注ぎ始めた。
『わしの妻も、お前の妹と同じで、大層美しかった。わしは彼女を愛し、彼女もわしを愛した。だがある日ーー彼女は他の男の元へと去ってしまった。憤慨したさ、あんなにも愛したのに。あんなにも尽くしたのに。やっとの思いで手に入れたのに、すぐに離れてしまったんだ』
『...』
彼の言葉を聞きながら、俺もワインを口に運ぶ。
『それでもわしは諦め切れず、彼女を拉致し、監禁した。わしの家の地下、奥深くにな』
『監禁...』
『そうだ。彼女は泣き喚いたさ、「もう貴方以外を愛さない、だから出してくれ」ってな。だがその顔がどうも美しくて。つい泣かせたくなってしまったんだ。そして、毎日のように愛で、毎日のように犯し、毎日のように共に過ごすうちにーー彼女は子を孕んだ。それがレオだ』
あの汚らわしい息子か。
なるほど、監禁した上でいつの間にか出来た子、というわけか。
『監禁した状態で子を産ますのは困難だ。わしは彼女との子が欲しかったしな。それで、わしは彼女を地下から出し、完全な監視下においた上で軟禁した。そうして、レオが生まれた』
もしもサリンが俺の子を孕んだとしたら...俺だったら産ませない。
別に俺は子が欲しいなんて思わない。サリンとの時間さえあれば他には何もいらない。だから逆に、俺にとって子は邪魔者以外の何物でもない。
そうだな...どうせなら、ちゃんと産ませて、サリンが感動した所を目の前で殺すのもアリだ。絶望した顔が見たい。
『レオを産んだ時から、彼女はわしから逃げる機会を伺っていたらしい。ある日突然、彼女は協力者の手を借りてわしから逃げ出そうとした。が、イタリアはわしの国だ。出られるはずもない。ものの数日ですぐに捕らえられたよ。
それからわしは再び彼女を監禁し、今度は逃げられないように足を奪った。あんなにも愛したというのに、結局彼女はわしを愛してくれる事はなかった』
『それからどうした?』
口ぶりからして、それほど昔の事でもなかろう。
『殺したさ。あぁ、殺したとも』
極めて笑顔で、そして嬉しそうに、彼はそう言った。
昔の恋人を懐かしむような顔で、平然とそんな事を言ってのける。もしサリンが聞いていたら、顔を真っ青に染めるのだろう。やはり彼は、イタリアンマフィアだ。
『あまりにもわしを拒絶するんでな。永遠に眠ってもらった。死体はまだ、綺麗に保存してある』
『歪んだ愛だな』
『お前も、人の事は言えん』
俺のサリンに対する愛は、ランベルトほど歪んではいない。純粋に、ただ愛おしんでいるだけだ。
『愛するからこそ、わしは彼女を殺した。死体になれば、もうわしを拒否する事も出来んしな。だがーーわしはその後、死ぬほど後悔した。死体はわしの返事に答えてはくれない。死体は、わしが何をしても何の反応も示さない。死んでしまっては元も子もない、というわけだ』
『忠告でもするつもりか? 随分なご身分になったものだ』
『お前も妹を愛しているのなら、殺す事は絶対にするな、と言いたいね』
とりあえず、頭の片隅には置いておこう。




