漆拾捌
「そろそろ行きましょうか」
「はい...分かりました」
女の子は大概ドレスやらお姫様やらに憧れるものだろうが、私は現実主義者だ。そんなシンデレラストーリーなんて望んでないし、夢を見ている暇もない。
だが、今はそんな夢の真っ只中のような服装だ。たくさんあった絢爛なドレスの中から私が選んだのは、紺色のバブルドレス。結婚式や何らかの催し物で着ている人のいそうな、他の物よりかは随分マトモなドレスだ。
黒川さんは私に露出させたくないのか、ドレスの上に白いボレロを羽織らせてきた。
そういえば、
「此処って、何処なんですか?」
「私達の取引相手のマフィアの経営するホテルです。イタリアでも一、二を争う程のものでして、地下にカジノがあるんです。普通に宿泊客もいるはずですよ。あぁ、このホテルは五つ星レベルですので、変な客はいません、安心してくださいね」
何だろう、安心出来ない。しかし「闇カジノ」というわけではなさそうだ。良かった...。
それにしても、黒川さんといい、このホテルといい、もうヤクザやマフィアは裏取引では稼げなくなってきたのだろうか。この頃は規制も厳しくなっているようだし、警察も優秀だ。麻薬やら武器やらの密売は難しいのだろう。それと比べれば、大っぴらに商売の出来るものの方がやりやすいに決まっている。
もう、マフィア共々足を洗っちゃえば良いのにね。
「あぁ、サリン可愛いなぁ...もう一枚写真撮りますね」
そう言われて顔を上げると、黒川さんのスマホが見えた。さっきまで何百枚も撮っていたのに、まだ撮り足りていないか。というか、そんなに撮ってどうする気だ。
「く、黒川さん...そろそろ行きましょう? ね?」
「はぁ...分かりました」
*
人から見られるのは、あまり気持ちの良いものではない。
良い意味での注目も、悪い意味での注目も、同じようなものじゃないか。人の好奇の目に触れるのは実に疲れる。
ホテルの廊下を歩くたびに、すれ違う人に振り向かれる。私を見ているのか、黒川さんを見ているのか。きっと黒川さんだろうが、何故だか私も居心地が悪かった。
『お待ちしていました、ミスター・クロカワ』
黒川さんと二人で、ホテルの地下まで降りると、これまでホテルで見てきた中でも格別に豪華な扉が見えた。扉の脇にはスキンヘッドの屈強そうなガードマン。此処は多分、VIP専用の入り口だ。
イタリア語で黒川さんに挨拶をしているため、何を話しているのかがあまり分からないが、「お待ちしていました」的な事を言っているのだろう。
ガードマンはカジノへと繋がる扉を開ける。
黒川さんに手を引かれ、私は中に入った。
とても広い空間の中に、目眩く強欲と財欲の蠢く金の世界が広がっていた。ルーレット、ポーカー、スロットにブラックジャックまでーー多種多様のゲームが揃い、多くの人々が一瞬で動く大金の虜になっている。そうだ、カジノではたった一夜で莫大な金のやり取りが行われるんだ。
覚悟は出来ていたはずなのに、別世界のような空間に少し尻込みしてしまう。あぁ、しっかりしなきゃ、黒川 真人の妹として、しゃんとしなきゃ。
「大丈夫ですか、サリン」
「はい...平気です」
「先に後藤を見つけましょう。恐らく、何処かで寝てるかヒャッハーしてるはずです」
「分かりました」
少しキョロキョロと辺りを見回していると、何者かに肩を叩かれた。ふっと振り返ると、そこには赤い髪色をした二十代前半くらいの若い男が笑顔を浮かべて立っていた。ランスに少し似た、整った顔立ちをしている。
『こんばんは、お嬢さん』
『こ、こんばんは...』
イタリア語で挨拶されたので、とりあえず喋れるイタリア語で返す。フランス語や英語と違って学んでいないので、イタリア語は少し怖い。黒川さんが通訳をしてくれるだろうが、私、簡単な挨拶くらいしか出来ないからね...。
すると、男の存在に気がついたのか黒川さんは思い切り顔をしかめる。
『お前か』
『お久しぶりですね、ミスター・クロカワ。この子が噂の妹さんですか?』
『...そうだ』
おう、何言ってるんだかサッパリだ。
しかし、二人の間にあまり良い空気が流れていないのは確かだ。もし私が勇気のある正義感溢れる魔法少女だったならば止めに入れただろうが、残念ながら私はごくごく普通の少女です、美形二人が睨み合っていて逆に怖いくらいです。
すると、男が私に向かって話しかけてきた。
『僕は、レオ・フライアーノです。レオと呼んでくださいお嬢さんは?』
レオ・フライアーノさんね、オーケー。どうやら名前を聞かれているようだ。とりあえず答えよう。
『私は、黒川 佐凜です』
『サリン? 変わった名前ですね』
「サリン、この男は...イタリアンマフィアの首領の息子です。何を目的に近づいてきたかは分かりませんが、警戒は解かないでください」
『ミスター・クロカワ? 一応僕、日本語分かりますからね?
フライアーノさん、改めレオは、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら私の肩を抱いてきた。反応を見て楽しもうとしているのか、私の顔をジッと見つめてくる。
その手には乗らない。もう私は、イケメンには動じない。
無になるんだサリン。悟りを開くんだサリン。人は何のために生まれ、何のために死んでいくのかを考えるんだサリン。此処で動揺してしまえば、黒川さんの怒りを買ってしまうぞサリン。
『サリン、に、触れ、るな』
『随分と過保護なお兄さんだ。サリン、僕がカジノを案内しますよ。ミスター・クロカワは父と商売の話があるでしょう? サリンは僕にお任せを』
『殺すぞ』
あー、何言ってるか分かんないけど凄い不穏な空気だー。




