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伍拾壱

 日は刻一刻と過ぎていく。

 男は失恋の立ち直りが遅いと聞くが、案外そういうわけでもない様子で、ランスは翌日から「あれ、昨日泣いてなかったけ?」と思うほど清々しかった。あの立ち直り具合は、全人類の鑑だね。


 正直な所、この頃麗華さんとその取り巻きの視線が痛いんだ。何やら彼女達は巴ちゃんのパーティに招待されなかったらしい。聡にランスに分かるような表沙汰なイジメはなくなったが、この頃細かい私物が消えたり、嫌がらせの手紙が入っていたりしている。

 様々な手口を使って呼び出そうとしているのか、告白めいたものまで靴箱に入っていたり...わざわざ筆跡まで変えて、ご苦労様ですね。


 曰く、パーティは十七時から開始らしいが、私は十三時には来て欲しいと言われていた。本来ならば聡が迎えに来るはずだったが、流石に黒川邸に男身一つで乗り込むのは殺される可能性が高い。なので、私が後藤さんと一緒に車で行く事に。

 黒川さんは嫌がりはするも、土曜日は私は自由に行動して良いと確実に・・・言ったので、仕方なく許可した。彼は開始時刻に行くらしい。


 そして当日、


「サリンちゃーん、行くぞ」


 後藤さんは欠伸混じりに、わざとらしく私に呼びかける。結局服装は、あのたくさんの中から黒川さんがチョイスしてくれた、ワンピース風のミニドレス。うん...肌触りは良いけど、やっぱり高級な物は合わないな。ユニコロとかの安いTシャツが着たい。綿とポリエステル素材が懐かしい。


「はい...分かりました」


 黒川邸を客観から見たのは久し振りだ。相変わらず大きな家。黒川さんが、ヤクザ幹部が気持ち悪いほど徘徊している屋敷に私をウロウロさせたくない理由がよく分かる。私だってしたくないさ。

 車に乗ると、誰にも聞かれないのを良い事に後藤さんはぶっちゃけトークを始めた。


「それにしても、よくあの独占欲の強い組長さんが許可してくれたな。何か要求されたか?」

「いいえ。気持ち悪いほど簡単にOKしてくれました」

「あちゃー、それは絶対何か企んでるな」


 車の中に盗聴器が仕掛けてあったら、きっと後藤さんは殺されるだろうな。しかし、あの人が私を一人で後藤さんに預けるだなんて、その信用はきっと何よりも高いのだろう。

 それにしても、優秀な後藤さんが部屋の見張りをしているだけというのは、正直気の毒でならない。


「黒川さんは、何故後藤さんを見張りにしているんですかね?」

「あぁ...まぁ、俺が信用されてるからって事もあるだろうな。部屋に出入りする時は必ず顔を合わせる事になるから、そこらへんの奴じゃ心配なんだろ。ん? 俺は今の職場に満足してるぞ。立ってるだけだぜ? 楽チン楽チン」

「そう...なんですか」


 顔にいくつか傷跡があり、低音ボイスに鍛え上げられた筋肉...何処からどう見ても怖い戦闘狂なのですが? いや、人は見た目じゃ判断出来ない。黒川さんが良い例だ。人を見た目だけで判断していれば、いつか必ず後悔する事になる。


「組長...まぁ、あの人がサリンちゃんに固執する理由は俺にも分かるさ。反応が可愛いとか、子猫みたいだとか...そんなのは後付けだ」

「どういう意味ですか?」

「...あんまり言いたくないがな...組長が相手の本性を見抜く力を備え持ってるのは知ってるな?」

「えぇ。正直胡散臭いですけど、あの能力値の高さを考えると、あながち嘘でもなさそうです」

「そう、なんだよな...」


 私の言葉を聞くと、何故だか後藤さんは悲しそうな表情をする。似合わない。後藤さんは、笑顔の方がずっと輝いて見えるのに。


「そうだサリンちゃん、これ、西園寺のおやっさんに渡しておいてくれないか?」


 そう言うと一瞬で表情を変え、私に小さな袋を渡してきた。重量のない、布の袋。触ってみれば、中に固い親指の長さほどのものが入っている。一体これは何なのだろうか。


「中身は?」

「機密情報。なるだけ人には話さないようにしろよ? 仕事の問題なんだから。西園寺のおやっさんには、『黒川組長の部下の後藤から』って伝えておいてくれれば良い」

「分かり、ました」


 きっとヤのつく職業関係なんだろうなー嫌だなー。

 絶対に開けないようにしよう。パンドラだ。きっとパンドラが怒る。いや、寧ろ大歓迎かもしれないが。


 たわいのない会話も、馬鹿みたいな言葉も、きっときっと、全て当たり前の事だったんだろうなと今思う。前にあった日常は、苦しくても楽しかった日常は、今はもう私の手の中に存在しない。当たり前だった事は、いつの間にか幻想となって。

 苦しい、悲しい...けど、まだ私には味方がいた。偏愛も嫌悪も抱かない、優しき父のような存在がーー此処にいた。


「着いたぞサリンちゃん」


 今私は、幸福じゃない、不幸でもない。それでも毎日を一生懸命生きて、楽しんで、もう二度と日常を失わないように一秒一秒を怯えて暮らして...何だか、疲れた。

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