伍拾
「おーサリン、で、どうだったか?」
翌朝、教室に一足踏み入れれば聡が楽しそうに駆け寄ってくる。高校生でしょうに...自重してくれ。椅子に座って何かを呟き続けているランスよりかはずっとマシだが。
荷物を置いてからにさせてと言うも、聡は何だかワクワクしている様子だ。周りの目等気にもせず、親友の言葉を待つ...本当に子供みたいで可愛らしい。
「おはようサリンちゃん...今日も良い天気だね...」
「お、おはようランス。...今日は雨だけど」
「あはは...」
窓に目をやれば、梅雨の時期独特の香りがツンと鼻を擽る。雲が太陽を隠して雨を降らす。何方かと言えば、晴れよりも雨の方が好きだ。燦々と差し込む暖かな光よりも、光を遮る存在の流す冷たい涙の方が、ずっと自分の仲間のように思える。
それにしても、今日のランスは様子がおかしい。
「ねぇ、今日ランスどうしたの? 頭打った?」
「いや、実は今朝からこの調子で...俺も分からない」
「空は青いなー鳥が飛んでるなー皆元気だなー」
「怖いんだけど...」
ランスは虚ろ目で、何処か遠くを見ている。聡も分からないなんて...相当な事情でもあったのだろうか。あまり詮索しない方が良いかもしれない。うーん、こういう時って、普通はどうするものなのかな?
聡に目を向けても、彼は首を横に振るだけ。よくある状態というわけでもないようだ。私がランスみたいな状態になったら、そっとしておいてほしいものだけど...。
「さ、サリン? んで、誕生日の方はどうだったんだよ」
「うん、黒川さんに許可貰った。プレゼントも買ったよ。多分、あの人も来るだろうけど...」
「父さんが喜ぶな。というか、中々行動が早いなサリン。あんまり無理するなよ? 正直、無茶な事言ったとは分かってるんだ」
「平気。黒川さんも怒ってないよ」
「そりゃ良かった」
聡はくしゃっとした笑みを浮かべながら私の頭を撫でた。ランスをそれをジッと見つめ、悲しむ犬のような声を上げる。
「聡だけズルイ」
「それならお前も元気だせ。一体どうしたんだ、朝っぱらから気分が落ち込む」
「...僕の大好きな人が、いなくなっちゃった」
「「は?」」
大好きな人?
ランスは悲しい顔をしているが、この幼い精神に恋愛的感情がもうあっただなんて...私には驚きしかない。え、あ、はい、すみません。ごめんなさい。
「”大好きな人”って、どういう事だよランス」
「僕さ、日本に留学はしてるけど、婚約者候補もいるんだよ? 三人くらい」
「それはそれはリア充な事で」
「その中で、『イギリス』の第四王女のレイチェルちゃんと特別仲が良くてね、僕、レイチェルちゃんの事大好きだったんだ。でも、彼女...別の男と結婚しちゃって...」
「それは辛かったな」
聡は次はランスの頭を撫でながら慰め始めた。周りの生徒達は空気を察してか離れるが、その耳はしっかりとこちらに向けている。こんなデリケートな話なのに聞き耳を立てるだなんて、失礼極まりない。
「サリンちゃん...僕もうどうすれば...」
「あ、新しい恋を見つけてみたらどう? でもまぁ、無理する事ないよ。今日は辛いなら休んだ方が良い。失恋話、ぶちまけて良いからさ」
「もう...僕サリンちゃんに恋しようかな」
「ご冗談を」
王子と恋愛だなんて洒落にならない。黒川さんも流石に王族には手を出し辛いだろうが、それと同時に弱味も多くなってしまう。
「レイチェル王女...聞いた事があるよ。物凄く可愛いらしいお姫様だった」
「そうなんだよ...僕の天使ちゃんがぁ...」
「分かるよ、分かるよ」
と、言いながらも正直全く分からない。失恋なんて感情今まで一度も味わった事なんてないんだ。というか、恋もした事がない。許される事でも、ない。
私はランスに同調する事なんて出来そうにない。聡はどうだか知らないが、こういう持って当たり前の感情を、今までに人に抱いた事なんてなかったから。ただ慰めるだけではどうにもならない事は分かってる。ただ、人を目の前にしてこんなにも慰めたいと思ったのは...初めてだ。何だろう、私まで悲しくなってきたよ。
