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伍拾捌

 


 途端、撃鉄を鳴らすような音が鼓膜に鳴り響いた。久しぶりに聞いた冷たい音に、つい鳥肌が経ってしまう。聡も同様。しかし私も彼も今の状態があまりよく理解出来ておらず、ただ漠然と固まっているしかなかった。

 後ろからとてつもない殺気が感じられる。撃鉄の音が鳴ったという事は、恐らく拳銃だ。黒川さんは今日私の自由を完全に許している。聡と話をしているくらいで銃は向けまい。それでは一体誰だろうか。私の知り合いに、無闇に人に銃を向けるような輩はいないのですが...。


「このオレ様の悪口言うなんて、お前もええ度胸やなぁ...聡」

「...北条」


 聡のつぶやきは私にも聞こえてきた。北条って...ロリコンの方ですか?


「この嬢ちゃん、お前のガールフレンドか? 可愛ええやなぁ。オレ様にくれへん?」


 少しだけ横を見れば、黒く焼けた手に握られた拳銃が、聡の頭に突きつけられている。早く止めなければならない事は百も承知であるが、既に撃鉄が下ろされている。後は引き金を引けば良いだけ。故に、下手に動く事が出来ない。


「ほんまこのタイプやわぁ〜。オレ様やったら死体でも億単位で買い取るわ」

「っるせえロリコン」


 あっ寒気が...黒川さんでも流石に此処まで言わn...いや、あの人なら言いかねない。というか絶対言う。


「誰がロリコンや。オレ様は可愛いいたいけな少女が好きなだけやわ。そんでもってあんな事やこんな事をしたいだけ」

「それをロリコンって言うんだよ!」


 今すぐに逃げ出したい。しかしそんな事をすれば、聡の身に何か危険が及ぶ可能性がある。現代日本では銃は持っちゃダメなんです、ヤクザの皆さん自重してください。

 目の前で何度突きつけられても、やはりこの危険物は恐ろしい。それでも暴発すれば危ないし、引き金は簡単に引く事が出来る。これは自分が一番よく分かっている事だ。

 私は身を乗り出し、突きつけられている銃を力強く握った。顔を見上げれば北条さんの姿が見える。色黒で筋肉質の背の高い男性だ。突然私が銃を握った事で拍子を突かれたのか、酷く困惑した表情をしている。


「止めてください、危ないです」

「ふぅん、嬢ちゃんも中々の肝っ玉やなぁ。...何もせぇへんけん。安心せい。オレ様は女の子は傷つけん主義やから。このガキみたいな奴は別やけどな」

「...」

「あんまり睨みつけんで欲しいなぁ。オレ様結構メンタル脆いんやから」


 端から見れば、笑顔で語りかける気の良い関西人なのだろう。しかしこの人に手に握られている物はその顔面に張り付いた笑顔とは裏腹に、彼の心を闇を映し出すかのようだ。冷たければ冷たいほど、銃は鋭く黒く染まる。

 ヤクザにとっての銃は、己の化身だ。


「オレ様、北条 末斗ホウジョウ・マツト言うんやけど...嬢ちゃん名前は?」

「...黒川 佐凜」

「宜しゅうな、サリンちゃん。オレ様の事はマッツーって呼んでくれれば良いけん」

「マッツー...」

「そうそう!」


 すると、マッツーは銃をしまってくれた。聡は安心したようにため息をつくと、マッツーをキッと睨みつける。


「お前、何でこの場所が...」

「えぇー、オレ様何となく庭に来てみただけやで? そしたら可愛いー嬢ちゃんとガキが二人で座ってオレ様の事喋りよったけん、拳銃突きつけただけやさかい」

「そんな話しかけた的なノリで言うな。そして、此処は俺の家だ。銃を持ち込むな」

「ええやんか。ヤクザの醍醐味やでー銃は」

「ヤクザ...」


 正直今の黒川さんは、ヤクザというより大企業の社長のような仕事をしている。少々闇的行為もされているようだが、それ以外は真っ当で健全な商売をやっているのだ。驚くべき事に。


「そうや。オレ様、『戦嶽組』の次期組長っでーす」

「...は?!」


「戦嶽組」というと、数年前に担任教師だった石井に騙されて捕まった組じゃないか。確か石井はこの組の幹部で、私を捕まえて黒川さんを操ろうと目論んでいた男。

 しかし、救出された後にこの組とは接点がなかったし、石井もあの場所にいた二人の男も以降目にしていない。黒川さんも知らない、私と後藤さんとの秘密の事件だ。

 恐らくマッツーは、私が黒川さんの妹だという事に気がついていない。石井によって私が組の高級奴隷用牢に入れられた事も、恐らく知らない。「佐凜」なんて珍しい名前、一度聞いたら忘れるはずがないだろう。私だったら絶対に忘れない。


「何驚いとるんや。まぁ特に有名なヤクザっちゅうわけでもないが...これでも全国三位なんやで? 黒川とか犬飼とかに上を占領されとるんや、悲しい事に」

「...」


 うちですね、ハイ。

 聡は笑いをこらえながらマッツーの話を聞き続ける。


「サリンちゃあん、オレ様のとこんくれば、一生不自由なく楽しい暮らしが出来るで? 魅力的やない?」

「私、今でも十分不自由ないんで」

「...サリンちゃん、黒川組の関係者とちゃうよね? まぁ珍しい苗字でもあらへんし」

「はは...」


 全くもってその通りだ。しかし、西園寺家は黒川組の傘下であるのに、一体何故戦嶽の次期組長がこんな場所に来ているのだろうか。下手すれば執事集団やヤクザに殺されかねない状態だ。

 一応縄張り的にも隣り合わせ。敵対しているので、なるだけパーティで鉢合わせという状況にしたくない。パーティで銃撃戦は絶対に避けなければ。


「でも、何で戦嶽が?」

「あぁ、西園寺家はうちの分家や。こいつの曾祖父が西園寺家に婿入りして、こんな風になった。いつの間にか黒川組の傘下になりよって...ほんま使えん坊ちゃんや」

「俺のせいじゃねえよ」


 黒川組の傘下になったのは、どうやら聡のお父さんの代からのようだ。弱味握られたけど、お金稼げるから良いや的なノリで傘下をしているらしい。社長がそれで良いのか。いや、金が稼げればそれで良いのかもしれない。亡者的考え。


「でも、黒川さん怒ったりしないの?」

「組長はあんまりそういうのは興味ないからな。とりあえず資金源として確保してるだけであって、別にあってもなくても良い存在だから俺等は」

「黒川さん・・...?」


 マッツーは首をかしげる。いずれにしろ、私が黒川さんの妹だという事は、今は誤魔化しておいた方が良さそうだ。

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