肆拾肆
ジャパニーズプリンスモドキの言葉。それは偽善でも媚びでもなく、真っ直ぐに私の心に響き渡った。
心から私を想い、心配してくれる人が、此処にいるという温かさ。心強さ。黒
川さんとはまた違う愛が、優しく心を覆ってくれた。
気がついた頃には、私はただ泣いていた。
机に突っ伏したまま、幼子のように泣いていた。ジャパニーズプリンスモドキの温かい手が、私の頭に触れる。
「今の内に泣いておけ。そして泣きやめ。組長にバレないようにしろよ? 殺されるのは嫌だからな。ほーら、声も抑えないで良いぞ。ずっと我慢してきたんだよな。涙を見せれば誰かが傷つくって...怖かったんだよな」
涙を流すと、自分の中に溜まった嫌な気持ちや毒素が、全て浄化されていくような気がする。
しかも今回は、痛みや恐怖による涙ではない。歓喜に満ちた涙だ。
初めて出来た『友達』は、私に飾りない言葉をくれた。優しく慰めてくれた。それだけでも、私の心に大きな陽が差し込むような気分だった。
「大丈夫。誰もこの教室には来ない。一応人払いもしておいた。KYランスも来ないぞ、感謝しろ黒川」
ジャパニーズプリンスモドキは微笑みながら私の頭を撫でる。
面倒くさがりもせずに笑顔で接してくれるなんて、お前は聖人君子か。
普段はあんなに周りに冷淡なのに、いざという時は心配してくれて...なるほど、ツンデレなのね。
「ジャパ...モド...」
「え、略された? ジャパニーズプリンスモドキを略された?」
「お願い、ギュッてして...ジャパモド...」
「良いけど、ジャパモドってなぁ...」
私がお願いしたら、ジャパニーズプリンスモドキ...略してジャパモドは、戸惑う様子もなく抱きしめてくれた。黒川さん以外にこうされたのは初めてだが、やはり抱きしめられると落ち着く。これはもう仕方がない。いつもこうだから。
高鳴っていた心臓も徐々に鎮まり、小さく深呼吸をして涙を整える。
「だ、大丈夫か? 黒川」
「だいじょーぶ...うん、少し落ち着いてきた」
「お前変わってるな。予想としては、うーん...」
「女子はイケメンに頭撫でられただけで発狂するからね...残念、私はイケメンは好きじゃないから。フツメンLOVEだから」
「それはショックだ」
モテる癖に言うね。嫌味かな?
本当、もう抱きしめられるのに関しては大方が平気だ。
一度、中学の時に石井先生に抱きしめられた事があったが、あれはもう下心丸出しだったから、本能的に拒否反応が出たまで。
私を心配してくれるこの姿勢が、私には温かかった。
「...ジャパモドの事、別の呼び方にするね」
「ありがたい。ランスにも言っておいてくれ。うーんじゃあ...聡で良いぞ。呼び捨てで」
「そうだね。じゃあ私も...下の名前で呼んで。あんまり人前では言わないでほしいけど」
「同感。ランスと俺等だけの時とか、二人きりの時とかに」
「OK。うん、もう泣き止んだ」
ぷはっと彼の胸から顔を上げ、私は笑顔を見せる。
きっと目は腫れているだろうが、それでも笑顔を見せたかった。
大切な友人、聡に。
「良かった。ちょっと蒸しタオル持ってくる。少しはマシになるだろ、此処で少し待ってろ」
「ありがとう聡」
*
聡のおかげで、私の泣き顔も良くなってきた。
これなら、黒川さんに何か言われる事もないだろう。
でも、早く帰ってこいとも言われたし、今日は部活には行かない事にしておく。
聡はサッカー部があるという事でグラウンドに走って行った。
部長に早く帰ると告げ、私は学校を出てロータリーへ向かった。
黒川さんにのみコール可能な携帯で呼ぼう。
...とも思ったが、何故だかそこには見慣れた黒い車が一台待機状態にあった。何でいるんだよ黒川さん。
黒川さんは車の窓から顔を少しだけ覗かせ、笑顔で私に呼びかける。
「いらっしゃいサリン」
「はい」
その目は怒ってはいない。
ただ、笑ってもいない。
ただ表情筋だけがつり上がり、死んだ魚のような目はギラリと私を見つめている。
車のドアが開き、私は中へと招かれた。というか、無理矢理入れられた。
車内は、外よりも五度近く温度が下がっているような気がする。
「ねぇサリン。授業後のあれは...どういう事ですかね」
あれというと、やはり麗華さんの件だろう。
あの横暴な態度は、流石に麗華ファンの男子達も引くレベル。
自らの権力を過信し過ぎた結果の冷たい態度。
自業自得も思うが、話しかける相手を間違えたようにも感じる。お気の毒様だ。
もう正直、麗華さんは自分で自分の首を絞めたから、言い訳する気にもなれない。ごめんなさい。
「どういうもこういうも...私にはサッパリ...」
「そうですよね、サリンにはどうしようもない事ですよね。私はサリンに怒ってるんじゃないんですよ。あのメス豚に怒っているんです」
通りで私に怒りに満ちた目を向けないわけだが、やはり殺気が酷い。
今にも大量殺人をしてもおかしくはない勢いだ。
まぁ、今日は武器を取り出さないだけマシとも言えるが。
「そ、それで...?」
「あいつの名前は?」
「鳳翔 麗華ですけど...何故怒っているんですか? クラブに行った時はあんなに平然としていたのに」
「私を『お兄様』呼びして良いのは、サリンだけです」
そーですかそーですか。
というか、その程度で怒らないでください。器小さいですよ。
と言いたいが、彼の目は本気だ。
下手すれば何もしていない私にまで火の粉がかかってくる。
「そうだサリン、もう『黒川さん』と呼ぶのは止めなさい。代わりに『お兄様』と呼びなさい。お兄ちゃんでも可」
「お、お兄様ですか...?」
「えぇ勿論。兄妹なのだから、そのくらい当然でしょう?」
今時高校生になっても部屋が一緒で、お兄ちゃん呼びで一緒のベッドで寝るって異常だが。
全く当然じゃないのだが。
黒川さんは笑顔で要求してくる。
気分を紛らわせる良い機会かもしれない。
いくら自業自得とはいえ、麗華さんにも傷ついては欲しくない。
後藤さんが息を殺して笑っているのが聞こえるが、無視だ無視。よし、これから可愛い妹トークで黒川さんの気を散らして差し上げよう。
「お兄様?」
「何ですか〜?」
「この間、『精神医学実験』という本を買ってくれましたよね? それで、興味深い実験があってですね...」
「後藤、発車しろ。それで、どんな内容なんですか?」