「サリンにも分かってきた。『友情』っていう感情が」
「『友情』...? さぁ、どうだか」
「何方にしろ、結局は心持ちなわけさ。どう感じるもお前の自由だが...人を大切にして、寄り添いたいっていう今の気持ちは、絶対忘れんなよ?」
ランスの頭を撫でる聡の手が止まる。
「あの組長に全てを奪われたなら、逆に新しいもんを手に入れてやろうぜ。お前は気に病む必要なんてない。...失恋なんて、こいつ何回してると思う? 王子王子って言っても...やっぱり中身は普通の高校一年生の男子なわけだからさ。お前もそうだ。立場はどうあれ、お前はお前。だからそんな...暗い顔するな。ランスも明日になったらピンピンしてるぞ」
「...だと、良いんだけどさ」
*
聡の言う通り、翌日ランスは完全復活していた。まるで失恋なんて、私の心配なんて皆無だったかのように笑顔を振りまいている。ランスのメンタル半端ない。笑いしか湧いてこないでありんす。
黒川さんも相変わらずだから、私はただ巴ちゃんのお誕生日を楽しみに待っていた。久しぶりの外出。適当な服で来いとは言われたし、黒川さんも土曜日だけは基本自由に行動して良い、干渉しないと言ってくれた。此処まで彼が優しいのは、私がずっと黒川さんにくっついていたからなのだけど。うん、苦労あってのものだね。素晴らしい。
それで、黒川さんはパーティ用にと服を取り寄せてくれた。それも大量に。
金曜の夜は黒川邸の部屋にて服の祭典(笑)が行われ、私は黒川さんの着せ替え人形と化した。おかげで黒川さんの本格的なカメラの容量は満タンだ。そんなに撮ってどうする。
まぁ...私も女子だから、たくさん可愛い洋服を着るのは楽しかった。着て行くのは一着だけだけどね、普段出かけないのにこんなに買い込んで、黒川さんはどういうつもりなんだろうか。
「何を言っているんですか、サリンの可愛らしい姿をレンズに収めるのは、一度や二度じゃ終わりませんよ。そりゃあ確かに私の瞳のレンズ以外にサリンの姿を映し出すのは嫌ですけど、永久保存が出来ますからね。財布に入れておきます。お守りですよ」
「それなら一枚だけでも良いんじゃないですか...?」
「何を言っているんですか。一枚だけじゃ目の保養になりません。私の仕事の疲れを癒すのが、写真なんですよ。勿論本物の方がずっと良いですが...流石に仕事場には連れて行けませんからね」
私がヤクザだったら黒川さんを目の前にしたらすぐさま逃げ去るだろう。いつもは残虐な癖に、妹の事を考える時だけふっと恍惚とした表情に溺れるだなんて...正直怖い。気持ち悪いも引くも寒気も通り越して、物凄く怖い。触れてはいけないパンドラの箱が出来上がっています...。
「そうだ。今度、サリンの体の一部を切り落としましょう。そうすれば、ずっと一緒にいられますね!」
寒気がした。笑顔でおかしな事を言う黒川さんが、当たり前の姿なのに何故だか怖かった。時々恐ろしい事を黒川さんは口走るけれど、何処か冗談めいている。しかしこの目は、本気だ。
「逸そ足を切り落としてしまいましょうか。そうすれば二度と、この部屋から出る事は出来ない。いや、それでも綺麗な足が台無し...足の皿を摘出するのはどうでしょう。それならば足も傷つく事はないし、一生立ち上がる事も出来ない。あぁ、良いアイディアです」
黒川さんは私の足を撫でながら言う。日常会話をしているような軽い口調。でも、その言葉一つ一つに狂気が篭っている。
「そうですね...持ち歩くのは目にしましょう。その綺麗な瞳を片方だけ、丸ごと抉り取らせていただきます。ペンダントにでもしたら丁度良いでしょう。...肌身離さず、身につけますよ。あぁ、そんな顔しないで」
冗談ですよね?ーーそう言いたくても、声が出なかった。しかしそれを察したかのように、黒川さんは声を上げて笑う。
「冗談? ...まぁ、そうですね。まだそんなつもりありませんよ。可愛い...今にも泣き出しそうな顔をして...悪い子ですね。えぇそうですよ。まだ、その時じゃない」




