漆拾睦
『サリンちゃん...まだ起きないんですね』
『少し薬を入れ過ぎたか。だが、寝かせて良かった。マフィアの連中とはあまり接触させたくない』
『疲れて寝ているって言ったら諦めてくれましたもんね』
薄ら意識の中で、声が聞こえてきた。どうやら私は睡眠薬を盛られたらしい。病気とかじゃなくて良かった。
イタリアンマフィアとは確かに接触したくない。だからといって無理矢理薬で寝かせるのもどうかと思うが、残りの時間をまたポーカーをするよりかはマシだろう。もうこれ以上私のメンタルを削らないで欲しい。どうせ勝てないし。
『サリン可愛い。後藤、カメラを持ってこい』
『え、組長ならサリンちゃんの寝顔写真くらいたくさん持ってるんじゃないですか?』
『サリンを抱きしめるとすぐに寝てしまうから、写真を撮る機会がほとんどないだけだ。ほら、早くカメラ』
『どうぞ組長』
あの...シャッター音が聞こえるんですけど。
『組長、サリンちゃんの学生服ブロマイドいりますか?』
『...はッ、何故お前がそんな物を...!』
『組長の為に撮っておいたんです』
『お前やっぱ最高』
『じゃあ組長、観光してきて良いですよね?』
『それとこれとは話が別だ』
止めろ後藤さん、私をダシにイタリアを観光しようとするんじゃない。黒川さんがいない時、誰が私を守ってくれるって言うんだよ。
棒があるなら未だしも、護身術も中級並にしか出来ないから! 銃もほとんど使えないから! だからイタリアにいる間は私から離れないで!
そう訴えたくても、どうにも声が出ない。
頭は十分覚醒しているのに...あれか、金縛り的な奴か。手よ、動けェエ!
「おやサリン、起きましたか」
「おはようございます...」
手ではなく、瞼が開きました。まぁマフィアに会う羽目にならなかったのは万々歳だが...目の前で大の大人が自分の写真を交換している所を見るのは、中々に複雑な気分だ。
いや、私はもう突っ込まない。色々と疲れた。
目が覚めたそこは、もうあのジェットの中ではなかった。よくテレビでやっている、ホテルのスイートルームのような一室だ。高級そうな素材がふんだんに使われた家具が数多く置かれ、近くのテーブルの上には私の写真が大量にばら撒かれている。
にしても...部屋と私の温度差が違いすぎる。此処は何処ですか、頭が混乱してまだ視界が現実味を帯びてませんよ。
ふと寝かされていたベッドの毛布を手でなぞると、黒川邸にある物よりも手触りが違う事に気がつく。死ぬ、このままだと圧死する。
「もしかして、話全部聞こえてました?」
「聞こえてました」
「後藤、記憶を改竄する装置はいつ完成するんだった?」
「来年辺りには」
「すみません、やっぱ何も聞いてません」
遂に二十一世紀における大発明にまで手をつけ始めたか。発明家になるのは結構だが、その「記憶を改竄する装置」とやらで一体どんな悪行を行うのか...考えただけで鳥肌が立つ。
「そうだサリン、ドレスをたくさん買ったんです。今から着てください」
「今、ですか?」
「えぇ。先ほどのマフィアとの遭遇は防げましたが、これからカジノに行こうと思いましてね。勿論、目をつけられないように、接触は必要最低限のものにしますので」
気を配ってくれるのならありがたい。...そういえば、カジノってヨーロッパでも十八歳未満入場禁止じゃなかったっけ?
「年齢の事は気にしないでください、私、ハイローラーですし」
「何ですか、”ハイローラー”って」
「上客...まぁVIPですね。許可も貰ってますので、気に病む事はありませんよ」
「私、ルールとかよく知らないんですけど...」
「後藤が教えてくれますよ」
「俺ですか...俺、あんまり賭け事得意じゃないんですけど」
「ま、別に大損なんて事はありませんので、楽しんでくれれば良いですよ。居心地が悪ければ、休憩所にいても良いですしね」
ただ、私は仕事があるのでいませんけど、と黒川さんは付け加える。仕事かぁ...大企業を運営しているって聞いた時は、てっきり闇から手を引いたのかと思った時期もあったけど、裏で色々とやらかしている事実は変わらない様子。一体何を取引するんだろう、麻薬? 武器? 人身売買? やー恐い。
「大丈夫ですか? サリンちゃんの剣呑さ相変わらず健在ですよ、組長」
「本当は側にいてやりたいがな...何かに巻き込まれたら殺すからな、お前を」
「俺、これでもいつも必死なんですよ?」
私はベッドから降りて、楽しそうに笑う黒川さんの隣に座った。すると突然横から抱きしめられ、頬擦りをされる。
「あの...」
「サリンは、そうやって突然可愛らしい仕草をするのが良いんですよね...もう少しこのままでいさせてください。後藤、お前は出ろ」
「へいへい...じゃあ、後は二人きりで楽しんで」
見捨てられた...。




